熱き血潮の冷えぬ間に
4年もぶん投げておいてしれっと帰ってきました。不死鳥のように舞い戻り第2集を読了したので、第1集のときに倣って総括をしたい。
第2集も全12冊。1冊に複数の作品を収録しているものもあるため、作品数は全部で18となった。第1集と異なり短編集はない。
作家の属性分析
前回同様、まずは客観的な情報から俯瞰する。
第二集では、男性作家の作品が13作品、女性作家の作品が5作品となった。
旧来の文学全集よりマシであるが、それでも女性が3分の1を下回っている。わかりやすいところでノーベル文学賞受賞者を覗いてみると、21世紀に入ってから2022年現在これまで女性は8人。20世紀では、1世紀通してたったの9名であった。
続いて、第二集の作家の出身地分布は次のとおりとなった。第二集は第一集に比べてもさらに越境的で、もはや国名をとって〇〇文学と分類するのもあまり用をなさなくなりつつあるが、一応出身国主義で数えてみる。
イギリス、ドイツ、アメリカ 3作品
フランス、イタリア 2作品
ロシア、ルーマニア、ユーゴスラヴィア、チリ、メキシコ 1作品
この集計に違和感があるのは、いわゆる亡命者のためだけではない。
ルーマニアのエリアーデはインドを、チャトウィン(イギリス)はアルゼンチンを、そしてフランスのル・クレジオはマダガスカル島を書いた。アメリカのアップダイクに至っては架空のアフリカの国クシュを舞台としている。
このように、描いた人と描かれた国との乖離があるのだ。
ただ、結局は第1集と比べても列強国と列強言語が優位なのも間違いなさそうだ。
お気に入り分布
主観大爆発のお気に入り度分布は次のとおり。
- ☆☆☆☆☆ 1作品
- ☆☆☆☆ 3作品
- ☆☆☆ 8作品
- ☆☆ 5作品
- ☆ 1作品
第1集と比較してぐぐっと真ん中に寄った。評者である私自身の揺れかと思って第1集の作品リストを見返してみたけど、やっぱり第1集と並べてみてもこの選好で間違いない。
なお念のため、私にとって☆3つは「読んでよかった」である。☆4つはその中で特に好みだったもの、☆5はオールタイムベスト級、といった塩梅である。
お気に入りランキング&短評
さて、前回同様のお気に入りランキング。
ところで、ランキングなどというのはいかにも無粋と思われる方もいるかもしれない。しかし、これは私にとって各作品と自分自身との距離を測り振り返る大事なよすがである。☆1や☆2の作品の存在も大切で、かけがえのない経験であったと断言できる。むしろ、そういう作品と出会いたいがために、敢えてこうした全集を手にとって読んだといってもよい。自分が好まない作品について考えるときこそ、その理由をじっくり考えるため、逆説的に自分の文学的嗜好が明らかになるという楽しみがある。
第一位:『賜物』ウラジーミル・ナボコフ/沼野充義訳
本全集を大人買いする前から持っていた作品であり、そして他の11冊を読む前からもうほぼ1位が決まっていたような作品。
感想を書くために読んだのがたぶん4度目。毎回、再読するたびプロットは大して覚えてないのが面白い。でも、「これが本当の三角関係」とか「ムネモジーナ・メルツァーニエ」とかの小エピソードや言葉遊びは忘れられない。そういう小説である。
さあ、この作品を千切って、良く噛んで、じっくり味わおう。
お気に入り度:☆☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆(完全な好みか、全く向かないかのどちらか)
第二位:『灯台へ』ヴァージニア・ウルフ/鴻巣友季子訳
この作品が☆5でない理由はただ一つ。私が他のウルフ作品を読んでいないからだ。だって、あれもこれも読んで、『灯台へ』より気に入ったら、右も左も☆5になって興ざめでしょう?いつかこっそりしれっと☆5に編集されるかもしれない。
この作品の魅力はなんと言っても美しく繊細な文章の妙技だ。真理とか倫理とかを書かずとも、スープのおかわりだけで文学は成立しうるのだ。
お気に入り度:☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆
第三位:『カッサンドラ』クリスタ・ヴォルフ/中込啓子訳
読了してしばらくしてから、あの作品はすごかったな・・・と思うようになった作品。第2集で最難読であったが、得られるものも多かった。本全集を読もうと思っていなければ間違いなく手を出していなかったであろう作品であり、出会えて良かった。
『イリアス』の読み替えであり、同作を未見だとなかなか厳しく、人に勧めにくいというのが珠に瑕である。
お気に入り度:☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆
第四位:『フライデーあるいは太平洋の冥界』ミシェル・トゥルニエ/榊原晃三訳
きっとあれだ!英米哲学とか社会思想が展開されるタイプの奴だ!と、期待して読んだら、まさかのフランス現代思想が展開された小説。
『ロビンソン・クルーソー』の読み替え小説なので、プロット的には読みやすい。しかし、ところどころ差し挟まれるフランス風味の哲学的省察がなかなかの難物だ。
お気に入り度:☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆☆(哲学好き向け)
第五位:『庭、灰』ダニロ・キシュ/山崎佳代子訳
結局、☆3の幅がちっとばかし厚すぎる気がする。これなんてもう☆3.9くらい。☆4との境目を、おおむね「作家の別作品に手を出したいか」に置いているのでやっぱり☆3。
『カッサンドラ』同様、あとからじわじわ気になってきた作品。ポグロムを背景に、『失われた時を求めて』の文体で書かれる暗くて難解な一人称小説。
凝った文体の作品と、哲学臭い作品が上位になりやすいのは第1集のときから変わっていないなぁ・・・。
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆
想像を裏切られた作品ナンバーワン。そして第2集最長の二段組600頁。
設定、プロット、表現力、歴史性、どこをとっても非常に高いレベルで、もっと読まれて欲しい。訳文に対するひっかかりさえなければ☆4だった可能性も。
さながら魅力的な短編群のように、様々な人物たちが、激動のドイツ・ポーランドを背景に、主人公の前に登場しては過ぎ去っていく・・・。ヨーロッパの歴史・民族の複雑性を示してくれる良作。
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆☆(長いけど、良い本です。)
第七位:『ヴァインランド』トマス・ピンチョン/佐藤良明訳
この超絶大人気作家を捕まえてこの位置はちょっと低くはないのかい?いやー、でも、いまいち好みストライクではないんだよね。もうちょっと重ためでオナシャス!
でも、いちばん笑ったのはたぶんこの作品。ただそれだけではなく、近い過去の歴史を総括しようという真面目な視座を隠し持っている。日本文化とも無関係ではなく、他のカルチャーとも結びつきやすそうな一作。
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆☆(表象文化論とか好きな人にぜひ)
第八位:『軽蔑』アルベルト・モラヴィア/大久保昭男訳
既婚者の悪夢。認識の牢獄。
果たして・妻は・私を・愛しているのか?だけで一冊が埋まる怪作。一人称視点作品の特質を見事に利用しつつ、プロット・表現の緩急を巧みに操る様は見事。
読み味はほろ苦ビター。ああ、愛していると言ってくれ!
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆
精神的ヒキコモリの私も納得の紀行文学。紀行文学と見せかけて、スポットがあたるのは人、人、人。いくつかの伝統的な物語を、DJチャトウィンがパタゴニアという主題でリミックスしたものと読むことも出来る。
こういう小エピソードが連なって出来ている作品、結構好きです。
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆
第十位:『黄金探索者』J・M・G・ル・クレジオ/中地義和訳
危うく一度壁本しかけた作品。だって、主人公のアレクシ君、あまりにドクズなんですもの。貴様マジメにキリキリ働けと。
でも、アレクシ君が宝探しに出かけてくれないと、物語は始まらない。実はこの作品も『ロビンソン・クルーソー』を手掛かりにした作品の一つ。
船旅の場面も多く、意外と『パタゴニア』よりもこちらの方が紀行文学らしさがある。
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆
第十一位:『サルガッソーの広い海』ジーン・リース/小沢瑞穂訳
どこかの大学で課題図書にでもなっているのか、当ブログの謎の人気記事の一つ。いやこの作品、そんなに広く読まれているわけじゃないよね?
『ジェイン・エア』の読み替え作品。読み替え作品のお手本のように、単純に価値観をひっくり返すだけではなく、新しく、時代にマッチした問題提起をも兼ね備えている。
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆
第十二位:『クーデタ』ジョン・アップダイク/池澤夏樹訳
8位~11位まではほぼ同率、この作品は☆3.0といった風味。
舞台はアフリカと見せかけて、例によってアメリカ人がアメリカを書いた作品。プロットの推進力は強く面白いのだが、周辺人物が若干記号的。
また、ご都合展開なプロットもちょっと気になるところ。言葉遊びや比喩、語のイメージの操縦などは見事。
お気に入り度:☆☆☆
人に勧める度:☆☆
正直、この作品の正しい「お気に入り度」は☆2どころではなく、3の後半か場合によっては4くらいでもいい。それが☆2という不当な扱いを受けているのは、カフカ作品にはもっともっと傑作が沢山あるからだ。
ぐーぐる先生が見向きもしてくれないため、全然読まれていないと思われるが、この記事は私の密かな自信作である。
お気に入り度:☆☆
人に勧める度:☆(カフカを読むならほかの作品をお勧めします。)
第十四位:『見えない都市』イタロ・カルヴィーノ/米川良夫訳
第1集における残雪の枠。いやーもうほんと、正直コイツはわからなかった。
私の好みも微妙なところで、文体好きといいつつも、詩まで行っちゃうとちょっとついていきかねるところがある。この作品も意味とか解釈とか横において、55篇の詩のようにして読めばもう少し楽しめるのかしら?
私としては、実験的作品の実験に失敗して、ラボで博士の頭が爆発しているイメージになっている。
お気に入り度:☆☆
人に勧める度:☆☆
第十五位:『マイトレイ』ミルチャ・エリアーデ/住谷春也訳
選者である池澤氏の好みそうな、エキゾチック・エロ・ファンタジー。
美味しい設定大渋滞の「ロミジュリ」的な悲恋譚で、多くの人に好意的に受け取られる物語ではあると思う。
ただ、鼻につくのは、一人称小説でありながら、「あのとき、彼女は確かに私を深く愛していた」と言い切ってしまうところだ。
そんな欺瞞を見せられるくらいなら、苦しくても『軽蔑』の方がいい。
お気に入り度:☆☆
人に勧める度:☆☆☆☆
第十六位:『アメリカの鳥』メアリー・マッカーシー/中野恵津子訳
池澤氏のベスト、この作品なんですってよ。もうちょっと、軽くヤバイ(語彙力)。
物語自体は、内向的なビルドゥングスロマンといった体裁。ただ、申し訳ないがドンピシャ私の父世代のため、オジさんの感傷的な昔語りを聞かされている感がキツい。池澤氏は60年代趣味に寄り過ぎている感がある。
とはいえこの作品、アメリカ文学らしい小気味のいい表現がぽんぽん飛び出してきて、そこは魅力的である。
お気に入り度:☆☆
人に勧める度:☆☆
第十七位:『精霊たちの家』イサベル・アジェンデ/木村榮一訳
人気投票でもやったら上位に来そうな作品。でもこの位置です。
三世代の女性たちによって繰り広げられるファミリー・サーガ。プロットの圧倒的な推進力で読者を飽きさせない。んだけれど、このプロットの推進力だけで持っていかれるような作品、どうも好きになれない。
この作品で描かれる革命について、隣国アルゼンチンを描いた『パタゴニア』で反対に評価されるているのが面白かった*1。
お気に入り度:☆☆(だいぶ☆1寄り)
人に勧める度:☆☆☆
メキシコ内戦を舞台に、一人のメキシコ人と二人のアメリカ人がアイデンティティを求めて遍歴する物語。装飾的な文体、複雑な語りの構造等、文学的に高度な作品。メキシコの始まりとハードボイルドソープランド。
これまで私は良い文体すなわち良い作品と想いこんできたが、こいつぁダメだ。
オジサンが自分探しをして、戦いとエロですべて解決みたいな話はさっぱり響かない。
お気に入り度:☆
人に勧める度:☆☆☆(フォークナー党へ)
総括
第1集では、20世紀という視点で総括をしてみたが、今回は文学作品が何を描いたかという視点でまとめてみたい。主人公の成長や自己の確立(『賜物』、『ブリキの太鼓』、『アメリカの鳥』、『老いぼれグリンゴ』)、男女の愛(『軽蔑』、『マイトレイ』)などは、古来より不変的な文学作品の主題だ。20世紀らしさとしては、近代化の進展や行政権力の膨張(『ヴァインランド』、『黄金探索者』、『失踪者』、『精霊たちの家』)国家間民族間の支配被支配の関係(『クーデタ』、『サルガッソーの広い海』)などへの問いかけが共通する関心といえる。
また、第2集にはいわゆる読み替え作品が多く、これも現代的な文学作品の特徴といっていいだろう。『カッサンドラ』(『イリアス』)、『フライデー、あるいは太平洋の冥界』(『ロビンソン・クルーソー』)、黄金探索者(『ロビンソン・クルーソー』)、『サルガッソーの広い海』(『ジェイン・エア』)がこれに該当する。
『賜物』や『庭、灰』が『失われた時を求めて』の強い影響下で書かれていることなどを考えると、もはや文学作品は作品単独としては十分に存立しえないとまで言って良いかもしれない。
第2集は、第1集と比しても時系列や語りの位相が複雑で、難解度がアップしているように思える。このため、どの作品にもほんのり挫折の危険がありそうだ。それでもこの中からお勧めを選ぶとしたら次のとおりだ。
まず、心の機微と美しい文体を味わうのであれば『灯台へ』が一番だろう。物語性、思想性、歴史性、文学のあらゆる魅力を存分に味わいたいのなら、『ブリキの太鼓』がイチオシだ。グイグイくるプロットで貪るような読書体験がしたいなら、『精霊の家』をオススメとしたい。
・第1集の記事はこちら
*1:正確には、革命前のアジェンデ政権に批判的。