名前をつけてやる
「あれは白いゴキブリの歌。私のことよ。彼らがアフリカで身内から奴隷商人に売られてやってくる前からここにいた白人のことを、彼らはそう呼ぶの。イギリスの女たちも私たちのことを白い黒んぼって呼ぶんですってね。だから、あなたといると、私はだれで、私の国はどこで、私はどこに属しているのか、いったいなぜ生まれてきたのかいつも考えてしまうわ。(p.355)
<<感想>>
本作『サルガッソーの広い海』は、ブロンテの『ジェイン・エア』【過去記事】を、ジェインの婚約者であるロチェスター卿の"狂人と化した前妻"バーサの視点から読み替えた作品である。
こうした「読み替え」という手法には他にも例があり、池澤夏樹=個人編集 世界文学全集の中でも、『フライデーあるいは太平洋の冥界』は、『ロビンソン・クルーソー』【過去記事】の読み替えを行っている。
本作が書かれたのは、『ジェイン・エア』の約120年後である。
本作を読み始めてまず感じるのは、この120年の間で起こった、文学手法の進歩もしくは変容である。
まず、『ジェイン・エア』が一人称回想体という(ある種安易な)視点で語られるのに対し、『サルガッソーの広い海』は、現在進行形の一人称視点で語られる。
また、『ジェイン・エア』は、王道ラブロマンスの物語であり、人物造形は常に一貫する。ジェインは、「意志の強い高潔な女性」の役柄を演じ切り、善良なフェアファクス夫人に裏表はない。悪役を振られるジェインの育て親や義兄弟たちには、いわば当然の報いとして、暗い運命が授けられる。しかし、ジーン・リースの世界では、ことはそう単純ではない。白人か黒人か、善か悪か、こうした二項対立では掬いきれない物語がそこにある。
最後に、手法というよりむしろ社会的制約という色彩が強いが、性愛というテーマが前景化している。
伝統的なラブロマンスでは、結婚こそ唯一にして最大のゴールでありフィナーレである。従って、性愛の問題が取り上げられることはなく、遥か後景にロチェスターの過去が見切れる程度である。
他方、20世紀の小説では、結婚は物語の一因子の一つに過ぎず、性愛の問題も正面から取り上げられる。
反面、この3つの変化の代償として、20世紀の文学は「読みやすさ」を失った。
そこで以下では、この3つのポイントに着目しつつ、本作を読解したい。
灯台へ/サルガッソーの広い海 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-1)
- 作者: ヴァージニア・ウルフ,ジーン・リース,鴻巣友季子,小沢瑞穂
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2009/01/17
- メディア: 単行本
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