電話やメールじゃなんだから
ああら!あなたはもうわたしのことなんか忘れちゃったんだと思ってた。
いくらイエメンでも、インターネットカフェへ立ち寄ってちょっとメールするくらいのことができないだなんて、言わないでよね。最近どこかへ行っていて、だから連絡が取れなかったなんて、とても信じられません。(p.291)
<<感想>>
これまでにこのブログで100本を超える感想記事を書いてきた。
が、今回は困った。書くことが大してないのである。決してつまらない作品だったわけではない。それどころか、軽妙なタッチの物語に魅せられて、ささっと読み終えてしまった。
では何故書くことがないのか。それは本作がいわゆるエンターテインメントに属する作品だからだ。
いや、エクリブにもこんな作品ってあるもんだ。
別にエンターテインメントが悪いと思っているわけではないが、どうしても、「面白かったです。」という、小学校低学年の読書感想文並みのコメントしか思いつかない。
そうかといってここでこの記事を閉じるわけにもいかないので、ざっくりとした粗筋と、読みどころを少し紹介してみたい。
タイトルが何せ『イエメンで鮭釣りを』である。恐らく、これを目にした文学好きの99%(当社調べ)が、ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』を思い浮かべたことだろう。そして、あのハイブロウな(※皮肉)文体から繰り出されるある種の幻想的な文章を予期したはずである。
しかし、本作はそうした予測を裏切る、ごくごく王道的な物語である。
主人公である水産学者のジョーンズ博士は、国立の水産研究所に務めている。そこへある日、「アラブの大富豪」から連絡が来る。曰く、イエメンで鮭釣りをしたい、と。
最初はその提案を一笑に付したジョーンズ博士であったが、政治的な圧力がかかり、そのプロジェクトに関わらざるをえなくなってくる。大富豪氏の熱意やエージェントである美女にほだされ、次第にプロジェクトに本気になっていくが・・・
この「イエメン・鮭プロジェクト」の話を主軸に、首相近辺のドタバタを巡る政治風刺、ジョーンズ博士の夫婦関係の不和と、美人エージェントとのロマンスなどを描いている。
もうほんと、これ以上書くことがないくらいの王道的な物語であり、すぐに映画の脚本にでも翻案できそうである。そう思って調べたら、案の定、既に映画化もされているようだ*1。
さて、続いてこの物語の特徴をあげると、次のとおりとなる。
まず構成面には際立った特徴がある。各章がそれぞれメールのやりとりや日記の抜粋、手紙の写し、供述調書などで構成されているのだ。この点は何より、本作のリーダビリティに大きく寄与している。
もう一つの特徴が、物語に実在の人物・雑誌名などが次々に登場する点だ。例えば雑誌の"The Sun"や、後に英国首相となる記者のボリス・ジョンソンなどが、実名で登場する。日本でいえば、週刊文春や丸川珠代氏が登場するようなものだろうか。
この点は日本の読者よりもむしろ本国の読者にこそ強い印象を与えたものと推察される。
ところで、私がこの作品を「エンターテイメント」だと断じたのは、やはりこの物語の書かれ方による。「アラブの石油王」のような紋切型の人物が、英国文化である「鮭釣り」に興味を持つ。市民レベルでの融和こそ描かれはするものの、それはまさしく物語上の虚飾に過ぎない。悲しいかなこの物語は、イエメンという変数をオマーンに変えようと、UAEに変えようと成立してしまうのである。
なお、この記事を書いている今日2024年1月13日、イギリス軍がイエメンを爆撃したことが報道された。
お気に入り度:☆☆
人に勧める度:☆☆☆(海外文学に抵抗がある人でも自然に読めそう)
・アデン(イエメンの都市)に行って帰る物語
<<背景>>
2007年刊行。作者は61歳にして本作でデビューしたという、遅咲きの作家である。
そしてそのデビュー作で、ボランジェ・エブリマン・ウッドハウス賞という文学賞を受賞したそうである。ウッドハウスとはP・G・ウッドハウスのことであり、つまりはコミカルな小説作品を対象にした賞のようだ。ボランジェとは、フランスの高級シャンパンメーカーだ(美味い。)。この賞に賞金はなく、受賞者にはウッドハウス全集と、ボランジェ・グランダネが1ケース贈られるという。
日本で有名なところだと、かつて『ブリジット・ジョーンズの日記』が候補作に選ばれている。もしかして、本作に「ジョーンズ博士の日記」が頻出なのは、同作を意識してのことだろうか?
ところで、私は大学1年生の英語の授業でブリジットの原典を読まされた読んだ経験がある。内容はほとんど覚えてないが、女性比率8割超の教室で「先生、"blowjob"の意味がわかりませんでした。」と発言した学生に、教室の概ね4割程度が凍り付いたことだけは覚えている。
<<概要>>
全33章構成。本文で触れたとおり、各章は日記、Eメール、議事録など、何かのために書かれた文章の抜粋、という体裁になっている。例えば、17章「議会議事録からの抜粋」、31章「ピーター・マクスウェルの未刊行の自伝からの抜粋」といった具合だ。
当然、各章は各々の書き手の立場から描かれている。
本書でもっとも評価できるのはこの点だ。多くの物語は、恋する男性主人公を描く場合、相手の女性の真意こそが最大の謎になる。ところが本作では、当の女性がどう思っていたのかが、その女性の日記として率直に描かれるのだ。
<<本のつくり>>
訳者はもともと児童書やヤングアダルト小説などを主に訳されてたいたようだ。そのためか、訳文は平易で、軽快な本作のリズムとよくマッチしている。
しかし、次の訳語はいかがなものだろうか。
働く女性がそんなふうにおしゃるをするのは自分を貶める行為だとメアリはいつも言っている。メアリ自身は着手の女らしさを際立たせない、実用本位の仕事着一辺倒だ。(p.33、強調は引用者)
恐らく、この「着手」は「きて」と読ませたいのだろう。
恐らく、射手や寄せ手のように、行為者という意味で使いたいのだろう。「食い手」なんていう用例もある。
しかし、自然に読んだとき、圧倒的多数の人が一瞬「ちゃくしゅ」の意味で取ってしまうのではないだろうか。実際、軽く調べてみたところ、この「着る人」という意味での用例はほとんど見当たらなかった。
訳文はぜひ自然なワーディングでお願いをしたい。
さらに、欲をいえば、単独で意味のとおりが悪くなったとしても、タイトルは『イエメンの鮭釣り』にして欲しかった。
*1:邦題「砂漠でサーモン・フィッシング」