『ロシア文学の食卓』沼野恭子著
ほっぺがおちても知らないぜ
・・・ロシア文学に現れたサモワールは、・・・平和な家庭生活のシンボルであり、家族をつどわせる必需品である。(p.240)
<<感想>>
読むとロシア文学が読みたくなる素晴らしい本。
表題のとおり、テーマは「ロシア文学×食文化」。ロシア文学を紹介しつつロシアの食文化を紹介しようという、二兎を追う食いしん坊な本である。
原則として、一作家一作品からヒトサラを取り上げる構成となっていて、全20節=20作品=20品目の構成となっている。もちろん、各節の中で別の作品や別の料理に触れられることもある。この20品目(と、「はじめに」の1品目)が、ロシア料理の作法に従って前菜、スープ、メイン、サイドディッシュ、デザート、飲み物の計6章に編成されている。
出版社の公式ページに細目次が載っていないのでまとめると、取り上げられている作品のリストは次のとおりである。
- 谷崎潤一郎『細雪』よりペリメニ・スープ
- ゴーゴリ『死せる魂』よりピロシキ
- チェーホフ「おろかなフランス人」*1よりブリヌィ
- レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』【過去記事】より生牡蠣
- ドストエフスキー『罪と罰』よりシチー
- イリフとペトロフ『十二の椅子』*2よりボルシチ
- ブーニン「日射病」*3よりボトヴィーニヤ
- A・K・トルストイ『セレーブリャヌイ公』*4よりハクチョウの丸焼き
- ギリャロフスキー『帝政末期のモスクワ』*5よりシャシルィク
- バーベリ『オデッサ物語』【過去記事】よりカワカマス
- ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』【過去記事】よりチョウザメとキャビア
- ゴンチャロフ『オブローモフ』よりピローク
- オレーシャ『羨望』*6よりソーセージ
- ソルジェニーツィン「マトリョーナの家」*7よりジャガイモ
- トルスタヤ「鳥に会ったとき」*8よりカーシャ
- アクサーコフ『家族の記録』*9よりワレーニエ
- シメリョフ『神の一年』*10よりプリャーニク
- ウリツカヤ『ソーネチカ』【過去記事】よりコンポート
- プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』よりクワス
- レールモントフ『現代の英雄』よりグルジアワイン
- トゥルゲーネフ『猟人日記』よりお茶
このように、超メジャーからドマイナーまで取り上げる堅固な布陣となっている。
例えばもっともわかりやすいのは『アンナ・カレーニナ』だろうか。都会派のオブロンスキーと農村派のリョーヴィンの対比が、食事のシーンや食事に対する姿勢からも読み取れることなどが指摘される。この部分に代表されるように、「食」がいかに様々な意味を表象しているかが示される。
しかし、この本の面白いところはその先だ。食文化、あるいは食に対する姿勢は、その国の文化の根幹的な部分を形成している。そして著者の視線も、食を通して祝祭日や斎戒期などロシア文化の諸側面を描き出している。
例えば、バーベリの『オデッサ物語』を論じた節。当時オデッサには、多数のユダヤ人が住んでいたため、同作もユダヤ色の強い内容になっている。しかし、ユダヤ人の食文化に対する理解がなければ、「禁断の豚のように」という比喩はいまいちピンとこないだろう。私も最近この『オデッサ物語』を読んでいたが、この本で指摘されてその意味に初めて気づかされた。
本作でのイチオシはブーニンの「日射病」の節だ。私の推測ではブーニンは著者のお気に入りの作家の一人。他にもいろいろなところで取り上げられている。
そしてこのブーニンの「日射病」、エローーーーーーーイ!!!!んです。具体的な性描写など全くなく、文体は極めてお上品なのに、そこはかとなく漂うエロス。そこに挟まる一皿のボトヴィーニヤの描写。その読み味を説明する筆は見事だ。
これは本書に限らずだが、沼野先生は作品に向ける視線が暖かく、読みたくなる気にさせるのが実に上手い。
ここまで、簡単な本書の概要を示してみたが、くどくど言わず、「文学作品に出てくる食事・饗宴のシーンってなんかときめくよね!!」というシンプルな感情さえ共有できればしっかり楽しめる作品である。
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆☆☆(磯野ー!!露文読もうぜ!!)
・オデッサの饗宴。本書でも同じ場面が引用されていて嬉しかった。
・チリの饗宴のシーンを引用しています。
<<本のつくり>>
本書はかつてNHKブックスで出ていた同名の書籍(2009)の文庫化(2022)である。
なお著者には、料理研究家の荻野恭子氏との共著でロシア料理のレシピ本(2006)もある。
なおまったくの余談だが、私はちょうどこのレシピ本を出版される前の頃に著者の授業を受けていた。とても楽しげにロシア料理やロシア文学のお話をされていたことが今も記憶に残っている。

