ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊

輝く時間を分けあった あの日を胸に今日も生きている

2017年7月13日に最初の一冊を読んで、約5年半もかかったこの企画。途中に『失われた時を求めて』を再読したり、ナボコフ・コレクションを読んだり、まるっきり初心者から1年かけて将棋の段位を取得したり、さんざん寄り道をしてようやく完結をした。1記事5000字として、42作品*121万字。原稿用紙500枚分だから、厚めの文庫本1冊分は書き散らかしたことになる。

既に、第1集、第2集、第3集とそれぞれの総括記事を挙げているので、各作品の短評等はそちらをご参照いただきたい。

これとは別に今回は総まとめとして、いくつかの観点から本全集を眺めなおし、最後に本全集の企画全体に対する感想を述べて締めくくりとしたい。

面白かった作品3選

最初は、記事としては一番面白みのない「面白かった作品」から。何が面白くないって、セレクトがあまりにベタで、我ながら恥ずかしい。だだ、いずれも本全集という枠を取り払ったとしても傑作に挙げる人の多い名著である。

たぶん、この全集を読みきった人を20人くらい集めてアンケートを取ったとすると、この3作品を含めた5,6作品に人気が集中するだろうとも思う。

え、まだ読んでないんですか?(煽)

なぜ収録した?3選

いえーい!ちゃんと悪口も書くよ!

この全集のラインナップが発表されたとき、全員が心の中で突っ込んだヤツである。新訳ならまだ話はわかる。しかし、サガン新潮文庫で、カフカ白水uブックスで、当時普通に同一訳が売られており、まさかのハードカバー化に誰もが度肝を抜かれた。

コンラッドはこの二作とはちょっと事情が異なり、人気訳者による新訳という意義はある。しかし、やはり当時講談社文芸文庫版が手に入る状態にあったし、この全集唯一の19世紀作品であるという点でも、ラインナップから浮いている。

期待はずれ3選

これは意外と悪口ではなくマジメな話。世間様での評判が良いけれど、私の評判が悪い作品。

このブログで何度も書いているけれど、これはある種の収穫でもある。自分がどういう読書を求めているかの輪郭がはっきりする感じを受けるからだ。そうは言ってもいつもいつも期待はずれでは困るわけだけど・・・。

この3冊の苦手ポイントはそれぞれ、文体、思想、プロットに分かれる。フォークナーは厚塗りの文体が苦手。アジェンデは、過度なページターナーでプロット以外が弱い作品が苦手。そしてオン・ザ・ロードは、自分の父世代の価値観が強烈にダサく見える、というところに苦手ポイントがある。

結局、お上品な割に斜に構えたインテリの書いたものを好きになるんだよなぁ・・・。

切れちゃだめだ!直ちに文庫化すべき3選

表題通り。私が大人買いを敢行したたったの5年ほど前には、ほぼ全てが新品で手に入った。うち1,2冊はいくつかの書店に問い合わせをして集めた記憶があるが、それでもそんなに苦労はしなかった。

ところが、これを書いている2023年4月現在、河出の公式サイトを見ると、既に半分以上の作品がHSJMとなっている。しかも、重要な作品に限って文庫化されていない!上二冊は他版で読めるものの、本全集の訳がとにかく良いのである。

クンデラはご本人がご存命だから、権利の関係で再録が難しいのだろうか?河出が文庫化する気がないのなら、赤N七七〇-三が空いてるぜ!『冗談』も『小説の技法』【過去記事】も西永先生やし。

灯台へ』については、既に別の方の訳が入っている岩波に入れることはできないので、河出さんに頑張って欲しい。

最後に『短篇コレクションⅠ』に入っているトニ・モリスンについては、そもそも他に訳書がないようなので、是非どこかのアンソロジーに拾っていただきたい。

池澤氏ありがとう!3選

当ブログの人気コンテンツは、ここまで池澤全集を読み倒しておきながら、ちょいちょい池澤氏へのディスを入れているところである。知らんけど。とはいえ、ディスってばかりいるわけでもなく、素直に池澤氏に感謝を捧げなければいけないような出会いがあったのもまた事実である。

例えば、リョサクッツェーはもちろん、ディネセンやギンズブルグ、あるいはぎりぎりダニロ・キシュほどの知名度であれば、この全集で紹介されていなくても触れる機会はあっただろう。しかし、この3作品はこの全集に採録されていなければ、一生触れる機会は無かったであろう傑作である。

哲学!哲学!哲学!3選

当ブログではいつも、各作品に対して「思想」「プロット」「文体」のどれかのタグを付している。もちろん、過度な分類やジャンル分けが作品の本質を損なうことは承知の上で、あくまで便宜的に付しているに過ぎない。そうしたタグ付けを踏まえ、ここから3つ、それぞれの特質が良く現れている作品を3つずつ選んでみた。

一つ目は「思想性」。ここに挙げた三つは、右だ左だという政治思想というよりも、もう少し哲学的な匂いがするもの。偶然か必然か全てフランス系の作品になった。

中でも、皮肉が効いた軽妙な文体で本質的な洞察を孕むニザンがお気に入りだ。

ページターナー!3選

第1集や第2集のまとめ記事でも触れているけれども、20世紀の文学作品というのは、19世紀の作品よりもはるかに読みづらい作品が多い。このため、20世紀の作品が大半を占める本全集は、どうしても読みづらい作品が多く収録されている印象がある。

そうした中で、ページをめくる手が止まらなくなるような、プロット的な推進力が強い作品を選んでみた。アジェンデとフラバルはともかく、ピンチョンがここに入るのには違和感を覚える方もあるかもしれない。

しかし、こと『ヴァインランド』に限っては、ここに入れて良いように思う。確かに細部は洪水のように押し寄せるが、物語はとても軽妙かつスピーディーだ。

文体!文体!文体!3選

二言目には自分には詩はわからないと書いておきながら、なぜか本を読んでて一番震えるのは、美しい文章に出会ったとき。散文の中に組み込まれると、とたんに文章の輝きがわたしにも理解できるようになる。

下に挙げた3作品は、特定の美しい一文があるというだけではなく、作品全体にわたって、言葉の力が宝石のように輝いている作品。読み返すたびごとに発見がある、どれもとても好きな作品である。

愛の物語!3選

内容面にも着目したまとめをいくつか。とりたてて好みなわけではないが、小説の主題として太古の昔から定番中の定番なのが恋愛物語である。本全集の中にも恋愛物語は数限りなくあるが、その中で3つをピックアップしてみたい。ド直球な恋愛物語なはずなのにここにピックされていないあれとかあれについてはお察しください。

さて、以下の3作はそれぞれ、大人の愛の物語、若者の愛の物語、そして、既婚者の愛の物語である。この中でも、一人称視点で主観の牢獄を見事に描き切ったモラヴィアの一作が、おじさんの私には最も身につまされる。

歴史好きに捧げる3選

内容面に着目したまとめの二つ目、それは歴史である。これもやはり古来より小説の主要なテーマの一つである。しかしやはり20世紀の小説は一味違う。ぜひこの3つを読み比べて欲しい。どれもこれも語りの方法に強いオリジナリティがある。なお余談になるが、「20世紀の歴史」そのものを小説のテーマにした『エウロペアナ 二〇世紀史概説』【過去記事】という良作もある。

以下の作品はそれぞれ、WWII前後のドイツ・ポーランドベトナム戦争期のベトナム、高度成長期の日本を舞台にしている。

・・・と、もっともらしいことを書いたが、ここまで『ブリキの太鼓』を紹介できていないことに気づいて、慌ててでっち上げたのが本節である。同作は圧巻の歴史大河絵巻であり、改めてオススメである。

文庫化されたものリスト

最後に、既に炎が消えつつある本全集であるが、見事文庫化されて第二の生涯を授かっている作品のリストを掲げておく。なお、上でも少し触れたように、本全集はその刊行に際して、既に文庫化されている作品から収録したり、かなり古い訳の単行本を再録したりという謎ムーブを行い、口さがない人たちにいろいろ言われていたものである。

このため、リストを二つにして、わかりやすく河出文庫に入ったものと、謎ムーブ勢とを区別して示す。

河出文庫に入ったもの】

1-01『オン・ザ・ロード

1-02『楽園への道』

1-08①『アフリカの日々』

1-11『鉄の時代』

2-06②『見えない都市』

2-07『精霊たちの家』

2-08①『パタゴニア

3-01『わたしは英国王に給仕した』

3-03『ロード・ジム』ジョゼフ・コンラッド

【その他の作品の文庫等情報】

1-04①『太平洋の防波堤』河出文庫から収録、品切れ

1-04②『愛人 ラマン』河出文庫から収録

1-04③『悲しみよ こんにちは』新潮文庫から収録

1-05『巨匠とマルガリータ岩波文庫へ収録

1-08②『やし酒飲み』岩波文庫へ収録

1-09『アブサロム、アブサロム!集英社文庫より収録、品切れ、なお多訳多数

1-12②『モンテ・フェルモの丘の家 』ちくま文庫より収録、品切れ

2-02①『失踪者』白水社uブックスより収録

2-08②『老いぼれグリンゴ集英社文庫より収録、品切れ

2-11①『ヴァインランド』新潮社トマス・ピンチョン全小説へ収録

総評

専門家の評価

「世界文学全集」という企画それ自体に対する興亡と、特にアメリカにおける到達点については、秋草俊一郎先生の『「世界文学」はつくられる』に詳しい。同書の中では、本全集について触れられている箇所もあるので、その引用から始めたい。

その後、河出書房が・・・『世界文学全集』全三十巻(二〇〇七-二〇一一)を刊行するまで、新しい企画自体の声を聴かない状態が長く続いた。・・・ポストコロニアルな状況を反映し、女性作家も多く収録した革新的な内容で、訳者にも・・・人気翻訳家を多数起用し、読書界・出版界の話題になった。「世界文学全集」「世界文学」にふたたび光をあてた功績ははかりしれない。・・・しかし、全三十巻の総部数は四十万部といったところであって、・・・全盛期の数十分の一まで減少していた。・・・とくに翻訳文芸書が不振にあえぐなかでのスマッシュヒットだった点には目をむけなければならないだろう。不特定多数にうったえるスローガンではなく、一部読書人のためのコピーとして日本で「世界文学」は生きながらえたのだ。(p.137,強調は引用者、なお強調部分の典拠として、2015年の産経新聞が引かれている)

全三十巻で四十万部というと、単純計算で一巻あたり1万三千部を売ったことになる。初版三千部とか、昨今では初版二千部とかいう言葉も聞こえてくるガイブン業界において、「スマッシュヒット」であることは間違いないだろう。

さて、ここで問題です。本全集で一番売れた作品は何でしょう?

もちろん、本当のところは河出書房の中のひとしか知りえないが、答えは明白、『苦海浄土である。なぜなら、手元の版に2016年発行、7刷とあり、さらに2023年現在、品切れになることなく根強く売られているからだ。他の巻は増刷を重ねたものでもせいぜい3刷であり、2017年購入の時点で初版だったものも多くある。

つまり、「世界文学全集」であるのにかかわらず、その中で圧倒的に売れたのは唯一の「日本文学」であるということになる。ここからは推測に過ぎないが、各巻の初版部数は多くて1万2000部、ことによると1万部程度に過ぎず、40万部のうちの相当量は石牟礼ほか人気の数冊が稼いだ数字なのではないだろうか。

そうだとすれば、これはちょっと困った事態でもある。

なぜ池澤全集を買ったのか?

ところで、そもそも私がこの全集に手を出そうと思ったのには、大きく二つの理由がある。

まず一つは愛書家的な動機である。コレクター魂と言い換えても良いかもしれない。何度もこればっかり挙げて恐縮だが、文学を読みたいだけなら『悲しみよこんにちは』を買う必要はなかったはずである。それにもかかわらず敢えて全巻買ったのは、やはり揃えたときの見栄えというのが外せない要素としてあったのは間違いない。

もう一つは、世代的な復讐心からである。私の親世代が(例えば部屋のインテリアとして)文学全集を買おうと思う程度の年齢層に達した頃には、既に「新しい企画自体の声を聴かない状態が長く続い」ている時代に入っていた。私の親よりも少し年上の義父は世界文学全集を買った(読んでない)そうであり、今でも義実家の押し入れに入っていると聞く。つまり、遅くとも15の頃には読書家でありたいと願っていたにもかかわらず、私の世代には拠って立つべき地盤が、「正典」が不在だったのである。これを買ったときに今更「正典」を求めていたというわけでもないが、その不在に対するある種の復讐心があったのも事実である。

私の評価

こうした私の購入動機のうち、一つ目の愛書家精神については、大いに満たされたといって良い。全てを読み尽くすという行為には達成感もあるし、好悪相半ばであったとしても、それはそれで良い読書経験であったと言える。また、本全集に手を付けていなければ決して触れる機会が無かったであろう作品に出逢えたということも、上に書いたとおりである。

しかし、復讐心については満たされていないといいって良い。先の秋草先生の本からの引用箇所を敢えて攻撃的に換言すれば、本全集の「世界文学全集」との表示は一部の読書人に対してアピールする商業的なコピーに過ぎない。むしろ「世界文学全集」としては欠陥だらけ、いや、「世界文学全集」であろうとさえしていないからだ。

このシリーズの際立った特徴は、やはり良くも悪くも池澤独裁体制にある。例えば、池澤氏は『アメリカの鳥』を本全集のベストに挙げるが、これは先の文庫化作品のリストなどから察するに、商業的には失敗作だったと思われる。また、作品の評価を考えても、仮に東大の現代文芸論研究室と比較文学比較文化研究室の教員全員を呼んで来て、編集会議を行ったとして、この作品の収録に賛成票を投じる人がいただろうか?

本来であれば、このシリーズは「須賀敦子の本棚」に倣って「池澤夏樹の本棚」とでも命名するのが実態に即していたはずだ。そもそも、「世界」の文学を「個人」が編集するという点で、タイトル自体が大いなる矛盾を内包している。「世界」を語るのであれば、正典性を放棄するにしても、せめて共同編集体制を取るべきだったのではないだろうか。

今日的な視点から見ると、「正典性」というのは作品集を編む上での視座の一つに過ぎないように思うが、それにしてもこのシリーズには編む上での視座が無さすぎる。あるとすればせいぜい、お気楽なコスモポリタニズム*2と、池澤氏の好悪くらいなものだろう。

結局、このシリーズの「世界文学全集」としての功績は、名称と本とをある程度売った、ということに尽きるように思われる。

世界文学全集は必要か?

でも、そもそも「世界文学全集」などというものが必要なのだろうか?つとに指摘をされているとおり、「全集」などというのは現代においては既にアイコンか幻想に過ぎず、どう頑張ってもその実態は「選集」(=アンソロジー)でしかない。本当の意味での「全集」など作れようはずもなく、考えるべきは「世界文学選集」は必要か、ということである。

これに対して私は、力強くイエスと答えたい。

一つ目の理由は、シンプルに私自身がそういうものを読みたいからだ。アメリカにはロングマンノートンの二大「選集」が今でも版を重ねているそうだが、とても羨ましい。たかだか2.5倍程度の人口差*3しかないのに、日本でそれが不可能ということがあるだろうか?

二つ目の理由は、やはりそうしたものが読者の(あるいは「生徒」の)側から、必要とされているように思われるからだ。「全集」が不可能になるほど、「世界文学」が、そしてそれが鏡像たろうとしている「世界」そのものが拡大している現代だからこそ、その道行きには羅針盤が欠かせない。こうした羅針盤の役割は、新潮社クレストや白水社エクス・リブリスのような新刊のレーベルだけでは果たせない。複数の専門家の手によって検証された、精選集としてのアンソロジーが是非とも求められる。

もちろん、教養主義時代のように、「全集」と銘打てば黙ってても売れるような状況が今後再び訪れる可能性も、勅撰和歌集の時代のように、国家戦略の一環として人文学が手厚く保護される時代が訪れる可能性も極めて低いだろう。

そうすると、これからの「世界文学全集」は資本主義とうまく折り合いを付け、絶えず自身の存在意義をアピールし続けていかなければ生き延びられないだろう。特に、池澤全集発売後の十数年の間で、ガイブン業界はおろか、出版業界を取り巻く環境は厳しさを増している。

しかし、この間に今後の「世界文学全集」のありかたについて示唆的な事象も起きている。

一つは、出版社(未知谷)と訳者とがタッグを組んでクラウドファンディングを行い、インドの作家による未邦訳作品の出版を目指した件である。この件では目標の資金が集まり、近く出版が行われるという。常にクラファンが妥当な方法とまでは思わないが、採算をとるための選択肢もまた広がっているはずである。

もう一つは、つい最近、新しい「世界文学選集」が発売された件だ。

え?そんなの出てないって?いやいや、出てるんですよ。

それは、小学館から出ている、『小学館世界J文学館』という児童向けの「世界文学選集」である。秋草先生をまねてトレーディングカードゲームの比喩を使えば、世界文学という膨大なライブラリの中から、「児童向け」というテーマで一つのデッキを組んだ例と言っても良いだろう。

編集委員の関係か、ややスラヴ圏が強すぎる印象もなくはない。しかし、伝統的な児童文学の「正典」に加え、アフリカやアジア地域の作品、ヨーロッパの中でもこれまで採録されにくかったオランダやベルギーの作品も採録されており、大変意欲的な内容になっている。

このアンソロジーの最大の特徴は、1冊の物理的な本(5,500円)を買うと、そこに125冊の電子書籍を読めるアカウントが付いてくるという仕組みになっている点だ。個人的には電書は苦手なので、本当は紙で読みたいというのが本音だが、5500円で125冊というのはとても画期的だ。印刷や流通のコストをカット出来ているとして、果たしてこれが採算ベースに乗っているのか、あるいは赤字覚悟の文化事業なのかは不明だが、これからの「世界文学選集」のありかたとして、示唆的であることは間違いない。

この問題に結論めいたことを書けるだけの能力は私にはない。

しかし、私が死ぬ前には、いや、この『小学館世界J文学館』を読んだ児童たちが青年期を迎える頃までには、日本語で新しい形での「世界文学全集」が読める日が来ることを願ってやまない。

 

・「世界文学」について考えるなら

・新しい試みのひとつ

*1:短篇集は1作でカウント

*2:池澤氏自身の表現では、「現代世界の肖像を文学全集で描き出すことを試みた」そうだ。「シンポジウム それでは、いま、世界文学とは何なのか? : デイヴィッド・ダムロッシュ氏、池澤夏樹氏を迎えて」れにくさ3号156頁より。なお余談であるがこのシンポジウム、登壇者級の研究者、訳者、作家が数多く客席側にいて、次々と鋭い質問を投げかけるという実にエキサイティングな内容になっている。

*3:英語話者という区切りにすると問題だが