セバスチャン・ナイトは私だ
きみと一緒の生活はすばらしかった―そしてぼくがすばらしいと言うとき、ぼくは鳩や百合の花、そして天鵞絨(ヴェルヴェット)、さらにその単語のあの柔らかなVと長く引き伸ばしたlの音に合わせて反り上がったきみの舌の反り具合のことを言っているのです。ぼくらの生活は頭韻的でした。(p.161)
Life with you was lovely - and when I say lovely, I mean doves and lilies, and vellvet, and that soft pink "v" in the middle and the way your tongue curved up to the long, lingering "l". Our life together was alliterative...(PENGUIN MODERN CLASSICS,p.98)
<<感想>>
本作の語り手は「セバスチャン・ナイト」の異母弟である。
セバスチャン・ナイトは、夭折した小説家であり、どうも語り手はその伝記を書こうとしているらしい。そして、この『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』こそが、その伝記そのもののようだ。
語り手はセバスチャンと交流のあった人物などから取材を進めていく。また、セバスチャンが書いたとされる作中作からの引用を行う。その取材と引用によって、モザイク式に、少しずつ、セバスチャンの年譜やその作中作の概要が明らかになっていく。そこでは語り手の辿る道と、これらの作中作とが次第に混淆してくる。
ざっとまとめると、本作のプロットは大よそ以上のような仕掛けになっている。
しかし、本作において重要なのはプロットではない。それは作品中で展開される文学論からも、『文学講義』などで披歴されるナボコフ自身の文学観からも明らかだ。
本作において重要なのは、この入れ子上になった技巧的なプロットの上に展開される、素晴らしくも美しいその細部にある。
文学はまずおもむろに千切ったり、裂いたり、潰したりしてから―その愛らしい生臭さを掌のくぼみに嗅ぎつつ、口に入れてよく噛み、舌の上にころがしてじっくり味わうことだ。(『ロシア文学講義 上』河出文庫、p.241)
『文学講義』は、いつでもナボコフ読解のための攻略本である。そのため、以下では『文学講義』ばりに、本作の細部について箇条書き的に記してみる。いわゆるネタバレが本作の価値を貶めることは一切ないが、お嫌いな人はどうぞ続きを読まないようにお願いします。
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