歴史のお勉強
古典時代から文学とは、有用性(use)を娯楽性(delight)でくるむものとみなす考え方が支配的であったが、市民社会はこの考え方を強めこそすれ、弱めることはなかった。(p.85)
小説は市民階級のためのジャンルである。・・・そして十八世紀をつうじてイギリスの市民階級が成長し、家庭での余暇が増し、字の読める階層がひろがるにつれて、小説というジャンルは根を深く降ろし、枝葉を茂らせていったのである。(p.129)
<<感想>>
本来であれば、次は1-07『ハワーズ・エンド』E・M・フォースターの書評が来るはずである。しかし、ここに来て、ここまで殆どイギリス文学に親しんでこなかったことに気付いた。
当ブログの書評を一つか二つかお読みいただいた方であれば、私が文学史を重視していることをご理解していただいていると思う。それは、文学史全体を丸ごと一書の作品のように捉えているからだ。
四大悲劇くらいであれば遠い昔に読んだ記憶があるが、本棚を見渡しても、あとは『クリスマス・カロル』ディケンズ、『ピグマリオン』ショー、『1984年』オーウェル、『蝿の王』ゴールディングが目につく程度だ(何せ岩波の赤二〇〇番台が一冊もなかった)。ドストエフスキー御大が心酔し、ナボコフ先生が賛美するディケンズもろくに読んでいないとは恥ずかしい限りだ。
学部ではイギリス思想ゼミだったはずなのに。むしろそうであるがこそ、このやたら思想色の強いラインナップになったのだろうか。
ともあれ、このままでは『ハワーズ・エンド』を読む資格がない。
慣れ親しんだ岩波文庫別冊『文学案内』シリーズにしようと思っていたが、ロシヤ、ドイツ、フランスだけで、残念ながら『イギリス文学案内』は存在しないようだ。そこでとりあえず買ってきたのが本書である。
そのほかに、『ロビンソン・クルーソー』デフォー(『トム・ジョウンズ』はHSJMだった。)、『大いなる遺産』ディケンズ、『高慢と偏見』オースティン(『マンスフィールドパーク』は積んでいた)、それとイギリス"史"の本を何冊か。
本書はおそらく、学部生向けの講義において教科書と使われることを念頭に置かれて書かれているのであろう。しかし、「新書版的」な文体で書いたという著者の狙いは見事にあたり、非常に読みやすくかつコンパクトにまとまった快著となっている。
つくりとしては、半期13コマという講義数にあわせ、13章構成となっている。各章には章題が付され、さらにその下の節にも節題が付されているため、現在のポジション―歴史的位置を絶えず確認しながら読み進めることが可能である。
記述の分量も、詩・劇・散文にバランス良く配されており、安定感がある。この種の書籍になくてはならない注・年表・索引も完備され、至れり尽くせり、さすが我らの研究社である。
1986年の初版から、2015年までで42刷も重ねているのも納得の出来であった。
さて、地図も手に入ったことだし、予定通り、デフォー、ディケンズ、オースティンと、見つかり次第フィールディングも経由して、フォースターへ歩むとしよう。
(スウィフト、サッカレイ、スティーブンソン、ハーディは割愛)
(『ドン・キホーテ』、『トリストラム・シャンディ』、『不思議の国のアリス』、『ユリシーズ』という順番で読書するのも面白そうだ。)
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