ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

原作『失われた時を求めて』愛読者が観た映画「スワンの恋」

インターミッション

 

公開セミナー「新訳でプルーストを読破する」【過去記事】の公式twitter参考リンク】にて、映画「スワンの恋」がテレビ放送されると知ったので、せっかくだから鑑賞してみた。

ところで、私は普段ほとんど映画は見ない。このため、俳優の名前も知らなければ、映画の「書誌情報」として何を掲げるのが適切かもわからない。

ともあれ、本記事は『失われた時を求めて』の原作は読んだことがある人向けの「スワンの恋」評という、(逆ならまだしも)どこに需要があるのか検討もつかない記事になるからら、勝手気ままに文学のコードで評してみたい。

 

さて、原作ファンによる、映像化作品評などというのは、往々にして愛してやまない原作を好き勝手にされたことに対する不平不満うらみつらみで埋め尽くされるのが通常である。

ところがどっこい、意外な見どころが多くて、素直に楽しむことができた。

 

概要を先に述べると、本作は大筋でプルースト失われた時を求めて』の第一篇第二部、岩波文庫版でいうところの2巻(全14巻)の一部を約2時間にまとめた物語ということができる。

文学と映画という異なる表現形式間で、原作の異同を論じようとすると、人間と象の「違い」を探す話になって不毛だ。それよりも、映画ならではの美点と欠点とを探し求めるのが面白そうだ。

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潜入レポート:公開セミナー「新訳でプルーストを読破する」(2017~2019)

セミナー参加録

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先日(2018年8月26日)、プルーストの『失われた時を求めて』に関するセミナーに参加させていただいた。

最初にどさっとそのセミナーの基本情報をご紹介したい。

 

私が最初にこのセミナーを知ったのは、岩波書店のホームページからだ【参考】。

私は研究者でもなければ、立教大学のOBでさえないが、せめて一般市民には該当するのではないかと考えて、勇気を持って参加してみた。

たしかに、一部には研究者然とした方や、OB風の方々もいるにはいたが、老若男女問わず100名ほどの方が参加しており、大多数が一般市民といった様子であった。このため、一般市民を自認する人であれば、気兼ねなく参加できそうである。

 

さて、このセミナーにいう「新訳」というのは、もちろん吉川訳(岩波文庫版)を指している。したがって、全14回というのは、吉川訳の全14巻に対応し、各回で岩波文庫版の各1巻が取り上げられる。

各回のゲスト講師は次のようなラインナップになっているようだ。

  1. 吉川一義氏(京都大学名誉教授)
  2. 工藤庸子氏(東京大学名誉教授)
  3. 石橋正孝氏(立教大学助教
  4. 湯沢英彦氏(明治学院大学教授)
  5. 根本美作子氏(明治大学教授)
  6. 阿部公彦氏(東京大学教授)
  7. 高楼方子氏(作家)
  8. 野崎歓氏(東京大学教授)
  9. 青山七恵氏(作家)
  10. 小黒昌文氏(駒澤大学准教授)
  11. 青柳いずみこ氏(ピアニスト、文筆家)
  12. 中野知律氏(一橋大学教授)
  13. 柴崎友香氏(作家)
  14. 吉川一義氏(京都大学名誉教授)

 

肩書きを見るだけでもわかるとおり、講師の方々はプルースト研究の専門家に限られない。それぞれのゲストのバックボーンに基づき読みどころを語ってもらい、「誤読」を恐れないというのを趣旨としているようである。

今回私が参加したのは第6回であり、講師の阿部公彦先生も、ご専門は英文学の領域だということだ。

 

次回で第7回、ちょうど折り返し地点となる。実は私は第4回から参加させていただいているのだが、毎回何割かの人が、「今回初めて参加された方は?」との問いかけに挙手をされているため、途中からの参加でも安心である。

 

肝心の中身であるが、大よそ毎回、司会の坂本先生からの、参加者に対する問いかけではじまる。これによると、前述のように、初参加の方も多く、また、セミナーをペースメーカーとして、はじめてプルースト・マラソンに挑んでいる参加者の方々も多いようである。

 

問いかけが終わると、いよいよ本題だ。

予定時間は2時間(+ロスタイム)。

前約90分が、講師の先生の読みどころ解説と、参加者からの事前質問に対する回答に充てられる。この時間の中で、司会の先生による該当巻の構成の要約紹介が行われることもある。

後約30分が参加者同士のディスカッションタイムだ。

 

講師の先生の読みどころ解説は、一方的な講義調とは一線を画し、坂本先生からの問いかけと、それに対する回答といったような対談調で行われる。

 

講師の先生に対する最初の質問は定番化している。「あなたにとってプルースト的とは何か?キーワードなどで簡潔に答えてください。」という質問である。これは物理学の大家に対し物のことわりを一語で問うようなものであり、実に研究者殺しの問いかけである。

 

この問いかけに対しては、研究者らしく正面からは答えない先生もいれば、今回の阿部先生のように、蒙昧な一般市民のために、わかりやすいキーワードをいくつか提示してくださる先生もいる。

ちなみに阿部先生は、下記引用箇所などを挙げつつ、注意散漫(脱線)というキーワードを指摘され、他にもいくつかのテーマを挙げてくださっていた。

「脇目もふらずある人を愛すると、つねにべつのものを愛することになるのである。」(第4巻、p.415)

また、二人の読み手の化学反応によって、プルーストの新たな読みの視点が浮かび上がってくるのも、対談調であればこその魅力である。

阿部先生が、プルーストの変態性(の魅力)や、20世紀文学における"Cute"の主題*1を論じてるのに対し、坂本先生から「キモかわいい」というワード/視点が飛び出してきたのはまことに印象的であった。

また、他にも定番の質問として、「あなたの選ぶ1ページを挙げてください」というものがある。ここでも、自分がほとんど読み飛ばしていたような1文が、まったく意外な観点で語られることがあり、実に興味深い。

 

後半に行われる参加者同士のディスカッションタイムは、この「あなたが選ぶ1ページ」という問いかけを用いて行われる。

すなわち、参加者各人が休憩時間中に自身の「1ページ」を選定し、そのページの魅力をそれぞれ小グループで発表するというものである。

この企画もなかなか侮れない面白さを持っている。

それというのも、各人がどのページを指定し、どのような感想を述べるかによって、当人がプルーストに何を求め、どう読んでいるのかが伝わるからである。そして、来場者の方々の読みの多様性が理解できる。

訳本が吉川訳に指定されているため、あとがきに引きずられて「人生の教科書」的な読み方をされる方*2が多いのかというと、必ずしもそうとも限らない。

具体的な場面は敢えて挙げないが、プロット的な山場でのカタルシスを指摘される方、「わたし」にある種の感情移入をしてシンパシーを語る方など、様々だ。特に、普段映画をあまり見ない私からすると新鮮なのが、意外なほどに多くの方が、小説の一場面から、(文学作品ではなく)映像作品を連想されることだ。

このように、他者の様々な読み方に触れることにより、翻って自身のプルーストとの距離感が測られることになり、なかなかに刺激的な体験である。

 

最後に、うれしいうれしい参加特典までいただける。

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1つ目の特典が、先着順で貰えるポストカードである。

2つ目の特典が、司会の坂本先生お手製の「『失われた時を求めて』しおり」である。

しおりがいただけるのは、事前に「講師への質問」を応募した人、事前に「私の選ぶ1ページ」に応募した人のいずれかである。次回第7回のパンフによると、セリフ当てクイズの正解者も、このしおりが貰えるらしい。

 

このセミナーにご興味を持たれた方は、セミナー公式twitterでより詳細な情報を見ることができる。

 

 

 

*1:19世紀まではsublime崇高/beautiful美との対立軸があったのに対し、20世紀にはCuteという主題が登場したという観点

*2:プルーストはphilosophizeしたがる、という若干の皮肉が含まれた阿部先生の口吻も面白かった。

『処刑への誘い』ウラジーミル・ナボコフ/小西昌隆訳

ナボコフ ドストエフスキー殺しの文学

・・・私は犯罪的な直感で、どう言葉が組み立てられ、どうふるまえば、日常の言葉が賦活され、隣からその輝きや熱や影を借り、みずからも隣の言葉に反映しつつ、それをそうした反映によって一新させる―おかげで行全体が生きているみたいに連続的に色合いを変化させる―のかを察知していて、そうした言葉の隣接関係を察知しつつ、でもぼくはそれをものにすることができないのだ、いまここのものでないぼくの課題のためにそれがぼくには欠かせないのに。(p.89)

<<感想>>

ナボコフ先生の作品ということで、今回も遠慮なく、ネタバレ上等で最初にあらすじを紹介してしまいたい。

主人公のキンキナトゥス*1は、理由もわからずに死刑判決を告げられ、投獄される。獄吏や監獄長、同囚者、面会に来た妻などとのやり取りが、ドタバタ喜劇調あるいは夢幻劇調で展開される。結末部では、とうとう刑が執行されるが、キンキナトゥスの生死は明確にされず幕を閉じる。

このように、プロットはシンプルだ。

ところが、本作は実に豊穣な作品で、感想として書き記しておきたい事項が非常に多い。

まず、『キング、クイーン、ジャック』【過去記事】同様、『不思議の国のアリス』の要素が散りばめられてる点や、登場人物が作中人物であることに勘付いているフシのある、メタフィクショナルな要素が気になる。また、『マーシェンカ』【過去記事】や『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』【過去記事】のように、作中で創作行為が取り上げられている点も見逃せない。『偉業』などと同様、読者が予想する、あるいはベタな展開に対してことごとく肩透かしを喰わせる点も興味深い。この他にも、主人公に対する「視線」の主題や、処刑が結婚に擬えられている点も、取り上げ甲斐がありそうだ。

しかし、これらは全部横に置いた上に、今回は敢えてナボコフからテキストを強奪して、本作を精一杯誤読してみようと思う。

 

思うに、本作の裏テーマは「ドストエフスキーのパロディ」にある。

ナボコフ・コレクション 処刑への誘い 戯曲 事件 ワルツの発明

ナボコフ・コレクション 処刑への誘い 戯曲 事件 ワルツの発明

 

*1:ネーミングは、アメリカの都市、シンシナティにその名を留める古代ローマ独裁官から

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2-01①『灯台へ』ヴァージニア・ウルフ/鴻巣友季子訳

時間よ止まれ

諸行は無常であり、すべては変わりゆくが、しかしことばは残り、絵も残るのだ。(p.230)

<<感想>>

ヴァージニア・ウルフというと、付きまとって離れないいくつかのイメージがある。

曰く、「モダニズムの旗手」だとか、「意識の流れ」を用いた代表的作家だとか言われて、ジョイスプルーストとひとまとめに語られたりする。

あるいは、本作『灯台へ』は、岩波文庫版では1冊足らずのさして長くもない作品なのに、やたらと挫折者が多い印象もある。

そこで今回は、ウルフのこうしたイメージ先行の部分を、私なりに解きほぐしてみたい。

 

まず指摘したいのが、灯台へ』は新しいだけではなく、きわめて伝統的な部分も持ち合わせた作品だという点だ。

さしずめ、新しそうで新しくない、少し新しい小説といったところだ。

よく、フランスの小説が独立した個人である登場人物の内面の描写に力点があるのに対して、イギリスの小説は、社会や社交風俗の中における人物の描写に力点があるといわれる。

当ブログで取り上げた中では、ジェイン・オースティン過去記事】も、ジョージ・エリオット過去記事】も、E・Mフォースター【過去記事】さえも、この例にしっかりあてはまる*1

本作もその伝統をしっかりと受け継ぎ、複雑な人間関係の波に翻弄される登場人物たちが、精妙に活写されている。

 

ウルフが新しかったのは、これを十年の歳月で隔てられた僅か二日の物語で表現したところだ。上に挙げたどの作品も、作中では多くの時が消費され、そして結婚や出産、死といった、大きな出来事が登場人物たちに波紋を生じさせる。

ところが『灯台へ』の二日間では、僅かに婚約話こそあれど、結婚も、出産も、死もない。登場人物たちの心を波立たせるのは、灯台行きの話が持ち上がっては消えることや、会食者の一人がスープをおかわりしたことなど、ごくごく平凡事に過ぎない。

それにもかかわらず、これを一個の物語として、あるいは社交風俗の描写として成立させたのが、ウルフ独特の文体なのである。逆に言えば、文体があって作品があるのではなく、文体はあくまで作品のために要請されたに過ぎない。

そして、その文体の要諦は、「意識の流れ」と呼ばれる部分よりも、まずもって、これまでの作家が鳥の目で人々の心理を捉えていたのに対し、これを蟻の目で捉えた点だ。

うちの人、堂々たる貫禄を見せていることでしょう……と思いきや、それどころか!当の人は顔をくしゃくしゃにゆがめ、すごいしかめ面をして、怒りで真っ赤になっているではないか。いったい、なにをいきり立っているの?夫人は頭をかかえた。なにがいけないというの?たんにオーガスタスさんがスープのおかわりを要求した。それだけのことでしょう。しかしスープからまた始めるなど、考えられん、言語道断だ(ということを、夫はテーブル越しに無言で伝えてきた)。(p.122)

これは先にあげた会食中のシーンだが、この「スープおかわり騒動」だけで、このあとたっぷり20行は夫妻の心中が描写されることになる。

 

*1:ウルフお気に入りのジョージ・エリオット『ミドルマーチ』は、しれっと『灯台へ』の中にも登場する。「・・・うっかり隣に座ったらジョージ・エリオットの話なんかされて、震えあがったものだ。だって、『ミドルマーチ』の第三巻は列車に忘れてきたから、結末は知らないままだった。」(p.126)

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