ぼくたちの失敗
麦を打つ聖なる庭で、農夫らが箕をゆすり、黄金の髪の五穀の女神が、吹きつける風に任せて、実と籾殻を選り分ける時、籾殻の山は次第に白く盛り上がる―御者が絶えず戦車を旋回させ、再び戦線に加わらんと疾走する馬の蹄が、兵士らの間を青銅の蒼穹に向けて、濛々と砂埃りを巻き上げ、その砂埃りを頭から浴びたアカイア勢は、さながらかの籾殻の山の如く白くなった。(上巻、p.162)
<<感想>>
いやー、参った参った。
何が参ったってこの『イリアス』、久々にいわゆる「挫折」をしたのだ。
別に一篇の著作を最初から最後まで読破することだけが読書だとは思わない。
それに、「積読」の量をすでに数ではなく蔵書の内の割合で測り、併読も全く辞さない状態で、何が「挫折」かと定義を問われるとちょっと回答に窮するかもしれない。
それでも、ひとまず巻頭から読み進め、ちょうど下巻に差し掛かるか否かのあたりで、明確にもう読むに堪えないという感覚と、別の本を読み進めようという強い決意とを抱いた点で、これは私にとって明らかに「挫折」だったのだ*1。
その理由はただ一つ、ひたすらに退屈だったからだ。
何か胸を躍らせてくれるような戦記物を読みたい!と思って本書を手に取る人は稀だろう。
恐らく、ほとんどの人が、「絵画、音楽、映画、漫画、ゲームの元ネタが知りたくて」とか、「ギリシア神話に興味があって」とか、「歴史や考古学が好きだから」とか、「西洋思想の本質を理解するためには新旧聖書とギリシア哲学、ホメロスあたりは必須ですな。ドゥフフ。」とかといった邪(?)な目的から入るに違いない。
かくいう私も、これまでホメロスをしっかり読もうとしたことはないけれど、次に読む予定の『カッサンドラ』を読むために、これくらいは読んでおかないといかんのかな、と思って読み始めたのだ。
『イリアス』は周知のとおり*2、トロイア戦争(あるいはトロイア「伝説」)について描かれた作品である。
トロイア戦争といえば、西洋絵画の画題でお馴染みの*3「パリスの審判」が発端となり、ギリシア方とトロイア方とに分かれ、なんか耳馴染みのある英雄が耳馴染みのある神様を巻き込んで戦争し、最後はトロイの木馬のおかげでギリシア方が勝つ、といったイメージを持たれているのではないだろうか。
さらに個人的にいえば、『カッサンドラ』の準備として、カッサンドラが小アイアースに凌辱される場面や、アガメムノンが殺される場面にも興味を持っていた。あるいは、『アブサロム!アブサロム!』(過去記事)の登場人物の元ネタである、クリュタイムネーストラーの原典も確認したいとの思いもあった。
しかし、ここからがあまりお馴染みでない話で、なんと『イリアス』には、パリスの審判も(!)、小アイアースの凌辱も、アガメムノンの死やクリュタイムネーストラーの謀略も、そしてトロイの木馬さえも(!!)、ちらりとも登場しないのである。
従って、『イリアス』の真実の中身とは、「なんか耳馴染みのある英雄が耳馴染みのある神様を巻き込んで戦争」する場面に終始するのだ。
- 作者: ホメロス,Homeros,松平千秋
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1992/09/16
- メディア: 文庫
- 購入: 11人 クリック: 53回
- この商品を含むブログ (56件) を見る
*1:その後結局、プルーストに逃避し、ナボコフに逃避し、ロシア文学に逃避し、先日どうにかこうにか読み切った。
*2:だから、この「周知のとおり」とか言わせたり思わせたりしちゃうのがまさにホメロスの罠なのだ。
*3:また罠である。