探し物は何ですか
だから実際には、あの朝フランツはホテルのベッドで本当は目を覚まさずに、新しい夢の層に移っただけだったのかもしれない。(p.178)
<<感想>>
もし、ナボコフという作家に興味を持って、読んでみようかな、と思っている方がこの記事をご覧になっているのであれば、今日の記事はそんな気持ちを萎えさせること請け合いだ。
ナボコフを読むのは本当に苦労をさせられる。
よく引用されるように、ナボコフ自身、「ひとは書物を読むことはできない、ただ再読することができるだけだ」*1と主張して、読者に再読を要求している。
本作も、初読のときはまるでひたすら相手のサーブが返せないテニスをしているような気持ちになった。だが、ただ黙ってベースラインに立っていたわけではない。初読の読書は、再読に備え、相手の球筋をじっくりと見極めるときだ。
初読のときに気になったナボコフの球筋を挙げると、ざっと次のとおりだ。
まずは『ボヴァリー夫人』と『アンナ・カレーニナ』だ。
主人公の一人、二十歳の若者フランツは、母の従兄である経営者ドライヤーを頼って上京する。ドライヤーの年下の妻、三十四歳になるマルタは、愛に飢え、やがてフランツと不倫関係になり、ドライヤーの殺害を画策する。
こんなプロットの本作からは、当然この二作品が想起される。
お次は、「鍵」のイメージだ。
13章構成の本作において、「鍵」という単語がやたらと登場する。それも、特定の鍵ではなく、さまざまな場面でさまざまな「鍵」が、物理的な対象として、あるいは比喩として登場する。
ナボコフで「鍵」といえば、『センチメンタル・ジャーニー』あたりがヒントだろうか・・・。
当然、「トランプ」のイメージも忘れられない。
表題からして『キング、クイーン、ジャック』だし、本文中にもトランプの比喩は数回登場する。ロシア文学でトランプといえば、当然『スペードの女王』を読み返さなくてはなるまい。
『スペードの女王』だけでなく、『青銅の騎士』もお招きしよう。
ドライヤーとマルタの家のライティングデスクの上には、ちゃっかりとそのものずばり青銅の騎士の像が置かれている(本作には二回登場する。)
商品や衣類が擬人化されて動きだしているかのように描写されるシーンは、『鼻』や『外套』からの着想だろうか?このあたりもチェックが必要だ。
この他にも、本作品には頻出するライトモチーフが色々とある。首と胴体が切り離されるイメージ、タバコ・葉巻・その煙、時計、霧(とくにマルタに帰せられる)などがそうだ。
さて、ここまで確認して、さぁ再読!というわけにはまだいかない。
『ボヴァリー夫人』、『アンナ・カレーニナ』、『スペードの女王』の気になった箇所を読み返すのが先だ。ついでに、『文学講義』の中のフロベール論、トルストイ論も読む。これを読みながら、手元に無かった『センチメンタル・ジャーニー』の注文もしなければならない。残念ながらHSJMだったので、大枚はたいてマケプレで購入だ。
『青銅の騎士』も読み直して、準備完了。
ここからが本当の読書のはじまりだ。
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