ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

001『ジーザス・サン』デニス・ジョンソン/柴田元幸訳

銀の龍の背に乗って

「お前らにはわからんのだよ。チアリーダーだろうがチームのレギュラーだろうが、なんの保証もありやしないんだ。いつ何がおかしくなっちまうか、わかったもんじゃないのさ」と、自分も高校でクォーターバックか何かだったリチャードが言った。(p.35)

連作短篇集、で良いのだと思う。ただ、一人称の語り手は恐らくは同一人物で、このため、語り手の過去の断片を繋ぎ合わせた中篇小説としても読める作品だ。

舞台はアメリカ。そして語り手は、ちょっとした犯罪やドラッグなんかに手を染めているいわゆるアウトローである。

このためか、少しページを繰ったときの読み味は完全に村上何某の小説――過去に退廃小説を書いていたことなんかすっかり忘れた顔して、経済番組の聞き手を務めていた方――だ。いや、一つの短篇を終えて、次の短篇に取り掛かったときでさ、そうした印象を受ける。

ところが、このデニス・ジョンソンという作家の読み味は、そうした小説とは趣が異なるものがある。

さぁ、アウトローを語り手に据えてみよう。

このとき、考えられうる典型的な目的は二つあるように思う。一つ目は、アウトローを通じてエスタブリッシュメントを攻撃する社会批判の意図だ。もう一つは、かつての任侠もののように、アウトローを美化し、アンチヒーローとして提示するやり方だ。

しかし、本作はそのどちらとも異なる。本作が特徴的なのは、記号的にあるいは客体的に扱われてきた、アウトロー自身に声を持たせている点である。

従って、そこにはアメリカの下層階級の剝き出しの生き様*1が描かれている。

 

そうした本作には読者に強い印象を与えるポイントが二つある。

一つ目は、各短編の結末部分で、文章がふいに跳躍を起こす点である。

どの短篇も、基本的に物語の筋は、「アウトローの粗暴な日常」といったところである。それにも関わらず、語り手が世界の真理を悟ったかのような、抽象度の高い述懐を始めるのだ。

まるで同じ村上でも、いつの間にか違う方の村上を読んでいたかのようである。

「・・・心配するなって。あんたもう、カナダに行ったも同然だよ」

あの世界!このごろじゃもうすっかり消されてしまって、巻き物みたいにくるくる巻かれてどこかに片づけられてしまった。そう、俺はいまでもそれに指で触れることができる。でもどこにある?(p.99)

 

もう一つ、信仰を持たない私(そして、多くの日本人)に異質にさえ思われるのが、宗教、いや、神についての描写である。

ニーチェリアンである私にこのテーマを読解するのは荷が重いが、(キリスト教的ではあるものの)前宗教的な神の観照、とでもいえばいいのだろうか。

ジャック・ホテルは俺と並んで鏡に映って酒を飲んでいた。俺たち二人にそっくりなのがほかにも何人かちえ、俺たちは心安らかだった。

ときどき俺は思う。またああやって朝の九時に酒場にたむろして、神から遠く離れて嘘をつきあっていられるならなんだってする、と。(p.48)

どうしようもうない畸形のせいで街に出してもらえない連中もいた。彼らを見ると、神が見境ない狂人に思えてきた。一人は骨に先天的な病気が合って、そのせいで身の丈ニメートル十の怪物になっていた。(p.150)

タイトルも示す通り、この独特の「神」感覚は、恐らく本作の重要なテーマなのだと思う。また、ある種の生き方をしている人々にとってのリアルの一つなのだとも思う。

しかし、私の感覚とも、また文体の好みともかけ離れているため、本作は私の好みとはかけ離れた一作であった。

 

お気に入り度:☆

人に勧める度:☆☆

 

・カーヴァーやブローティガンを含む短篇集はこちら

 

<<背景>>

1992年発表。

作者は1949年生まれ、世界のハルキムラカミと同い年ということになる。

同じ方向感の作品を描くレイモンド・カーヴァーは1938年生まれだから、彼の一回り下である。

作者は、後の長編『煙の樹』で全米図書賞を受賞している。従って、本作の位置づけとしては、全米図書賞受賞作家の初期短篇、ということなるだろう。

なお、『煙の樹』も同じ白水社エクス・リブリスから刊行されている。

 

<<概要>>

全11篇構成、全て一人称小説である。同一人物と思わせるように描かれている語り手が、自身の過去の断片を語る構成である。

最初から連作短篇として企図されていたのであろうか、前半の短篇よりも後半の短篇の方が、希望が持てる内容となっている。

緩やかに人間(性)の再生・復活を描いているとも受け止められる。

 

<<本のつくり>>

記念すべき(?)白水社エクス・リブリスの第1作目である。柴田&柴崎の柴柴コンビを訳者&帯文に迎え、盤石の布陣ということなのであろう。

問題は肝心の作者、デニス・ジョンソンである。感想で書いたとおり、私の好みからは外れており、なぜこの作家、この作品が選ばれたのか正直なところ不思議であった。

あとがきを読んでなるほど納得、この作家は村上春樹の「推し」であり、ご本人が一部訳出をしたこともあるようだ。従って、商業的には納得のセレクト、というわけである。

村上が取り上げる作家で、彼自身が本当に好きなのは、ブローティガンとかカーヴァーとか、米文学の作家だと思うが、どうにも私は村上が好むような米国作家とはことごとく水が合わない。

*1:実存、という言葉は嫌いなので意地でも使わない