ウラジーミルの微笑

池澤夏樹=個人編集 世界文学全集の全巻読破を目指します

『ジェイン・エア』シャーロット・ブロンテ/河島弘美訳

残酷なブロンテのテーゼ

ジョージアナ、あなたみたいに虚栄心が強くて愚かな生き物が、この地上に存在するなんて許されないわね。生まれてくるべきじゃなかったのよ。人生を無駄にしているんですもの。」(下巻、p.39)

 <<感想>>

ジェイン・エア』は、多くの文学マニア・文学好きの「読まず嫌いリスト」に入っている。

それは、この作品が、①恋愛をテーマにした、②かつての被虐者が後に幸福を獲得するという意味のでシンデレラストーリーであり、③ロマン主義的傾向のある、④広く一般ウケする作品で(もしくはそうした先入観が)あるからだ。

これでは到底、文学オタク諸兄のスノビズムをくすぐることはできない。

だって、ヒースクリフがどうこう、ロチェスター様がどうこう言っているより、ウルフでも読んで、モダニズムどうこう、ブルームズベリー・グループどうこう言うほうが、なんかカッコイイでしょう?

 

冒頭から断言調で入ったが、とりわけスノッブな哲学科の同級生で、彼女らの作品を読んでいた友人はいなかったように思う。はたまた、知的な書評で知られるあのサイトやこのブログだって、『ジェイン・エア』をスルーしているところは多いでしょう? 

 

かくいう私も、これまで本書を手に取ろうとしたことはなく、ジーン・リースを読んでやろうというきっかけでもない限り、おそらく一生読む機会はなかっただろう。

 

ジェイン・エア(上) (岩波文庫)
 

 

結論を書いてしまうには早い気もするが、実際に読んでみても、さきに挙げた先入観を大きく覆すには至らなかった。

例えば、開幕直後の第2章。

・・・これまで経験したことのない罰を免れなくなったと知って、反乱奴隷のように捨てばちな気持ちに襲われ、こうなったら何でもやってやる、と心に決めた。(上巻、p.17)

わたしの血はまだ熱く、反旗を翻した奴隷のような気持ちで、その憤怒が力となってわたしを支えていた。(上巻、p.23、強調はいずれも引用者による)

この短い間隔で、同様の比喩が使い回されており、表現力が高いとは言い難い。

従って、文学好きの背筋を揺さぶる作品とはどうも言えそうにない。

 

とはいえ、プロット的には、やはりこれまで多くの読者を惹きつけてきただけのことはある。『モンテ・クリスト伯』【過去記事】などの金字塔とは比べられないが、山あり谷ありの展開で、中々に読ませるものがあることは否定できない。

しかし、ここで一つ新たな疑問が生じてくる。

実はプロットが面白い作品というのは無数に存在する。特に、恋愛モノなどというのは、数多の競合が溢れるジャンルだ。作劇上の技術的な進歩も見逃せないため、それこそ、ハリウッド映画などを探せば、本作に比肩するプロットの作品はいくらでも見つかりそうだ。

では、それなのになぜ、本作はかくも超メジャーの位置を保ち続けることができるのだろうか*1

 

ここで、他のイギリスの女性作家と比べてシャーロット・ブロンテの物語の特徴がどこにあるか示してみたい。

まず、冒頭に挙げたヴァージニア・ウルフ過去記事】であるが、ウルフの文章を読むと、ウルフの知識がほとばしっているのが感じられる。

他方、ジェイン・オースティン過去記事】は、天賦の才を与えられたという意味での天才に過ぎない。彼女の文章からは、ただひたすらに才能のほとばしりが感じられる。

これに対して、シャーロット・ブロンテの文章からほとばしっているのは、やはり、感情である。とりわけ、反抗や抵抗、憎悪など、負の感情を書いたときのパワーが凄い。

例えば、4章では、

・・・前にもわたしにすさまじい行動をさせた、激しい怒りと自暴自棄の反抗心を再びかき立てられてわたしが直ちに反撃に出たため、ここはやめておくほうがいい、と考えたらしい。(上巻、p.49)

心に悪い感情が渦巻いているのが、自分でも感じられたからだ。(上巻、p.51) 

一語一語がはっきり耳に聞こえ、胸に刺さるようで、激しい憤りの念が湧き上がってきた。(上巻、p.66) 

このド直球の表現の繰り返しである。

続けて読んでいると、作家が、怒れるジェインを描出しているというより、作家自身がジェインになり、その憤慨が抑えきれずに文章が作られていっているような印象を受ける。

また、同趣旨の表現でも、肯定的に書いた文章よりも否定的に書いた文章の方がノリノリである

まずは、女性の自立の宣言とされる有名な箇所より、

一般的に女性は穏やかだと思われているが、女にも男と同じ感情がある。能力を発揮し、努力の成果を生かす場を、男性同様に必要としている。あまりに厳しい束縛やあまりぬ動かぬ沈滞には、男性同様に苦しむのだ。女は家に閉じこもって、プディングを作ったり、靴下を編んだり、ピアノを弾いたり、布袋に刺繍をしたりしているのが当然だなどというのは、より多くの特権を享受している男性側の偏狭な考えだ。(上巻、p.216)

今度は逆に、自立しようとしない女性を糾弾しているのが次の箇所で、冒頭にも引用したジョージアナに対する語りかけの直後に続く。

「・・・。分別のある人間なら、自分を見つめ、自尊心を持って、一人で生きていくのが当たり前なのに、あなたときたら自分は弱いまま、他人の強さにすがろうとするのね。意志薄弱で役立たずの、その太った身体を喜んで背負ってくれる相手が見つからないとなると、ひどい目にあわされた、無視された、不幸だと言って泣きわめくばかり。・・・。人から褒められ、おだてられ、求愛されなくてはだめ、音楽とダンスと社交生活がなくてはだめ、さもないとあなたは萎れて倒れてしまうのよね。自分の努力と意志だけの力で、他人に頼らずに生きる手立てを講じるつもりはないの?」(下巻、p.39)

いかがだろうか?

私には、こうした負の感情、攻撃的な感情の表現こそが、多くの読者を惹きつける要因のように思える。

 

お気に入り度:☆☆

人に勧める度:☆☆☆

 

<<背景>>

1847年発表。すなわち、時代的にはヴィクトリア朝の華やかなりし頃である。

遅れてきたロマン主義の残光であり、意外にもオースティンよりも後発である。

シャーロット・ブロンテがオースティンを評した文章も残されているようだ。

 

本作は先行作品を殆ど引用しないが、唯一引用されるのが聖書である。

しかし、よくよく読んでみると、キリスト教信仰に対してもずいぶんと反抗的な一面が垣間見える。世が世なら宗教裁判である*2。 

例えば、ジェインは妖精に、ロチェスターは鬼火に擬せられる。これはケルト的な一種のアニミズムの名残なのだろうか?

また、ロチェスターの恋敵にあたるセント・ジョンの結婚の祈りが、キリスト教的な「神」に聞き届けられるや否や、自然崇拝的な不思議な力によって、ロチェスターの声がジェインに届く、といったシーンも興味深い。 

 
<<概要>>

一人称回想体。作者=作中のジェイン自身という設定である。

全38章構成で、その上や下に区切りはない。

なお、章といっても各章ごとのページ数のばらつきは大きい。

内容的には、次の3つの大括りに分かつことができそうだ。

1章-10章:幼年期編

11章-27章:ロチェスター

28章-38章:セント・ジョン編

このうち、冒頭の幼年期編のところが、ジェインが虐げられている分、ヘイトが溜まっており、シャーロット・ブロンテの筆圧の強い文章がよくあらわれている。

 

<<本の作り>>

2013年に翻訳されたものであり、訳文はとても平易で読みやすく、申し分ない。

想像するに、原文も比較的平易なのではないだろうか。

訳注はほとんどなく、僅かに引用元を示す割注がある程度であるが、やはり内容自体が平易であるため、これに不足を感じることもない。

他の訳文と比較したわけではないが、オススメできる。

 

*1:一度メジャーの地位が確立されてしまったため、それが再生産され続けているからだ、というつまらない回答はこの際横に置いておこう

*2:https://www.youtube.com/watch?v=Tym0MObFpTI