ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

1-10②『名誉の戦場』ジャン・ルオー/北代美和子訳

人に歴史あり 

獲物を罠にかけたおばちゃんは、そう簡単には放してくれない。あのなんとか沿いの、どこそこ村の、かんとか夫人よ。だれそれさんの奥さんで、何某のお嬢さん―けれども、解説は非常に遠いところから(少なくとも三世代前から。誕生、結婚、職業上の地位、死因を含む)出発し、家系図は非常に複雑に枝分かれするので、レミは、それが結局は百歳にならんかというひいおばあちゃんのことだと知るまでに、いらいらと三十分は辛抱しなければならない。

<<感想>>

文学賞の意義を否定したい訳ではないが、書き手/売り手にとっての文学賞と、読み手/書い手にとっての文学賞では、その価値が全く異なる。

書き手/売り手にとって文学賞は権威か名誉か、はたまたいい宣伝文句にはなろうが、1年を1期、あるいは精々が所4年を1期として、その国あるいは言語地域、広くても目に映る限りでの世界のナンバーワンを決めるに過ぎない。

ところが、読み手の内奥で随時開催中の文学賞は、いまこの瞬間世界のどこかで呟かれた文章から、果ては28世紀前に遡り、翻訳という魔術の媒介を経て*1、いかなる言語地域の作品もノミネート可能だ。

野球やサッカーの世界歴代ベストメンバーは好事家の脳内でしか実現不可能だが、文学の世界では、作者が死してなお眼前で容易に比較できてしまう。

 

本作も、文学史の偉人達の前ではちょっと力不足かもしれない。しかし、ゴンクール賞(仏)受賞という華々しい肩書は伊達ではない(残念ながら、ベストセラーという好ましからざる肩書も持っているが)。

 

アデン、アラビア/名誉の戦場 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-10)

アデン、アラビア/名誉の戦場 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-10)

 

*1:訳者のみなさんにマジ感謝(ラップ調で)

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『失われた時を求めて』第1篇「スワン家のほうへ」マルセル・プルースト/吉川一義訳

語りえぬものについても、沈黙したくない

小さな音が窓ガラスにして、なにか当たった気配がしたが、つづいて、ばらばらと軽く、まるで砂粒が上の窓から落ちてきたのかと思うと、やがて落下は広がり、ならされ、一定のリズムを帯びて、流れだし、よく響く音楽となり、数えきれない粒があたり一面をおおうと、それは雨だった。(第1巻p.230) 

<<感想>>

プルーストを語るのは難しい。

この圧倒的な傑作を前にして、私風情が何か言えることがあるのだろうか。

 

私はいつも、自宅ではハードカバーを、通勤中などの外出先では文庫本を読むことにしている。先日来、外出先で読んでいたのは別の文庫本だった。

ところが、ある日無性に『失われた時を求めて』を読み返したくなって、ふと手に取ったのが運のつきだった。

結局その日以来、他のよみさしの本をおっぽりだして、家でも外でも明けても暮れても『失われた時を求めて』に噛り付いてしまった。

 

しかし本書では、ドストエフスキーの大作のように、夢中になって朝まで読み耽ってしまうということはできない。それは本書がプロットらしいプロットの無い退屈な作品だからではなく、あまりに素晴らしい一節に胸が詰まり、先を継ぐことができなくなってしまう時がしばしば訪れるからだ。

 

本書が万人受けしない、読みにくい作品であることは明らかだ。しかし、一人でも多くの人にこの傑作に触れてほしいと思うから、今日は紹介文のノリで感想を書いてみたい。

 

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

 
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1-10①『アデン、アラビア』ポール・ニザン/小野正嗣訳

孤独な旅行者の夢想

万事上々。祈りとアブサンがゲームに加わって、文明国の市場では植民地株が上昇する。(p.30)

<<感想>>

なかなかどうして快作である。

本書をごくごく簡単に要約するとこうなる。

20世紀初頭、一人のフランス人の若者がアラビア半島のアデン(現在のイエメンにある港湾都市)まで自分探しの旅に出て帰ってくる。

ただそれだけである。しかし、これが実に面白い。

実は、本作はその要約から想像されるような紀行文ではない。それどころか、物語の体裁を維持しているのかも怪しく、従って文学作品というには躊躇がある。巻末のあとがきによると、パンフレ<風刺的小論文>というジャンルに属するらしいが、旅の合間に去来する思想的な断片が入れかわり立ちかわり書き連ねられて一つの作品をなしている。全体として、まるでニーチェ箴言集を散文にしたような雰囲気がある。

また、本作の著者ポール・ニザンは、凡庸な若者ではない。それどころか、ニザンは当代屈指のインテリ中のインテリ、フランスが誇る高等師範学校エコール・ノルマル・シュペリウール)の学生であった。従って、本作は時代や国が変わっても不変な、若者共通の叫びを代弁する―『オン・ザ・ロード』のような―作品にはなっていない。むしろその叫びには、実に深く時代性が刻印され、その上、その当時から見た未来の人文科学の方向性を予見するかのような断片が散見される。

 

アデン、アラビア/名誉の戦場 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-10)

アデン、アラビア/名誉の戦場 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-10)

 
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1-09『アブサロム、アブサロム!』ウィリアム・フォークナー/篠田一士訳

ディケンズ時々バルザック、そして

それが思い出というものの実体なのです―知覚、視覚、嗅覚、わたしたちが見たり聞いたり触れたりするときの筋肉―心でもない、思考でもないもの。どだい記憶などというものはありません。それらの筋肉が探りあてるものを脳髄が思いだすだけで、それ以上でもそれ以下でもありません。そしてその結果はたいてい不正確でまちがっていて夢の名にしか値しません。

<<感想>>

本全集のうち数冊は、大人買いを敢行する以前から持っていた。そのうちの一冊が本作だ。正直私の好みの作品ではなかったが、フォークナークラスの大作家になると、書きたいことが山ほどでてくる。

ただ、あんまり長く書いても仕方がないので、(いつもどおり)文体と文学史に着目してみたい。 

アブサロム、アブサロム! (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-9)

アブサロム、アブサロム! (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-9)

 
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