いつのことだか思い出してごらん
ドイツ人は毒ガスを発明し、イギリス人は戦車を発明し、科学者は同位体元素や一般相対性理論を発見した。この理論によると、形而上学的なものは一切なく、すべては相対的であるという。(p.5)
<<感想>>
「二〇世紀史概説」である。これが白水社のエクス・リブリスだと知っているから文学作品なんだろうと思うだけで、岩波新書だったらきっと歴史の本だと思ったに違いない。
そしてそれは間違いというわけでもなく、ヨーロッパの二〇世紀史が本作の主題であることは確かだ。むしろ説明が必要なのは、じゃあこれが何で文学作品なのか、ということの方かもしれない。
例えば『戦争と平和』は実際の歴史的事件を背景に架空の物語が展開される。あるいは、みす〇書房のドル箱こと『夜と霧』は、歴史的事件に遭遇した著者がその体験談を物語る内容となっている。
これに対して本書は、書かれていることは(恐らく)大半は事実だ。しかし、独特なのはその語られ方である。20世紀にヨーロッパで起きた歴史的事象が、コラージュのように切り貼りされて語られているのである。
1.手法
たとえていうなら、逆「映像の世紀」だ。特に最近の「バタフライエフェクト」というシリーズは、一見関係のなさそうな歴史的事象を因果の線でつなぐのが特徴となっている。
これに対して、本書は何もつながない。まるで一般的な歴史書の持つ、事象と事象をつなぐ姿勢が虚構であると主張するかのように。つながないのではなく、つなげるはずがないと主張するかのように。歴史を物語化することを否定し(あるいは是非を問いかけ)ているのだ。
本書で描かれる歴史的事象の断片は、どれもどことなく冷笑的である。このため、本書は「ポストモダン歴史学」の書物であるかのように読めてくる。遅れてきたポストモダン。やられてみると、誰かが既にやっていそうな気も湧いてくる。あるいは、歴史学の虚構性を主張するようなロジックは既にいくらでもあったろう。しかし、実際にやってみた作家なり歴史家なりが居たのだろうか?
2.内容
「エウロペアナ」の題のためか、二〇世紀史といいつつも、全体としてはナチスに関する事象が強めである。しかし、そうかといって、何かに肩入れするような記述ぶりではない。語りに色を付けないのが特徴だ。例えば、ナチスの行なったロマの虐殺の話に続くのは次の文章だ。
一九八五年、世界ユダヤ人会議は、ユダヤ人はロマ民族に満腔の哀悼を表すると声明を出したが、同時に、ロマの安楽死は、民族的基準ではなく社会優生学にもとづいて行なわれたのだから、ジェノサイドではないとした。(p.123)
また、語られるテーマは政治的な事象、あるいは歴史学的に重要な事象に限られない。宗教が語られたと思えば、サイエントロジーやエホバの証人のような新興宗教も語られ、バービー人形も、避妊方法の発明も、チューイングガムの流行も、戦争もクリントン大統領の不倫も同一地平で淡々と、そして次々と語られる。
面白い仕掛けなのが、ところどころに同じ文章が二回登場したり、同じテーマが二回登場したりすることだ。
一九一七年、あるいイタリア人の兵士は自分の姉に宛てた手紙のなかで、日を追うごとに、ぼくは前向きになっていく、と書いた。(p.87,p140)
この二回語られる事象たちは、九死に一生を得たり、過去を懐かしんだり、未来に希望を抱いたりする。まるで、それらが、因果律から独立してランダムで繰り返し生起している事象であるかのように。
さぁて、歴史っていったい何なのでしょうね?
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆☆(薄物で読みやすく、内容も万人向け)
・特異な視点人物かた見た歴史絵巻
・チェコ×アベケンの名作
<<背景>>
2001年刊行。刊行前年の事象である「2000年問題」まで含めて描かれている。
本書は大変な人気を博し、20以上の言語に翻訳されたそうだ。
名前が読みにくい作者はチェコ人。文学マニア的には、クンデラとフラバルの国の人である。この欄ではいつも大体文学史的な事情を書いているが、作品の性質上あまり書くことがない。
<<概要>>
三人称視点、といっていいのだろうか?ただ、普通の意味での登場人物は居ない。
ただ、次から次へと歴史的事象が語られるだけである。そしてその語りも、敢えて客観的には書いてない。「らしい」「だろう」などの伝聞・推量や、誰それはこう言った、こう主張した、等の文章が頻出する。
また、小説というよりむしろ新書か人文系の入門的な教科書のように、文章の欄外に見出しか要約のような「ひとこと」が書かれている。この「ひとこと」も、「古き良き時代」や「新しい人間」のように複数回用いられるものがある。
<<本のつくり>>
本文は140頁弱と短い。安定のアベケン訳なので大変に読みやすく、すぐに読了できる。共訳者の篠原氏は、見慣れない御名前と思ったら歴史学者の方のようだ。
恐らく、この訳文の最大の特徴は、訳注が一つもないことである。繰り返し主張しているように、私は訳注大好き、注は多ければ多い方が良いと思っている。
しかし、本作に限り、この訳注無しという戦略は正解のように思われる。次から次へと、立て板に水で繰り出される歴史的断片の流れに身をまかせるのが心地よいのが一つ。そしてもう一つは、伝聞・推量なのか、根拠があるのか、ないのか。その読めば読むほど不確かさが増していく感覚こそが、本書の狙いと無関係とは思えないからだ。
なお、本作の訳業は、栄えある第一回日本翻訳大賞を受賞しており、手元に版にはそれを記念する帯が巻かれている。