ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

『失われた時を求めて』第2篇「花咲く乙女たちのかげに」マルセル・プルースト/吉川一義訳

Overnight Sensation

だが、それがどうしたというのか?今は、まだ花盛りの季節なのだ。(第4巻、p.533)

<<感想>>

前回の「スワン家のほうへ」の記事【過去記事】では、一人でも多くの方にこの作品に触れてもらいたいという思いから、本作を読むためのコツをご紹介した。

今回は「花咲く乙女たちのかげに」を取り上げるが、この内3巻のあとがきでは、訳者自身が「読みづらい巻」であると認めている。

ここが難所である理由は、開幕の1巻や、本作の中ではむしろ特異な、「普通の小説」のような2巻を過ぎ、いよいよよくも悪くもプルーストらしさが出てくることに求められると思う。

 

そこで今回はいつもとは趣向を変えて、Q&A方式で読者が疑問に思う箇所を明らかにしつつ、なぜそうした疑問が湧くような作りになっているのかを明らかにしたい。

  

まず前提として、今日この感想で取り上げるのは、全7篇のうちの第2篇だ。

第2篇は、岩波文庫版では第3巻から第4巻にあたる。

第2篇は2部からなり、それぞれ次の題が付されている。

 第一部:スワン夫人をめぐって

 第二部:土地の名―土地

岩波文庫版では、第一部が第3巻に、第二部が第4巻にそれぞれ収録されている。

第一部「スワン夫人をめぐって」は、内容的には第一篇第三部「土地の名―名」の続きであり、第一篇「スワン家のほうへ」に位置づけられるべきだという点だ。タイトルにある「花咲く乙女たち」が登場するの第4巻だし、第3巻のパリと第4巻のバルベック*2では舞台も異なり、内容的な区切りが見られる。

これは、執筆時の計画よりも、分量がどんどん長くなっていってしまったという、本作の成立史に関係があるようだ。つまり、第一篇第二部「スワンの恋」までですでに長くなりすぎていたため、やむなく篇を改めた、ということのようだ。

このため、頭の中の整理としては、岩波文庫版1巻~3巻までと、4巻とで区切った方がわかりやすい。

それでは本題に入ろう。

 

Q1.ジルベルトがなかなか出てこなくて退屈です。

A1.第2篇第一部はオデットが主役です。

第二篇第一部「スワン夫人をめぐって」は、内容的には「土地の名―名」の続きである。このため、どうしても語り手のジルベルトに対する初恋を中心に物語が進んでいくと思いがちである。

しかし、この思い込みこそが罠であり、挫折の原因になっているように思える。

第二篇第一部のタイトルは、「スワン夫人をめぐって」である。つまり、実は本巻で描写の軸足が置かれているのは、スワン夫人ことオデットに他ならない。

このため、読み手もそれを意識した方が読みやすい。

 

Q2.ジルベルト、「わたし」、アルベルチーヌの年齢がよくわかりません。

A2.ジルベルトは14~15歳、わたしも同程度、アルベルチーヌはジルベルトより少し年下です。

実はほんの数か所、年齢が仄めかされる箇所がある。

まずは「わたし」については、"コレージュ"に通っていることが示される(第2巻、p.470)。"コレージュ"はwikipediaによれば、11歳~14歳で通う学校を指す。つまり、「土地の名―土地」の頃の「わたし」が、最上級学年だと仮定すると、14~15歳ということになる。第3巻、ノルポワ氏来訪のあとに1月1日が巡ってくる(p.139)から、「おやつの会」の頃はそれぞれ15~16歳ということになろうか。

アルベルチーヌについては、ジルベルトによる次のセリフが用意されている。

「それって、あたしの知ってる女の子の叔父さんよ。その子、あたしと同じ授業に来てるの、下のクラスだけど、「アルベルチーヌ」っていう有名な子だわ。・・・」(第3巻、p.192)

ところが、こうして年齢を特定してほっと胸をなでおろすと、実は後述する次の罠が待ち構えている・・・

 

Q3.「わたし」ってブルジョワ?貴族?どんな家柄なの?

A3.「わたし」はブルジョワで、官房長の息子です。

まず、3巻冒頭でどうも役人らしいことが示されていた「わたし」の父親だが、4巻で官房長という役職であることが明かされる。

「あなたは官房長の息子さんでいらっしゃいますか?」(p.144)

さらに、「わたし」の祖母に対して、ヴィルパリジ侯爵夫人(貴族)が話すシーンで次のような描写が登場する。

・・・貴婦人たるものブルジョワにたいしては、相手に会うのを嬉しいと感じていること、自分が尊大な人間ではないことを示さねばならないという、貴族の流儀を思いおこしたのだ。(p.191)

なお、作者プルーストも父は役人で、「ブルジョワ」といえるほどの資産があったのは、母方の血縁によるようだ。

物語もすでに4巻にもいたって、ようやく「わたし」 の属性が明らかになった。

これは「わたし」に対する客観描写がないことに基づくのであり、本作の際立った特徴といえる。

 

Q4.ヴィルパリジ侯爵夫人とかゲルマント公爵夫人とかシャルリュス男爵とか、さっぱりわかんねぇよ!

A4.全員「ゲルマント家」の人々です。5巻を買いましょう。

自身ゲルマント家の人物であるサン=ルー自身が自嘲する通り、ゲルマント家の家系図爵位は複雑だ。貴族の爵位噺家の高座名のように、襲名されうる。

これが、実は先走って第5巻を買っておくと、訳者の手による系統図が付いていて実に便利である。

ただ、「わたし」と同様に敢えて混乱しながら読み進めてみるのも一興といえる。

さらにいえば、このお三方(もっといえばサン=ルーも、カンブルメール氏も)、すでに「コンブレー」で登場済なのである。

 

Q5.自分が読んでいたはずの場面を見失うことがあります。

A5.できるだけまとめて読むことと、巻末の場面索引を使うのがコツです。

プルーストと過ごす夏』の編者ローラ・エル・マキは、夏休みに読むことを奨励した。日本人はフランス人ほど長い夏休みは取れないため、これに賛成はしないが、そうかといって、通勤電車で読む30分ではちょっと心もとない。

細切れの読書では、どうしても入れ子になった場面*3の途中で中断を迫られることになり、いま読んでいる箇所の立ち位置を見失いがちだ。

そこで、巻末の「場面索引」を上手に使うのがお勧めだ。

本作では、篇の下に部があるっきりで、章や節がない。そればかりか、行アキやアスタリスクさえ殆ど登場しないまま、文庫本一冊の本を消費するというまことに珍しい作品だ。

初読時に、適切な切れ目や見つけたり、読んでいる箇所の立ち位置を確認するには、この「場面索引」が便利だ。場面索引で、太字で書かれているのを一章として捉えて、この一章分ごとに読み切っていくと、無理なく読み通すことができる。

 

Q6.ぶっちゃけ、ジルベルトの人物造形失敗してね?

A6.仕様です。

ありきたりな恋愛小説であれば、主人公が知らない情報(例えば、恋人の本当の気持ち、など)を、作者がそっと読者にだけ開示することがよくある。これによって、これを知りえない主人公の行動に、やきもきさせられたりする。

それと同時に、恋人自身の内面をも描写することにより、恋人という人物の立体的な描写を可能にする。

ところが、プルーストは敢えてそうしない。むしろ、恋人の情報を描かないことによって、恋という病にかかる「わたし」の主観的な懊悩を抉り出しているのである。

この点は、プルースト自身がネタばらしをしている。

さらに小説家が、ほかの登場人物にはさまざまな性格を描き分ける一方で、愛する女性にはなにひとつ性格を与えない配慮をするなら、それによって新たな真実をもうひとつ表明することになるかもしれない。・・・愛する女性にいだくわれわれの好奇心は知性の限界を越えてとび出し、その好奇心の描く軌道は問題の女性の性格をも越えてしまう。(第4巻、p.538)

 

Q7.結局、どうすれば読みやすくなるのさ?

A7.憑依しましょう。

ここまで取り上げた疑問点は、基本的にどれも同根だ。

それは本作が、意識の流れと呼ぶのか、内的独白というのかは別にして、極端なまでに主観的な記述を中心とした作品であることに基づく。

それもそのはず、そもそも本作は、「コンブレー」で描かれたように、「わたし」の長い長い回想だったはずだ。

そうであれば、それに身を委せてしまうのが、もっとも心地良い読み方のはずだ。そう、ひとの回想を覗き見しているような、他人に憑依しているかのような、あるいはサイバーパンク風にいえば、だれかの脳みそにジャックインしているかのような・・・

 

「わたし」の感じるままに読めば、まるで自分が自分の幼いころの夢を見ているときのように、自分の年齢も属性も気にならなくなる。

夢の立ち位置なぞ、見失ってナンボだ。

 

また、こうして読めば、Q2.で触れた、次なる罠も気にならなくなる。次なる罠とは、「わたし」の年齢を特定したりして「知性」の命ずるように読むと、おかしな点が出てくるところである。たとえば、「わたし」は、せいぜい16歳程度であるにも関わらず、娼家で数百万散在する一方、一人眠るのがさみしくて、祖母とノックの音を交わしたりすることになる。

それもこれもすべて、取り留めのない回想に身を委ねていると思えば、すべてが水のように揺蕩ってゆく。

 

終わりに

難所とされる「スワン夫人をめぐって」を越えて、「花咲く乙女たちのかげに」に辿りつけば、比較的話は読みやすくなってくる。

それというのも、ヴィルパリジ侯爵夫人登場以降の「花咲く乙女たちのかげに」は、まるでビルドゥングスロマンのように、比較的シンプルな構成だからだ。

「わたし」に都合のよい貴族の知己(ヴィルパリジ侯爵夫人)ができる→親友(サン=ルー侯爵)ができる→悪役(?)(ブロック)が登場する→師匠(エルスチール)ができる→恋人(アルベルチーヌ)ができる。なんか王道的だ。

 

本当はここまでの3倍くらいの文章を書いたのだけれど、際限なく長くなってしまったので大幅に割愛した。

最後に、「花咲く乙女たち」の一団の遠景に蒸気船が通る、お気に入りの一節を引用して終わりにしたい。

蒸気船は、青い水平線上を一本の茎からもう一本の茎へとゆっくり進んでゆくから、ずっと前に船体が通過した花冠の奥にぐずぐずしていた怠け者のチョウも、船の進む先にある次の花の最初の花弁に舳先が届くには紺碧の隙間をほんのわずかに残すだけになるのを待って飛び立っても、確実に船よりさきにその花に着けるのである。(p.345)

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第3巻p.445より「オオデマリ

 

お気に入り度:☆☆☆☆☆

人に勧める度:☆

なお、第一篇ですでに記述したので、背景や本の作りへの言及は省略する。

 

 

第3篇の感想は以下で。 

 この他、『失われた時を求めて』についての記事は以下で。

*1:3巻だけamazonに書影がないので、仕方なく4巻を張ることにした。

*2:架空の海辺リゾート

*3:そもそも第2篇全体が、第1篇冒頭からはじまった回想の中の物語であることも忘れてはならない。