命短し本読め乙女
ブログ開設からはや10か月。ようやく池澤夏樹=個人編集 世界文学全集の第1集を読了したので、ここらで一度総括をしたい。
第1集は全12冊。1冊に複数の作品を収録しているものもあるから、全部で18の作品があった。なお、うち1つは短編集(残雪)であるが、これについてはまとめてひとつの作品としてカウントした。
作家の属性分布
さて、まずは客観的なデータから俯瞰してみよう。
第一集では、男性作家の作品が11作品、女性作家の作品が7作品となった。
旧来の文学全集に採録されるものは、ほとんどが男性作家の作品であったわけ*1だから、これは本全集の、あるいは20世紀の文学状況の特色の一つといえるかもしれない。
とはいえ、まだまだ20世紀では「文学」として扱われている作品の数自体、男性の手によるものが圧倒的に多く、若干セレクションに無理を感じる(実際、第2集ではもう少し女性比率が下がっている)。
続いて、第一集の作家の出身地分布は次のとおりとなった。
- フランス 5作品
- アメリカ、イタリア、アジア地域、アフリカ 各2作品
- 南米、北欧、東欧、ロシア、イギリス 各1作品
こちらも、旧来の文学全集のイメージとは大きく異なる。
フランスの作品はやはり多いが、イギリス、ロシアといった文学全集の常連がそれぞれ1作品ずつしか所収されていない。そして、ドイツの作品に至っては1つも入っていない。
これにかわって、アジア、アフリカ、南米といったニューワールドの作品がふんだんに盛り込まれている。これは、本全集の魅力の一つといって良いだろう。
お気に入り分布
続いて、毎度毎度勝手につけているお気に入り度の分布は次のとおりとなった。
- ☆☆☆☆☆ 2作品
- ☆☆☆☆ 4作品
- ☆☆☆ 3作品
- ☆☆ 5作品
- ☆ 4作品
全体として辛口に過ぎるのではないかと反省しないでもない。
とはいえ、当ブログは広く古今東西の文学作品を取り上げることを目指しており、そうした相対的評価のもと☆☆や☆が登場するのは避けられない。
また、自分の好みで選んで買った作品たちと異なり、池澤夏樹氏のセレクションに全面的に委ねているわけだから、ある程度好みと異なる作品が含まれることは不可避である。
そして肝心なのは、気に入らなかった作品を読む経験というのも、読書の楽しみの一つに数え上げられることだ。
お気に入りランキング&短評
さていよいよお気に入りランキングを発表しよう。
第一位:『巨匠とマルガリータ』ミハイル・ブルガーコフ/水野忠夫訳
第一位は『巨マル』と『存在の耐えられない軽さ』の一騎打ちだが、ここは前者に軍配を上げたい。
確固としたプロット力、カオスな物語展開、刺さる思想性、香り立つ文学史、文学作品に求められる種々のポイントを高いレベルで兼ね備えている。
お気に入り度:☆☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆
第二位:『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ/西永良成訳
こちらも高いレベルのプロットと、作者特有の音楽的な構成とが緊密に融合した質の高い作品だ。この著者の魅力は、文体というよりもむしろ構成である。
一見すると、ニーチェやらパルメニデスやらややこしい感じがするが、大筋は恋愛物語であり、さほど読みにくくはない。
文学オタクだという自覚のない方には、ブルガーコフよりもむしろこちらをお勧めしたい。
お気に入り度:☆☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆☆
第三位:『楽園への道』マリオ・バルガス=リョサ/田村さと子訳
これは面白かった。素直に先が気になるプロットであるが、非常に凝った構成となっている。さらに注目すべきは、非常に技巧的な文章構成をしている点だ。すでに名を馳せた著名作家の晩年の作品だけあって、中々に読み応えがある。
上記リンク先の感想では、本作の偶数章のテーマになっているゴーギャンの絵画を調べて、参考リンクを張っているので、ぜひご覧いただきたい。
なお、第1集では本作だけが21世紀の作品である。
お気に入り度:☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆
第四位:『アフリカの日々』イサク・ディネセン/横山貞子訳
最も良い方向に期待を裏切られた作品。
美しい情景を、美しい文章で描く。かつて長らく詩が担ってきた役割である。
これを、非常に現代的な散文の形式で実現したのが本作だ。
プロット的には山にも華にも欠けるため、好みはわかれそうだ。
しかし、物語も文章も平易なため、決して読みづらい作品というわけではない。
お気に入り度:☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆
ディネセンとどっちを四位にするか悩んだ。
正直本当の「お気に入り」はこちらなのだが、ちょっとあまりに文学作品ぽくないので泣く泣くディネセンを上にすることにした。
生意気なクソガキが世を斜に見た皮肉集である。ところどっこいそのクソガキ、頭のキレが半端ない。
本作はどちらかという文学好きというより哲学好きにお勧めしたい一作。
お気に入り度:☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆
第六位:『鉄の時代』J・M・クッツェー/くぼたのぞみ訳
『鉄の時代』も、リョサの『楽園への道』同様、著名作家の円熟の筆によるものであり、完成度は非常に高い。特に、男性作家にして老婆を主人公に据え、それでいて違和感を感じさせることのないあたりは見事だ。
ただ、いかんせん『鉄の時代』は重たい・・・。
是非ともこころに余裕があるときに挑戦してほしい。
お気に入り度:☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆
第七位:『モンテ・フェルモの丘の家』ナタリア・ギンズブルグ/須賀敦子訳
☆3個と☆4個の違いは、その著者の他の作品も読んでみたいと思ったか、といったところを大よその区別基準にしている。そして☆4個と☆5個の差は、それが実際に行動に移るかどうかだ*2。
本作も面白いといえば面白かったのであるが、他作品も読みたいと思わせてくれるほどの深みを感じさせてくれるまでには至らなかった。
読みやすさ、というだけの基準でいえば、第1集の中ではトップクラスに読みやすい作品だ。
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆
第八位:『暗夜』残雪/近藤直子訳
強烈な印象を残した作品(集)であることは間違いない。
ただいかんせん、「わからない」のである。あるいは、「わかられる」ことを明確に拒絶されている感じを受ける。
「わからない」以上、ものすごく気に入ったというのも変なので、この位置においてみた。正直、☆3個なのかどうかも未だによくわかっていない。
文学の好みの上位にカフカを挙げる人であれば、チャレンジする価値は大いにありそうだ。
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆
第九位:『ハワーズ・エンド』E・M・フォースター/吉田健一訳
正直☆2個と迷った作品。
リョサやクッツェーと同様、完成度の高い作品であることは疑いえない。
プロットも堅固だし、作品の持つ思想性もストレートに伝わってくる。
問題は、あまりにも記号的な表現に終始している点である。それがあまりに単調で、ダブルミーニングや多様性、不定性といった、文学的表現の魅力を奪っているのが残念である。
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆
第十位:『アブサロム、アブサロム!』ウィリアム・フォークナー/篠田一士訳
最も悪い方向に期待を裏切られた作品。
当ブログの☆は客観的な評価を目指しているのではなく、あくまで私の主観的な好みを表明しているに過ぎない。
私はかつて、ドストエフスキーの長編に低い評価を下す人について、気がしれないと思っていた。しかし本作を読んで初めてその感覚がわかるようになった。
なんというか、周波数が絶望的に合わないのだ。
凄く合うにせよ、私のように拒絶するにせよ、一度読んでおいて損はなさそうだ。
お気に入り度:☆☆
人に勧める度:☆☆☆☆
第十一位:『悲しみよこんにちは』フランソワーズ・サガン/朝吹登水子訳
決して悪い作品ではない。それどころか、名作・良作・佳作の部類にきちんと入ると思う。
ただ、なんだかんだみなさんもう読んでません?どこの書店でも新潮海外の棚に置いてあるし、新潮文庫◎◎の百冊!なーんてのにもしょっちゅう顔を出す。
何よりも薄い。薄いことはいいことで、手に取るハードルをぐっと下げてくれる。
しかし、文学オタク向けには、ちょっと物足りなさと甘さがつきまとって離れないといわざるを得ない。
お気に入り度:☆☆
人に勧める度:☆☆☆
第十二位:『オン・ザ・ロード』ジャック・ケルアック/青山南訳
以前に、名作には時代性と同時に普遍性が備わると書いたことがある。
この点本作は、時代性が前面に出ている作品だ。
前の世代か、前の前の世代の「若者の反乱」。
対象年齢の方には刺さるのかもしれないが、同じ「若者の反乱」なら、私はニザンを推したい。
お気に入り度:☆☆
人に勧める度:☆☆☆
第十三位:『名誉の戦場』ジャン・ルオー/北代美和子訳
優等生的な作品。出版社にも、編集者にも審査員にも喜ばれそうだ。
ただ、カタルシスがちょっと安っぽくて、まるでNHKの夜の番組か日本語ラップのようだ。
わざわざ文章なんていうしちめんどくさいメディアを使っているんだから、テレビサイズの感動とは違った何かを見せてほしい。
お気に入り度:☆☆
人に勧める度:☆☆
第十四位:『戦争の悲しみ』バオ・ニン/井川一久訳
『オン・ザ・ロード』と同じように、こちらもやはり時代性を強く感じる。
『戦争の悲しみ』と『オン・ザ・ロード』を併せて読むと、ヒッピー、ディラン、ビートルズ(イギリス人だけど)に代表されるような、文化的親米と、日米安保、ベトナム反戦運動に代表されるような、反米ナショナリズムとが同居する当時のセンチメンタリズムが透けて見える。
複雑な時系列を操り、語りの質を多層化するなど、作品の技術的なレベルは高い。
お気に入り度:☆☆
人に勧める度:☆
第十五位:『アルトゥーロの島』エルサ・モランテ/中山エツコ訳
ここから先は☆1個ゾーン。どれもこれも積極的に「嫌い」な要素が含まれている作品である。種明かしをすると、不美人競争で順位を決めた。
モランテとデュラス双方にみられる「嫌い」要素はフロイト的なニュアンスである。
フロイトの成果の是非はひとまず置くにしても、単にフロイト的な神話の焼き直しを見せられるだけなのであれば、それは退屈というほかない。
お気に入り度:☆
人に勧める度:☆
第十六位:『愛人 ラマン』マルグリット・デュラス/清水徹訳
16位と17位はともにデュラスの(似たような)作品。
敢えて同じ作者の若いころと年老いたころの、主題が似通った作品がチョイスされている。これを比較する楽しみは確かにあるだろう。
さりとて、こちらもフロイト的な主題が鼻につく。何より、作者の迸る自意識が読んでてつらい。
ケータイ小説笑などと揶揄しておきながら、こちらを上位に据えたのは、やはり時折見せる文章の妙が、円熟期の作家の力量を見せつけてくれるからだ。また、本全集のほかの作品にもみられるように、時系列の組み換えや語りの視点の多様化など、20世紀文学らしい特徴も見逃せない。
お気に入り度:☆
人に勧める度:☆
第十七位:『太平洋の防波堤』マルグリット・デュラス/田中倫郎訳
当時書いた感想を再び読んでみた。
「清々しいほどつまらなかった」だって。
なんとも酷いコメントである。ただ、残念なことにこの感想はいまも変わらない。
『愛人 ラマン』にみられたような、20世紀的な構成はまだこの作品には見られず、かえってこちらの作品のほうが読みやすい。
お気に入り度:☆
人に勧める度:☆
第十八位:『やし酒飲み』エイモス・チュツオーラ/土屋哲訳
ほかの☆1個作品に対して思うのは、「好みではない」という印象だ。
他方、本作は「水準に達していない」という印象が強い。それが本作を最下位とした理由だ。
私は、文学は言語による芸術だと思っている。稚拙な言語表現から芸術が生まれることはない。小学生の落書きは、それがいくら前衛的に見えようと落書きに過ぎない。
むしろこの作品が賞揚された背景には、ある種のオリエンタリズムか、コロニアリズムの裏返しがあるように思えてならない。
お気に入り度:☆
人に勧める度:☆☆
総括
本全集には、あらゆる意味で「20世紀」が詰まっている。
ニューワールドの作家の台頭(『楽園への道』、『鉄の時代』、『やし酒飲み』)、女性の躍進(『アフリカの日々』、『悲しみよこんにちは』、『愛人 ラマン』)、歴史的な事件(『巨匠とマルガリータ』、『存在の耐えられない軽さ』、『戦争の悲しみ』)、若者の反抗(『アデン・アラビア』、『オン・ザ・ロード』)、社会や家族の在り方の移り変わり(『モンテ・フェルモの丘の家』、『名誉の戦場』、『ハワーズ・エンド』)などなどである。
また、その書かれ方も極めて20世紀的な作品が多く、多くの作者は語ることそれ自体に対して自覚的に書いている。
時系列は錯綜し(『存在の耐えられない軽さ』、『アブサロム、アブサロム!』、『愛人 ラマン』)リアリズムが幻想に変わり(『巨匠とマルガリータ』、『暗夜』、『やし酒飲み』)、語りの視点は複雑化(『存在の耐えられない軽さ』、『アフリカの日々』、『戦争の悲しみ』)する。
過去の偉大な作家・作品からの影響も見逃せない。『巨匠とマルガリータ』、『存在の耐えられない軽さ』、『鉄の時代』の背後には、トルストイ翁の鋭い視線が控えている。リョサ、ギンズブルグ、ルオーはそれぞれフローベールを研究、翻訳している。『アデン・アラビア』と『オン・ザ・ロード』にはどちらにも『失われた時を求めて』が登場し、サガンはその登場人物から自身のペンネームを名付け、ギンズブルグはこれを翻訳している。
第1集からこれらの特徴をよくとらえた一冊をセレクトするなら、やはり『存在の耐えられない軽さ』をお勧めしたい。
これまでの文学全集にありがちの19世紀の作品とは一線を画すため、決して読みやすい、素直な物語ではない。
反対に、敢えて第1集の中から、王道的な読みやすい物語を選ぶなら、『モンテ・フェルモの丘の家』か、『悲しみよこんにちは』をセレクトしたい。
・第二集の記事はこちら
*1:例外はオースティン、ジョージ・エリオットあたりか?