ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

文体を味わう

001『ジーザス・サン』デニス・ジョンソン/柴田元幸訳

銀の龍の背に乗って 「お前らにはわからんのだよ。チアリーダーだろうがチームのレギュラーだろうが、なんの保証もありやしないんだ。いつ何がおかしくなっちまうか、わかったもんじゃないのさ」と、自分も高校でクォーターバックか何かだったリチャードが言…

ナボコフ全短篇③―その他の初期作品 ウラジーミル・ナボコフ/秋草俊一郎他訳

あの日生まれた恋心 『ナボコフ全短篇』シリーズの3回目。今回は、アメリカで出版された4つの「一ダース」に収録されていない16作品、「その他」編である。 「一ダース」に収録されなかった理由は、VN本人がセレクトしなかった作品、発表されていたが逸…

『ナボコフ全短篇』②「独裁者殺し」ウラジーミル・ナボコフ/秋草俊一郎他訳

夢にまで見た淡い夢 前回の「ナボコフの一ダース」相当の13作品に引き続き、今回は4つの「一ダース」から「独裁者殺し」相当の作品を取り上げたい。 内容としてはロシア語時代の作品が12個に、英語時代の「ヴェイン姉妹」を加えた構成となっている。勢…

『ナボコフ全短篇』①「ナボコフの一ダース」ウラジーミル・ナボコフ/秋草俊一郎他訳

シャガールみたいな青い夜 経験上、短篇集の感想を書くのは大変だと知っているので、これまで避けていた作品集。 しかし、今回この鈍器オブ鈍器、作品社の漬物石【参考リンク】こと『ナボコフ全短篇』を再読する機会が訪れたので、これを気にブログで取り上…

『路上の陽光』ラシャムジャ/星泉訳

ナツメロのように聴くあなたの声はとても優しい ぼくが子どもの頃、村の年寄りたちは日向ぼっこをしながらマニ車を回していた。その頃はまだ、時という風は今ほど速くはなかった気がする。昼と夜は年寄りたちが回すマニ車のように繰り返しやってきて、果てし…

3-04『苦海浄土』石牟礼道子

生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに 海の上はほんによかった。じいちゃんが艫櫓ば漕いで、うちが脇櫓ば漕いで。 いまごろはいつもイカ籠やタコ壺やら揚げに行きよった。ボラもなあ、あやつたちもあの魚どもも、タコどもももぞか(可愛い)とばい。四…

『バベットの晩餐会』イサク・ディーネセン/桝田啓介訳

好きなの?って訊けたらいいのにね すぐれた芸術家というものは、お嬢さま、みなさんにはどうしてもお分かりいただけないものを持っているのです(p.91) <<感想>> だいぶ前に『アフリカの日々』を読んでお気に入りだったディーネセン。 このブログにも何度か…

『トリストラム・シャンディ』ロレンス・スターン/朱牟田夏雄訳

行儀よくまじめなんて出来やしなかった かりに私が・・・私の統治する王国をえらぶことをゆるされたとしたら、・・・私は心から笑う国民たちの国をえらびましょう。・・・私がもう一つ私の祈願に加えたいのは――神がわが統治する国民たちに、陽気であると同時…

『パラディーソ』ホセ・レサマ=リマ/旦敬介訳

花が咲いたら晴れた空に種を蒔こう 世界全体の知恵の樹において、いくつもの枝をついばんだことがあることが見られただけでなく、そのあとで、その同じ樹の葉で、自分の激しい批判的情熱の木の実を差し出すのだった。何かを学びとっては、そのあとでそれを粉…

『失われた時を求めて』第6篇「消え去ったアルベルチーヌ」マルセル・プルースト/吉川一義訳

映し出された思い出はみな幻に 人は死んでも、その人が芸術家で自己の一部を作品のなかにとりこんだ場合、その人のなにがしかは死後にも残存すると言われることがある。もしかするとそれと同じように、ある人から切り取られてべつの人の心に移植された一種の…

2-10『賜物』ウラジーミル・ナボコフ/沼野充義訳

輝ける君の未来を願う本当の言葉 百年後か二百年後に、ロシアではぼくは自分の本の中で、あるいは少なくとも研究者による脚注の中で、生きるだろうから。(p.556) <<感想>> 最初に少しモノを申したい。『賜物』という物語にではなく、『賜物』に付着している…

2-08②『老いぼれグリンゴ』カルロス・フエンテス/安藤哲行訳

情けないよでたくましくもある この地の唯一の意志は昔ながらの、悲惨な、混沌とした国以外のものには絶対にならないというかたくなな決意だった。彼女はそれをかぎとった。彼女はそれを感じとった。それがメキシコだった。(p.420) 私は何か大変に大きな勘違…

『チェヴェングール』アンドレイ・プラトーノフ/工藤順、石井優貴訳

好きな人や物が多すぎて 退屈な本は、退屈な読者から生まれる。(p.186) <<感想>> ---どちゃくそ面白いじゃねぇかよぉ、クソったれがよぉ!--- この怪作・奇作を他の作品で例えるのは難しい。強いていえば、神の代わりに共産主義を据えたドストエフスキー作品…

『魅惑者』ウラジーミル・ナボコフ/後藤篤訳

空と君とのあいだに 夢によくあるように、この細部には何かしらの意味が煌めいている。(p.516) <<感想>> 本作は、未来永劫公平な評価をされることはないだろう。細かい経緯は後で背景欄に示すが、本作は『ロリータ』【過去記事】の習作的な作品として位置づ…

『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ/若島正訳

ふたり出会った日が少しずつ思い出になっても Lolita, light of my life, fire of my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo. Lee. Ta. ロリータ、我…

『ソーネチカ』リュドミラ・ウリツカヤ/沼野恭子訳

かじかむ指の求めるものが 今回ロベルト・ヴィクトロヴィチが描いたのは何から何まで白い静物画数枚で、そこには「白」の本質について、フォルムについて、絵画の基礎を左右する質感について、それまで彼が苦労して考えてきたことがいろいろ映しだされていた…

2-05『クーデタ』ジョン・アップダイク/池澤夏樹訳

Imagine there's no countries おまえはエクソンによって抹消され、ガルフに巻き込まれ、アメリカによって押しつぶされ、フランスによって公民権を剥奪される。(p.264) “You will be Xed out by Exxon,engulfed by Gulf,crushed by the U.S.,disenfranchised…

『ボヴァリー夫人』ギュスターヴ・フローベール/芳川泰久訳

ようやく、愛妻、某ジャクソン夫人 一度、昼のさなかに、野原の真ん中で、日射しがもっともきつく古びた銀メッキの角灯に当たっていたときに、小さな黄色い布の窓掛けの下から、一つの手がにゅっと出て、破いた紙切れを投げ捨て、それが風に乗ってずっと遠く…

2-03②『軽蔑』アルベルト・モラヴィア/大久保昭男訳

振り返れば奴がいる 「だけど、昨日きみはこの住居が好きだって言ったじゃないか」 「あなたを喜ばすために言っただけよ・・・。あなたこそこの家に執着していると思ったから・・・。」(p.302) <<感想>> 既婚男性にはツラい小説である。 それは本作が、妻に…

『失われた時を求めて』第5篇「囚われの女」マルセル・プルースト/吉川一義訳

認識論的、蒐集的 朝、顔はいまだ壁のほうへ向けたまま、窓にかかる大きなカーテンの上方に射す日の光の筋がどんな色合いであるかを見届ける前から、私にはすでに空模様がわかっていた。通りの最初の物音が、やわらかく屈折して届くとそれは湿気のせいにちが…

『イリアス』ホメロス/松平千秋訳

ぼくたちの失敗 麦を打つ聖なる庭で、農夫らが箕をゆすり、黄金の髪の五穀の女神が、吹きつける風に任せて、実と籾殻を選り分ける時、籾殻の山は次第に白く盛り上がる―御者が絶えず戦車を旋回させ、再び戦線に加わらんと疾走する馬の蹄が、兵士らの間を青銅…

『失われた時を求めて』第4篇「ソドムとゴモラ」マルセル・プルースト/吉川一義訳

過ぎ去った季節に置き忘れた時間を おびただしい数の青いシュジュウカラが飛んできて枝にとまり、花のあいだを跳びまわるのを花が寛大に許しているのを目の当たりにすると、この生きた美も、まるで異国趣味と色彩の愛好家によって人為的につくりだされたかに…

『失われた時を求めて』第3篇「ゲルマントのほう」マルセル・プルースト/吉川一義訳

君は、刻の涙を見る われわれは自分の人生を十全に活用することがなく、夏のたそがれや冬の早く訪れる夜のなかにいくばくかの安らぎや楽しみを含むかに見えたそんな時間を、未完のまま放置している。だがそんな時間は、完全に失われたわけではない。あらたな…

『失われた時を求めて』第2篇「花咲く乙女たちのかげに」マルセル・プルースト/吉川一義訳

Overnight Sensation だが、それがどうしたというのか?今は、まだ花盛りの季節なのだ。(第4巻、p.533) <<感想>> 前回の「スワン家のほうへ」の記事【過去記事】では、一人でも多くの方にこの作品に触れてもらいたいという思いから、本作を読むためのコツを…

『アンナ・カレーニナ』レフ・トルストイ/木村浩訳

一物四価 アンナはショールを取り、帽子を脱ごうとしたが、そのひょうしに、カールしている黒髪の一束に帽子をひっかけ、頭を振って、髪を放した。(上巻、p.141)*1 <<感想>> この記事を書いている現在、当ブログでは20世紀の作品ばかりを紹介している。 …

『キング、クイーン、ジャック』ウラジーミル・ナボコフ/諫早勇一訳

探し物は何ですか だから実際には、あの朝フランツはホテルのベッドで本当は目を覚まさずに、新しい夢の層に移っただけだったのかもしれない。(p.178) <<感想>> もし、ナボコフという作家に興味を持って、読んでみようかな、と思っている方がこの記事をご覧…

『マーシェンカ』ウラジーミル・ナボコフ/奈倉有里訳

けりをつける アルフョーロフは座ったままもぞもぞと体を動かし、二回ほどため息をつくと、小さく甘い音色で口笛を吹き始めた。やめたかと思うと、また吹く。そうして十分ほどが経ったとき、ふいに頭上でカシャリと音がした。(p.14) <<感想>> ナボコフはやっ…

1-10②『名誉の戦場』ジャン・ルオー/北代美和子訳

人に歴史あり 獲物を罠にかけたおばちゃんは、そう簡単には放してくれない。あのなんとか沿いの、どこそこ村の、かんとか夫人よ。だれそれさんの奥さんで、何某のお嬢さん―けれども、解説は非常に遠いところから(少なくとも三世代前から。誕生、結婚、職業…

『失われた時を求めて』第1篇「スワン家のほうへ」マルセル・プルースト/吉川一義訳

語りえぬものについても、沈黙したくない 小さな音が窓ガラスにして、なにか当たった気配がしたが、つづいて、ばらばらと軽く、まるで砂粒が上の窓から落ちてきたのかと思うと、やがて落下は広がり、ならされ、一定のリズムを帯びて、流れだし、よく響く音楽…

1-09『アブサロム、アブサロム!』ウィリアム・フォークナー/篠田一士訳

ディケンズ時々バルザック、そして それが思い出というものの実体なのです―知覚、視覚、嗅覚、わたしたちが見たり聞いたり触れたりするときの筋肉―心でもない、思考でもないもの。どだい記憶などというものはありません。それらの筋肉が探りあてるものを脳髄…