ウラジーミルの微笑

池澤夏樹=個人編集 世界文学全集の全巻読破を目指します

1-10①『アデン、アラビア』ポール・ニザン/小野正嗣訳

孤独な旅行者の夢想

万事上々。祈りとアブサンがゲームに加わって、文明国の市場では植民地株が上昇する。(p.30)

<<感想>>

なかなかどうして快作である。

本書をごくごく簡単に要約するとこうなる。

20世紀初頭、一人のフランス人の若者がアラビア半島のアデン(現在のイエメンにある港湾都市)まで自分探しの旅に出て帰ってくる。

ただそれだけである。しかし、これが実に面白い。

実は、本作はその要約から想像されるような紀行文ではない。それどころか、物語の体裁を維持しているのかも怪しく、従って文学作品というには躊躇がある。巻末のあとがきによると、パンフレ<風刺的小論文>というジャンルに属するらしいが、旅の合間に去来する思想的な断片が入れかわり立ちかわり書き連ねられて一つの作品をなしている。全体として、まるでニーチェ箴言集を散文にしたような雰囲気がある。

また、本作の著者ポール・ニザンは、凡庸な若者ではない。それどころか、ニザンは当代屈指のインテリ中のインテリ、フランスが誇る高等師範学校エコール・ノルマル・シュペリウール)の学生であった。従って、本作は時代や国が変わっても不変な、若者共通の叫びを代弁する―『オン・ザ・ロード』のような―作品にはなっていない。むしろその叫びには、実に深く時代性が刻印され、その上、その当時から見た未来の人文科学の方向性を予見するかのような断片が散見される。

 

アデン、アラビア/名誉の戦場 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-10)

アデン、アラビア/名誉の戦場 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-10)

 
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1-09『アブサロム、アブサロム!』ウィリアム・フォークナー/篠田一士訳

ディケンズ時々バルザック、そして

それが思い出というものの実体なのです―知覚、視覚、嗅覚、わたしたちが見たり聞いたり触れたりするときの筋肉―心でもない、思考でもないもの。どだい記憶などというものはありません。それらの筋肉が探りあてるものを脳髄が思いだすだけで、それ以上でもそれ以下でもありません。そしてその結果はたいてい不正確でまちがっていて夢の名にしか値しません。

<<感想>>

本全集のうち数冊は、大人買いを敢行する以前から持っていた。そのうちの一冊が本作だ。正直私の好みの作品ではなかったが、フォークナークラスの大作家になると、書きたいことが山ほどでてくる。

ただ、あんまり長く書いても仕方がないので、(いつもどおり)文体と文学史に着目してみたい。 

アブサロム、アブサロム! (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-9)

アブサロム、アブサロム! (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-9)

 
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1-08②『やし酒飲み』エイモス・チュツオーラ/土屋哲訳

アフリカの叙事詩

わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした。当時は、タカラ貝だけが貨幣として通用していたので、どんなものでも安く手に入り、おまけに父は町一番の大金持ちでした。(p.419)

<<感想>>

☆1個にしようと思って感想を書くのは難しい。

☆3個というのは、可もなく、不可もなく、といったある意味では消極的な評価だ。他方、☆1個というのは、積極的に不可をつけていることになる。

そうすると結局、どうしてこの作品が☆1個に足りうるのかという問いが生じ、☆5作品の感想を書くのと同様に自身の文学観の輪郭を意識せざるを得ないからだ。

 

さて、本作はいわゆる幻想文学的な作品だ。すなわち、ただフィクションであるだけでなく、カフカ残雪ブルガーコフのように、現実世界の物理法則を超越してプロットが展開される。しかし、そうかといって本作を「カフカ的」と評するのには抵抗を覚える。ここに挙げた作家の作品のように、寓意であったり、人間本性に沈潜していく視点が感じられないからだ。

むしろ、本作の非現実性は、神話や伝説の世界と現実の世界が未分化であることからくる混沌とした世界観に根差している。つまり、イリアスアエネーイスのような叙事詩や、北欧神話のような物語に近しい*1

アフリカの日々/やし酒飲み (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-8)

アフリカの日々/やし酒飲み (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-8)

 

*1:特に強く思い出したのが、大学の講義で読まされたコイツだ。

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1-08①『アフリカの日々』イサク・ディネセン/横山貞子訳

いかさま師ディネセン

イギリスのおだやかな風景のなかの小川と、アフリカの山地の尾根とのあいだに、デニスのたどった生涯の道がある。その道が曲折し、常軌を逸していると見えるのは目の錯覚である。彼をとりまく環境のほうが常軌を逸しているにすぎない。イートン校の橋の上で弓絃は放たれ、矢はひとつの軌跡をえがいて飛び、ンゴング丘陵のオベリスクにあやまたず命中した。(p.386)

<<感想>>

20世紀の小説家は重い荷物を背負わされている。

生まれながらにして、偉大な19世紀という課題を与えられているからだ。

これは、「小説家」の部分を、作曲家、画家、哲学者に置き換えても成立しそうだ。

この課題に応えるため、シェーンベルクは調性を捨て、ピカソは人体を四角くし、ニーチェはハンマーを振り回した。

 

それでは小説家はどうしたのか。

手法は19世紀のまま、20世紀の主題を扱うという回答も勿論ありだ。

しかし、これまで本全集の中で見てきただけでも、クンデラブルガーコフ残雪などはその形式においても20世紀を試みている。

本作『アフリカの日々』は、そうした意味ではクンデラの作品―方法論に似ている。

 

アフリカの日々/やし酒飲み (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-8)

アフリカの日々/やし酒飲み (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-8)

 
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