ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

『つまり読書は冒険だ。』沼野充義編著

そして世界中で叶わぬ恋にお悩みの方

それでもこれでもういい、ということがないのが世界文学だ。そして人生も。(p.381)

<<感想>>

読むと文学がさらに好きになる素晴らしい本。

『世界は文学でできている』【過去記事】のシリーズ最終回。今回は4名との対談と、東大現文芸論研究室オールスターによるシンポジウムの収録とが掲載されている。

今回は小説家の方が1名、研究者の方が3名に、研究者(卵も含む)オールスターズというラインナップで、研究者推しの私も大満足である。最終回のふさわしく、本巻が一番エキサイティングだったかもしれない。

以下では、各対談&シンポジウムのうち、魅力的な部分を紹介する。

1.川上弘美

現代日本の作家の方。もちろん有名な方のようだが、例によって存じ上げない。作家の方がゲストの場合、どうしてもその方の読書歴や創作についての話になりがち。ただ、今回面白かったのは、この方サンリオ文庫の編集部に出入りされていたそう。

サンリオ文庫サンリオSF文庫も含む)は、キティちゃんでお馴染みのサンリオがやっていたのだが、通をも唸らせる硬派なラインナップという謎な文庫。その上、後にこの事業から撤退したため、良書が多いのに古書価が高いでお馴染みで、wikipediaにまで古書価が高いと書かれている。皆さん、一度はサンリオ文庫が手に入らなくて悔しかった思い出がありますよね?

それともうひとつ、集英社のポケットマスターピースシリーズがお勧めされていた。このシリーズ、最初はなんだ抄訳ばっかりかと敬遠したのだけれど、実はよくよく見ると、多和田葉子訳『変身』をはじめ、訳者のラインナップが凄い。また、フローベールでいえば『ブヴァールとペキュシェ*1、ポーでいえば『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』、ドストエフスキーでいえば『ステパンチコヴォ村とその住人たち』*2など、痒い所に手が届く絶妙なラインナップ。その上この文庫高騰の時代に1冊1300円とお手頃であり、私は勢い大人買いしてしまった。

2.小野正嗣

小説も書き翻訳もする研究者。少し読んで気づいたが、私のお気に入りの『アデン、アラビア』【過去記事】を翻訳された先生だ。沼野先生と近しい関係にあるのだろう、対談からもお互いの信頼関係が伝わってきて、とても面白い。お互いがボールを打ち返すのに、手を変え品を変え様々な文学作品への言及がされ、いちいち面白い。

方言の語りと標準語の語りの差異など興味深いテーマもあったが、印象的だったのは、クレオール文学の話題の中での次の下り。

アイデンティティというものは、固定化されたものではなく、世界とのあらゆる関係に開かれていて、その関係とは、他の文化、他の言語や他者との関係だと思うんですけど、そういうふうに世界の多様性と共にあって、自己を変化させつつ他者に開かれていくべきものであると。(p.117)

これはクレオール文学のシャモワゾーという人の言だそうだが、これぞ世界文学的なものの見方である。

3.張競

中国出身で、アメリカ文化にも詳しい日本文学・比較文学の研究者の方。

中国における日本文学の受容史などに触れつつ、文学においては文体が力であると力説する。もう我が意を得たりである。

文学作品は、そういう意味では単にストーリーを読むだけではすまない。今、本離れといわれているのは、小説からストーリーだけを読むようになったことが一因だと思うんですね。ストーリーだけを読もうとすると、どうしてもドラマに負けちゃう、テレビ・ドラマに負けてしまう。(p.183)

また、村上春樹の文体を、西洋の文体を取り入れているが故に人称代名詞の省略がほとんどないという指摘にも唸った。なるほど、だから鼻につくんですね!

他にも、世界文学的な視点から、初期の村上春樹の作品が描いているのは、「六十代の人たちが紅衛兵になった時代」であるとの指摘もあり、驚かされた。国境を越えれば、当然受容のコンテクストが違うというとてもわかりやすい例。

4.ツベタナ・クリステワ氏

ブルガリア出身の日本の古典文学研究者。そして対談編の大トリである。存じ上げない先生だが、大トリにふさわしい、素晴らしく感動的な内容。どんな学問であれ、こんな先生に習いたい。

まず、ブルガリアから見ると、日本文学はいわゆる『その他の外国文学』【過去記事】以外の何物でもないということ。そして彼女は力強くこういう。

皆さんに言いたいのは、好きなことをやれば、人間はかなりのことができるということです。(p.233)

また、教わる側の態度に対する注文も実に素晴らしい。

とにかく、疑うことは、考えることの始まりです。だから、学生の皆さんにアドバイスしたいです。疑いなさい。私たちの言っていることも疑いなさい。(p.234)

話題は、和歌の掛詞の分析を通じて、日本語という言語における文学表現が、わざとあいまいさを残す形で進化してきたというテーマに進む。そして感動的なのが、源氏物語が嫌いであったはずの彼女が、ある一つの歌と出会ったときの思いだ。

一生、源氏にかかわらないつもりでしたが、ある歌との出会いが、私を変えてしまった。・・・たまらないほどの感動を覚えたので、長年の恨みは、あっという間に消えてしまったんです。

この歌には、・・・私がなぜ日本古典文学を選んだかということの答えがあった。人生の中で求めていた大事なものがあったんです。(p.249)

この人、ブルガリア人ですよ?まさしく、文学が世界文学へと変化する実例の最たるものである。

5.東大現文芸論研究室オールスターズ

前半部が外国文学を研究する日本人研究者勢、後半部が外国から日本文学等を学びに来た留学生勢である。研究者勢には、フラバルの翻訳等でお馴染みの阿部賢一氏や、いまをときめく奈倉有里氏など錚々たる面々が揃う。

また、留学生勢も、文学や日本語の好きが高じて留学までしている人なわけで、まぁ一人ひとり話が面白い。

例えば、

たとえば女子中学生は、四方田先生の『「かわいい」論』を読みもせず、一日百回くらい「かわいい」などと言っています。(p.347)

とか、言語の面白さと難しさを小気味よく語ってくれる。

また、私もイチオシの太宰の『女生徒』をおススメ本として紹介してくれた方がいる。女性の独白体でお馴染みの本作を、他者の言語を真似して語る作品という視点で表現しており、なるほどそういう考え方もできると納得させられた。

最後は、これまた感動的な話。雪が舞う松本で、屋外の温泉に入ったときのエピソードから。

その瞬間の感動をどうやってほかの人に伝えればいいのかと考えて、初めて「俳句を作ることができたらいいな」と思いました。

しかし、もともとその瞬間の完璧さに気づくことができたのは、俳句を読んでいたおかがではないでしょうか。(p.372)

はいこの方は、ポーランドの方です。かように、この収録だけをとっても素晴らしい「世界文学」の実践となっている。

 

なお今回も、対談ゲストは各複数冊、オールスターズは一人一冊のおススメ本を紹介してくれている。興味深いものやこれまでまったくアンテナに引っ掛かっていなかった本も多く、私のamazonウィッシュリストはパンパンである。

この本を読んで、是非皆さんにももっと文学を好きになっていただきたい。

 

・本シリーズの第一作

・マイナー言語に打って出た方々

*1:その後の単行本刊行前

*2:古典新訳文庫発売前