ようやく、愛妻、某ジャクソン夫人
一度、昼のさなかに、野原の真ん中で、日射しがもっともきつく古びた銀メッキの角灯に当たっていたときに、小さな黄色い布の窓掛けの下から、一つの手がにゅっと出て、破いた紙切れを投げ捨て、それが風に乗ってずっと遠くの花ざかりの赤いクローバーの野原に落ちかかり、さながら白い蝶のようだった。(p.443)
<<感想>>
思い返せばこのブログを始めたきっかけは、『ボヴァリー夫人』を再読したことにある。『ボヴァリー夫人』があまりに素晴らしく、様々な思考が去来する中、指と指の隙間から零れ落ちようとするそれらを書き留めたくて始めたのだった。
このブログの一番最初の記事(参考リンク)にも、そんな爪痕が残っている。
さてでは、なぜ今日に至るまでその感想を書き記してこなかったのか。それは端的にいうと、馬鹿にされるのが怖かったからである。
『ボヴァリー夫人』はもうかれこれ数世紀にわたり褒めつくされて来ている。さして詳しくもない別のジャンルで例えると、まるで落語の演目の「子ほめ」(参考リンク)のごとく、「ボヴァリ褒め」は一つの芸なのである。この芸を十八番にしている名人としては、例えば富野由悠季みたいな顔したオジサンが挙げられる*1。そしてまた、「子ほめ」のごとく、前座の芸の腕前はかるにゃもってこいと、こういうわけなのである。
そして今、改めてこれを書く気になったのは、先日*2珍しく人と文学の話をした際に、「『ボヴァリー夫人』は何がすごいんですか?」という問いかけに上手に答えられなかったのが悔しかったからである。
そこで今日は、頑張ってこの「ボヴァリ褒め」の演目に挑んでみたい。
文学部時代の友人に、高橋君*3という男がいた。
その頃高橋君とは良く一緒に酒を飲みに行き、文学や哲学などについて明け方まで語り合ったものである。
高橋君は、文学よりも哲学をより愛し、映画と伝統芸能に喜びを見出していた。
私は、哲学よりも文学をより愛し、音楽と絵画に興味をそそられていた。
私は露文党。彼はたぶん仏文党。私のベースはイギリス経験論、彼のベースはドイツ観念論。私の自由は~からの自由で、かれの自由は~への自由であった。私は右派寄りで、彼は左派寄り。彼はヨウジヤマモトの服を着こなし、私は当時アントワープのデザイナー達で対抗したが、今ではコムデギャルソンを好んでいる。
そんな高橋君が、酔うと必ず言及していたのが『ボヴァリー夫人』*4である。
彼がどういう文脈で、どのように褒めていたのかを忘れてしまったのは痛恨の極みだが、農事共進会の場面を良く引用していたことは覚えている。
露文党だった私の関心は、トストよりもドストの方に向けられていた。そのせいで、『ボヴァリー夫人』の話にはあまり気乗りはしなかったが、この農事共進会の場面については別だった。
なぜなら、農事共進会の場面は、私にとってはヴェルテップであり、またカーニバルそのものでもあり、まさにドストエフスキー的な表現と言っても過言ではなかったからである。
この場面は、本書屈指の劇的な場面であり、また極めて有名な場面でもある。ここでボヴァリー夫人ことエンマは最初の不倫をする。その日は田舎町ヨンヴィルの一大イベント、農事共進会が役場前で開かれている。農事共進会とは、国や地方公共団体などが、産業を振興するために、優良な産品を展覧したり、優秀な生産者を顕彰したりするイベントだ*5。エンマと、その不倫相手ロドルフは、役場二階の会議室に忍び込み、背もたれのない椅子を三脚*6並べて、窓からその様子を見物する格好で逢瀬を行っている。なおご丁寧に、エンマたちの後ろには、国王の胸像が置かれている。
文章では、構図上「上段」でロドルフがエンマを口説く様子と、「下段」で行わている農事共進会の様子とが、交互に描写されている。
さて、ヴェルテップとは、以前にも少し触れたことがあるが【過去記事】、下段で世俗劇、上段で聖書劇を演じる二段式の人形劇のことだ。ウクライナの文化だそうだが、これがゴーゴリ、ドストエフスキー、ブルガーコフらに影響を与えたとされる。
そして、カーニバルとは、バフチンが展開した文学概念である。短い文章でこの概念を説明する手腕は私にはない*7が、敢えて示せば、カーニバル=祭りの無礼講状態の中にみられる地位や役割の交代、両義性、死と再生などの価値転倒の世界や状態を指す。こうしたカーニバル性を持つ文学作品を、彼はカーニバル文学と呼び、ラブレーやセルバンテス、ドストエフスキーの作品をその代表例として挙げたのである。
私が当時文学に、そしてドストエフスキーに求めていたのは、まさしくこのカーニバル的な何か、つまり、価値観を揺さぶり、相対化し、あるいは転倒させ、そして笑い飛ばしてくれる何かであった。
農事共進会の場面も、まさにこのヴェルテップでありまたカーニバルである。上段が下段を、下段が上段を相対化し、それぞれの劇をまさしく戯画化された滑稽な相として映し出すのだ。
今でも、こうした表現は文学作品の持つ大きな魅力の一つであると考えている。
『ボヴァリー夫人』のもう一つの魅力に気づいたのは、大学院に進学して随分経ち、高橋君と会う機会も少なくなった頃だった。
最初のきっかけを与えてくれたのはナボコフの『文学講義』だった。かつて『ボヴァリー夫人』を読んだときにひっかかっていた部分が、注目に値すべき重要な場面であることを教えてくれたからだ。なお、後刻知ることになるが、その箇所は本作の中でもやはり有名な箇所で、多くの論者によって様々な議論がなされている。
それは寄せ集めのような帽子の一つで、近衛兵帽とポーランド軽騎兵帽と山高帽とカワウソ皮の庇帽とナイトキャップの要素が見られ、要するに、その押し黙った醜さには不可解な表情があって、まるで間抜けの顔みたいにあわれな代物だった。その帽子は卵形で、鯨のひげの芯で中ほどが膨らんでいたが、まず腸詰状のものが三重にぐるりと縁をめぐり、次にビロードとウサギの毛皮の菱形模様が赤い筋を挟んで交互に並び、それから袋状にふくらんで、しまいには厚紙でつくった多角形の様相を呈し、そこに複雑なリボン刺繍が施されていて、そこからやけに細くて長い紐が垂れ、その先に留め紐の房のつもりか、金糸を撚った小さな十字形がぶらさがっていた。帽子は新品で、庇が光っていた。(p.10-11)
私がひっかかっていたのは、この文章の持つある種の異様さから来るものだろう。またおそらく、本作が写実主義とか、リアリズム小説だとか喧伝され、その前提が頭に入っていたからこそ、なおさらこの文章がひっかかったのかもしれない。
そして最後のきっかけを与えてくれたのは、私のお気に入りの画家、セザンヌ*8だった。
また、さして詳しくもない別のジャンルで例えることになるが、セザンヌらしさがよく表れているのは静物画であるといえる。そして、彼の静物画の最大の特徴は、遠近法がぶっ壊れていることだ。つまり、セザンヌは、写実を辞めてしまったのである。
もちろん、それまでの画家も、例えば印象派の画家たちのように、写真のように描くのではなく、認識のフィルターを通して描き出すことまではやっていた。しかし、セザンヌにとっては、認識は素材でしかなく、彼はそこで得られた素材を、絵画=画面という芸術の中で好き勝手に再構成して見せたのである。そして、その再構成をした結果、一分の隙もなく、緊密で、見るものを圧倒する強い画面に仕立てているのである。
思うに、フローベールがやろうとしたこともこれと同様である。
先の引用箇所の帽子も、これを現実に存在する帽子に還元しようとすることはもはや不可能である。しかし、言語=文学という芸術の中で再構成された形では、確かに存在し、そして、その芸術形式の中でしか存在しえない。それなのに、その画題あるいは作意は、読み手には確かに伝わるようにできているのである。
このように、フローベールの作品は、実は写実的ではない。むしろ、写実を超え、言語世界の中でしか生きられない何かを表現しようとしている作品なのである*9。
私は今では、こうした表現こそ、唯一文学作品のみが持つ、最高の芸術的魅力であると考えている。
お気に入り度:☆☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆☆
某そば屋で撮影させてもらった賞状。日本でかつて行われていた共進会の名残りである。
<<背景>>
1851-1856年執筆。1856年版は出版社都合により一部削除となる。
出版社の努力の甲斐もなく、1857年、検閲により訴えられる。
同年作者は無罪となり、完全版が出版される。
ヨンヴィル期の作中年代について、細かく検証していないが、感想で示したとおり、王の胸像があることからすると、1848年以前か、1852年以降と推測するのが適当だろう。
この頃は王政ではなく正確には帝政であるが、執筆年代同様の1850年代と考えるべきだろうか。そうすると、胸像の主はナポレオン三世ということになる。
セザンヌは1839年生まれ、なおセザンヌは、フローベールの『聖アントワーヌの誘惑』を題材とした「饗宴」という絵を描いたと言われている*10。
<<概要>>
3部構成。部の下にも区切りがあり、それぞれ9章、15章、8章からなる。
章ごとの分量はかなり前後し、全体として1部が短く、2部が長い。
おおむね、シャルル(夫)、ロドルフ(不倫相手1号)、レオン(不倫相手2号)の話に割り当てられている。
普段なら、ここでこの作品が何人称小説か、ということを書くのだが、これを書くのは容易ではない。「自由間接話法」というキーワードだけここに置いておいて、あとは新潮文庫版の巻末の訳者解説を熟読して欲しい。
感想でも触れたとおり、『ボヴァリー夫人』について論じた評論作品は極めて多い。
おススメを2冊だけ。
まずは『恋愛小説のレトリック――『ボヴァリー夫人』を読む』(工藤庸子、参考リンク)である。特に、農事共進会の場面の面白さを、フランス語原文に立ち返りながら丁寧に解説してくれている。
そしてもちろん、『文学講義』(ウラジーミル・ナボコフ、参考リンク)である。細部を愛でるということの意味を教えてくれる。
<<本のつくり>>
海外文学の中でも屈指の名作であり、翻訳も多数出ている。
その中で、新訳(2015年)である新潮文庫版芳川訳が決定版と言って良い。おそらく、今後長きにわたり芳川訳が定番の地位に居続けることだろう。
平易な訳文、豊富な割注で読者に寄り添いつつも、ピリオドの箇所については原文を徹底的に順守しているとのことで、フローベールの作意を逃さない。
また、訳者解説において、自由間接話法の訳出や、";et"の訳出のこだわりが示されており、強く信頼できる。
表紙絵は一見すると俗っぽいが、本文を読めば、エンマ・ボヴァリーの特徴をきちんと捉えた絵になっていることがわかる。
*1:お二人ともキレ芸も大層達者なようで
*2:この下書きを書いてから2年ほど更新を放置していたため、全然先日ではなくなってしまった
*3:実名
*4:映画好きの彼のこと、きっと富野似の誰かからの影響だろう
*5:明治期には日本各地でも盛んに行われている。現在では、農事共進会という名称も死語であり、この言葉でgoogle検索して、上位に出るのは『ボヴァリー夫人』に関する記事である
*6:もうこの時点でいそいそと三脚並べているというこの細部の描写が最高にいい
*7:wikipediaがよくまとまっている。(参考リンク)
*8:もうだいぶ過去のことで、セザンヌのどの絵を見ていたときに、あ・・・フローベール・・・、と思ったのかは忘れてしまった。ただ、いま気軽にみられるところでは、アーティゾン美術館にある「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」(参考リンク)がイチオシである。
*9:フローベールは、自作に挿絵を入れられることを強く拒んだことでも知られる
*10:制作年と刊行年があわないような気もするけど・・・