ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

勝手に宣伝「ナボコフ・コレクション」

新訳出来!

 

twitterでやれ。といわれそうだけど、アカウントを持っていないのでブログで。

一か月ほど前だろうか。amazonナボコフ先生の新訳情報を持ってきた。

気を効かせてカートにでも、いや自宅の宅配ボックスにでも入れておいてくれていれば良かったが、技術はまだそこまで追いついていないのでとりあえずぽちっておいた。

そこでおととい届いたのがこいつである。 

 

いまでは手に入りづらいが、ナボコフの初期作品の中でも論及されることの多い『キング、クイーン、ジャック』が読める、と思って楽しみにしていた。

これが、届いてびっくり。なんと、5巻組の作品集の第1集のようなのだ。

慌てて新潮社の公式サイトを調べたが、各巻にどの作品が所収されるのかなどの情報が乏しい・・・。

『ロリータ』の新訳などは、海外文学オタクというニッチな世界ではそれなりの話題にはなった。それにしてもはたしてナボコフ先生クラスの作家で、しかもハードカバーという形式で、本が売れるのだろうか・・・。そして新潮社には売る気があるのだろうか・・・。

ということで、せっかく先生の名前を冠したブログなのだから、ほとばしる期待と、勝手な宣伝と、所収作品を紹介する気の早い短評とを記しておく。

なお情報は、第1集の帯や巻末に記載された内容に拠るが、帯には同時に内容に変更の可能性がある旨の付記もある。

 

第1集:「マーシェンカ/キング、クイーン、ジャック」新訳!

ロシア語時代の長編が2編。デビュー作と第2作に相当する。

双方とも英語版からの邦訳は既訳がある。しかし、本作はロシア語からの翻訳だ。

前者は旧訳が1982年、後者は1977年だ。いずれも待ち望んだ新訳である。

(奈倉有里訳/諫早勇一訳)

第2集:「ルージン・ディフェンス/密偵」新訳!

こちらもロシア語時代の長編が2編。第3作と第4作に相当する。

双方とも英語版からの邦訳に既訳がある。ただ、こちらも今回はロシア語からの翻訳だ。

後者はともかく、『ルージン・ディフェンス』については、つい最近(2008年)に新訳『ディフェンス』(それも若島御大の訳)が出たばかりだ。果たして買い手がつくのだろうか・・・・。なお題名の違いは翻訳の差異であり、作品自体は同じものだ。

後者の既訳は1992年が最後だ。当時、題名は『目』と訳出されたが、『密偵』と同じ作品だ。この作品については未見のため、どうして『目』が『密偵』になったのかは知らない。

(杉本一直訳/秋草俊一郎訳)

第3集:「処刑への誘い/ほか戯曲2篇」新訳!

戯曲の詳細は不明だ。ロシア語時代の長編『処刑への誘い』については、これもまた英語版からの既訳があるが、ロシア語からは初訳になるようだ。ちなみにこちらはロシア語長編8作目。5,6,7作目がぶっ飛んだのは、大人の都合だろうか(都合1都合2都合3)。

同作品については、やはり『断頭台への招待』という題が定着している気がする。『キング、クイーン、ジャック』と同様、こちらも論及されることの多い作品であり、新訳が待ち望まれる。

(小西昌隆訳/毛利公美沼野充義訳)

 

第4集:「賜物/父の蝶」後者は初訳!

ロシア語長編9作目は『賜物』だ。そう、『賜物』である。

池澤夏樹=個人編集 世界文学全集第2集第10巻(2010年)所収の『賜物』である。

訳者は同じ沼野御大の名が記されているから、中身は基本同一だろうが、一応帯には[改訂版]と書かれている。同全集の中では注目を集めた方だろうから(願望)、二匹目のどじょうを狙ったのだろうか?興味を持つ人はすでに持っているだろうし、果たして売れるのだろうか・・・

この度は、本作品集の趣旨を理解してくれた河出書房新社さんのご厚意に与り、拙訳に改訂を加えた上で本作品集に収録をした。いまのうちにあとがきを代わりに書いておきました。

皮肉めいたことを書いたが、私は当然買います。

同時に収録される『父の蝶』という作品については、寡聞にして知らない。本邦初訳のようである。かなりの長さを誇る『賜物』とセットにして、どのくらいの厚さになるのかが気になるとこである。

(沼野充義訳/小西昌隆訳)

 

第5集:「ロリータ/魅惑者」後者は新訳!

ロシア語長編10作目、そして最後が『魅惑者』だ。こちらもロシア語版からの初訳らしい。既訳は1991年が最後だから、こちらも楽しみな一作だ。本作は、『ロリータ』の原型になったとも評される。

だからなのだろうか?本作には『ロリータ』が収録されている。

どこから突っ込めばいいのだろう・・・。

まずそもそも、『ロリータ』は、本作品集のほかの作品と異なり、英語で執筆された作品である(まさか、ナボコフ自身のロシア語版を底本とするわけではないだろうし。)。

その点で、本作品集のほかのラインナップから見れば、本作は異色である。翻訳についても、一応[増補版]とはあるものの、新訳ではなく、既に大定番となった若島訳である。

若島訳といえば、2005年に新潮社からハードカバーで出版されるや、2006年に速攻で新潮文庫化されたのでお馴染みだ。同作品が待望の再ハードカバー化である!

ナボコフの圧倒的代表作が『ロリータ』であるのは間違いないだろう。とどのつまり、『ロリータ』が本作品集に登載されたのもきっと大人の事情だ。

とかなんとかいいつつ、私は増補部分だけで8,000円と言われても買います。

(若島正訳/後藤篤訳)

作品集全体に関するコメントも。『アーダ』の超絶素晴らしい装丁を見たあとだからだろうか?ちょっと装丁がさみしく感じる。本作品集とよく似た企画である「ガルシア=マルケス全小説」(こっちにはちゃんと特設サイトがあるじゃないか!!あと、『百年の孤独』はあと何年ハードカバーで売るんだ!?)と同様、カバーを剥くと洋書風のシックな体裁になるようだ。

皮肉めいたこともちょっぴり書いたけど、この記事でいいたかったことはただ一つだ。

新潮社さん、ありがとうございます。楽しみにしています。

『子供部屋のアリス』ルイス・キャロル/ジョン・テニエル絵/高橋康也訳/高橋迪訳

最初のハンバート、最初のアリス 

さて、いったいどうやったらからだをかわかすことができるか、だれも知りませんでした。でもドードー*1がーとてもかしこいトリなんですーいちばんいい方法は、ヤタラメきょうそうをやることだといいました。

<<感想>>

当ブログのテーマは海外作品を中心とした「文学」である。

従って、普段であれば娘に買い与えている本は当ブログでは紹介しない。

しかし、この本は例外だ。

本書は、後世の文学作品に極めて強い影響を与えたルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の翻案作品だ。

「アリス」の翻案作品といえば、ディズニーのアニメ作品が圧倒的に有名だろう。しかし、ディズニーのような"紛い物"と違って、本書は"本物"だ。

なぜなら本書は、原著者ルイス・キャロル自身の手による翻案なのだから。

子供部屋のアリス (挿絵=テニエル)

子供部屋のアリス (挿絵=テニエル)

 

*1:このドードーのモデルはキャロル自身である

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1-07『ハワーズ・エンド』E・M・フォースター/吉田健一訳

冷静と情熱と香気と悪文のあいだ

「・・・あの人の頭は本の滓、文化でいっぱいで、わたしたちはあの人がそんなものは頭から洗いだして本物が好きになるといいと思っているんです。どうすれば生きて行くことに負けずにいられるか教えたくて、さっき言いましたように、毎日の生活が灰色なのに堪えて、そしてそれが灰色をしていることを知るためにはだれか―」 ・・・「だれか、自分が非常に好きな人か、あるいはどこかそういう場所が必要なんじゃないでしょうか。・・・」(p.202)

<<感想>>

マンスフィールド・パーク』のあとに本作を読むと、書き手による文体の差異に強烈に気づかされる。オースティンはほとんど比喩を用いないが、本作では比喩が多用される。会話文主体のオースティンに比べて、地の文が長い。作者の与えた第一原因によって突き動かされる人物たちと、思想の表象としての人物たち・・・。表面的な物語は似ていても、実質はかくも異なる。

 

而して本作では、その物語の表面だけをなぞるような読み方はやり玉に挙げられる。

・・・レオナードの話は本を書いた人間の名前の泥沼で終わった。それはこういうすぐれた人たちのせいではない。われわれのほうが悪いのであって、彼らはわれわれが彼らの名前を一種の道標に使うことを望んでいるのに、われわれが勝手に道標と目的地を取り違えているのである。(p.165)

あるいはレオナードのような人物をさして、次のような発言もなされる。

「・・・わたしは、そういう人たちに必要なのはもっと多くの本を読むことではなくて、ちゃんとした本の読み方を身につけることだっていったんです。」(p.183)

しかし悲しいことに、かくいう本作も、―なんとかメーターなんかを見る限り、どうにもちゃんと読まれてはいないようだ。そしてその原因は解説を書いている池澤夏樹氏にあるように思う。

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

 
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『マンスフィールド・パーク』ジェイン・オースティン/中野康司訳

機動戦士オースティン

臆病なファニーから見ると、ミス・クロフォードの乗り方はびっくりするほど上手だった。それから数分後に、ふたりの馬は停止し、エドマンドはミス・クロフォードのそばへ行って何か話しかけ、手綱の使い方を教えるために彼女の手を取った。遠くてよく見えないところは想像力で補ったのだが、ファニーの目にはそう見えた。
<<感想>>

読書感想文は嫌いだった。絵日記は、8月31日に図書館に行って、夏休み中の天気"結果”さえ調べれば、何とか後埋めすることができた。でも読書感想文だけはどうにも原稿用紙が埋まらない。

決して本を読むのが嫌いだったわけではない。むしろ、読書好きな子どもだったように思う。しかし、課題作品を何度読んでも、感想は浮かんでこないのだ。

それが今では誰にも頼まれもしないのに、二進法になった原稿用紙を日々黒く染め上げている。

 

そして、このオースティンの『マンスフィールド・パーク』については、全四十八章中、冒頭の一章を読んだだけで、書きたいことがほとんど決まってしまった。 

マンスフィールド・パーク (ちくま文庫)

マンスフィールド・パーク (ちくま文庫)

 
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