ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

3-05『短篇コレクションI』フリオ・コルタサル他/木村榮一他訳

二人ここから 遠くへと逃げ去ってしまおうか

冒頭に引用が来ないとしっくりこないね!でも、アンソロジーなので、引用は各作品の項目ですることにしました。また今回は概要/背景/本のつくり欄も省略で、書きたい部分だけ各作品の項目で触れています。

本巻は二冊ある短篇コレクション*1のうちの一冊で、収録作品は広く非ヨーロッパのもの。候補作はそれこそ山のようにあるだろうに、正直玉石混交の度合いが激しい。少なくとも指摘できるのは、この短篇集1冊が小さな「池澤夏樹=個人編集世界文学全集」であり、全集全体の反映でもあることだ。セレクトの妙に唸らされる傑作もあれば、なぜ入っているのか理解に苦しむ作品も、いや、それ他版でみんな読んでるよね!?という作品も入っている。

今回は特に気に入ったものには★印を、やや良かったものには+印をつけた。

なお、池澤全集のこの巻は残念ながらHSJM(版元品切重版未定)のようなので、それぞれの作品が現在手に入るのか否かの情報も重要だと思い、各作品の末尾に2023年現在、私が調べ得た範囲の他版情報を記した。

★「南部高速道路」フリオ・コルタサル/木村榮一訳(アルゼンチン、スペイン語

冒頭にこの作品を置くとは強気なチョイス。なぜってコレ、面白いから。ラテンアメリカの雄コルタサルの傑作。こんな面白いのを冒頭に置いちゃったら、これに引き続く作品のハードルが上がるじゃん?

舞台はフランス。南部からパリへと向かう高速道路。いつまでも解消しない大渋滞の中、やがて物語から時間の観念が失われる。巻き込まれた運転手たちの間で原始的な共同体が生まれ・・・

本来走るべく作られた機械がまるで密林のようにびっしりと路面を覆い、その密林が人間を閉じ込めているのだから、考えてみればばかげた話だった。(p.8)

短篇というと、いきおい寓意的なお話が多くなるけど、そのお手本のような作品。

◎同一訳で読める(文庫)

「波との生活」オクタビオ・パス/野谷文昭訳(メキシコ、スペイン語

短篇でよくあるパターンその2。詩的で短いやつ。詩がわかる人は果てしなく尊敬するけど、どうもあまり得意分野ではありません。パスさん、有名らしいけど初見でした。

波を彼女にして自宅に連れ帰る話。反対にいうと、女性を波で喩えている。苦手その2として、なんかこう女性性を鋳型に嵌めるような物語も好みではありませぬ。

波は寂しさを嘆くようになった。僕は家中に巻貝や二枚貝を置き、小さな帆船を浮かべてやったけれど、怒り狂った日に、彼女は船を・・・残らず沈めてしまった。(p.45)

○『鷲か太陽か?』(書肆山田)所収、版元に在庫有り

+「白痴が先」バーナード・マラマッド/柴田元幸訳(アメリカ、英語)

短篇でよくあるパターンその3。叙述トリック的などんでん返し。作者のマラマッドさんはこちらもはじめまして。どうもロシア系移民の家庭に生まれたようだ。カーシャを食うおっさんが登場するあたりも、確かにロシアっぽい物語に読めてくる。

「白痴」とは酷い言い様だが、主人公メンデルの息子のこと。老い先短い主人公はその白痴を親戚のもとへ送り出そうとして、金策に奔走する。主人公を妨害するギンズバーグの正体とは?こういう映画にできないような小説、好きです。

メンデルは一方の袖をしっかり握って、妻と外套を奪いあった。この女のことは知っている、とメンデルは思った。「シャイロック」と彼は呟いた。(p.61)

シェイクスピアの引用義務も果たすぜ!

〇同一訳で読める(単行本)

「タルパ」フアン・ルルフォ/杉山晃訳(メキシコ、スペイン語

うん、『ペドロ・パラモ』の人だね!どうもこの人、寡作だったようで、『ペドロ・パラモ』の他には、この短編を含む短編集『燃える平原』くらいしか作品がないようだ。どんな長編を書こうとしても、結局『ペドロ・パラモ』になってしまうのを悩んでいたそうだ。

物語は、妻ナターリアとその義弟(主人公)の二人で、病気の夫タニーロを捨てに行くお話。妻と義弟の不倫関係の背後に、宗教的な雰囲気がチラつく。宗教的な雰囲気の暗い話は、あまり好みではない。ただこの作品の特筆すべき点は訳文にある。一人称「おれ」を採用した時点で勝利が決定付けられた気がする。

で、おれとナターリアは、それにつけこんでタニーロをタルパへ連れてったってわけだ。おれは弟ということで一緒に行くことになった。(p.71)

◎同一訳で読める(文庫、本書刊行後)

「色、戒」張愛玲/垂水千恵訳(中国、中国語)

ハニトラのハニ子さんが主人公のスパイもの。スパイ×エロ×恋愛もので、文学というより映画脚本のよう。あれ、載せる作品間違えました?的な。この作者もはじめましてだけれど、調べたところどうも原語だと文体が美しいようだ。

確かに、この作品で見るべきところがあるとすれば細部にある。ティーカップのモチーフ使いは上手だし、女スパイ氏が気合を入れる(緊張をほぐす?)次のカットも見事。

佳芝はハンドバッグを開けると、小さな香水瓶を取り出し、ガラスキャップの先につけた香水を耳たぶの後ろにちょっと塗った。そのガラスの過度の微かな冷たさだけが、茫漠と彷徨う心を現実に繋ぐ一縷のものだった。(p.101)

漢字にカタカナルビを乗せる訳し方が頻出し、訳出の仕方が好みではない。なんと四方田犬彦氏の配偶者だそうだ。

×全集で新訳、先行訳あるも品切れ。

+「肉の家」ユースフ・イドリース/奴田原睦明訳(エジプト、アラビア語

存じ上げなかった作家。マフフーズさんなら知ってるけれども。とりえあず読んでみると、出ました!池澤氏大好き、エキゾチック・エロ・ファンタジー

夫/父に先立たれた妻+3人娘の家族。盲目のコーラン読みを家に招き入れ、やがて妻と再婚するが・・・

こんなに貧しく、不器量な娘、特に男親のいない娘たちの戸を叩く阿呆が何処にいようか?だが、希望というものは、もちろんなくなりはしない。どんな豆にも、それを計る秤があるものだ。(p.124)

単なるエロ・ファンタジーは願い下げだが、最後まで読むと寓意に見えてきてぞわぞわくる。

△「集英社ギャラリー 世界の文学20」所収*2

+「小さな黒い箱」フィリップ・K・ディック/浅倉久志訳(アメリカ、英語)

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』でお馴染みの人。未読だけど。というか、作者の名前よりも作品の名前の方が有名かもしれない。この「小さな黒い箱」に出て来るマーサー教の話は、『アンドロイド~』の話の種にもなったそうだ。

一読してピンチョンの『ヴァインランド』【過去記事】っぽい?と思う。異能力者が出てきて、禅レディが出てきて、やたらと強権的なFBIが出てきて・・・。むしろピンチョンこそディックっぽいというべきなのか。

こういうストーリーを読むと、学生運動さえヨザーさん並の秒速で下火になった日本とは違って、ある時代のアメリカでは、体制側は反体制的な集団によって本気で国家が転覆されることを恐れていて、反体制側は体制側が本気で国家の隅々を違法に締め上げていると信じていたんだな、と思うね(長文)。

あまりに所与が違いすぎて、ちょっとそういうところは合わないなと思う。反面、さすがに本短篇集屈指のビッグネームだけあって、読ませる読ませる。でも、そこで終わるの?

「しかし、本来のあれは政治運動だ。すくなくとも、政治運動として扱わねばならん」(p.144)

◎同一訳で読める(文庫、本書刊行後)

「呪い卵」チヌア・アチェベ/管啓次郎訳(ナイジェリア、英語)

『崩れゆく絆』でお馴染みのアチェベ。村が疫病に侵されていく様を、敢えて当事者の視点で、敢えてアフリカの神話の文法で記した物語。別に面白くないということはないのだけれど、『世界文学アンソロジー』【過去記事】所収の「終わりの始まり」がとても良いので、比較するとがっかり。

だがそれほどにキティクパ、天然痘の神の力は、絶大だった。この神だけが、あれだけの数の人々を追い払い、市場を蝿たちの天国にすることができたのだ。(p.183)

×全集で新訳、先行訳あるも品切れ。

+「朴達の裁判」金達寿(朝鮮、日本語(!))

はじめましての金さん。短編というには長い100頁オーバー、芥川賞候補作だったらしい。なんか凄いヘタウマな感じ。

ヘタ①:冒頭2文目でチチコフの名前を出したと思ったら、1ページ目の後ろの方にはもう『死せる魂』*3の名前を出して、何がやりたいかアピールが出すぎ。でも最終的には『死せる魂』的な喜劇にまとめあげている。

ヘタ②:文体がはっきりウザい。漢字で書くべき部分の変なカタカナ表記とか、妙に馴れ馴れしい語り手の距離感、過剰な反権威主義とか。おじさん構文の元祖こと、椎名誠流の昭和軽薄体というべきか。あれ?椎名誠よりも初出が早いって、もはやこちらが元祖?でも最終的には高い文章力で崩壊せずにまとめあげている。

お話の筋としては、農奴出身の朴達(パクタリ)が、町の権威達に対抗する内容になっている。この手の左翼小説は右翼小説と同じくらい趣味じゃない。悪しき勧善懲悪に堕するか、さもなければプロパガンダになるのがオチだからだ。重度のカント病に罹患して、ユーモア欠乏症に陥った『アメリカの鳥』【過去記事】という例もある。

ところがこの作品は、「漫画という俗悪な媒体」であるという理由で『はだしのゲン』を嫌った共産党的クソマジメ体質とは一線を画して、きちんと喜劇をやっている。

いまから百何年かまえ、かの六等官パーウェル・イワーノヴィチ・チーチコフがどこからともなく四輪馬車を乗りつけたロシアの県庁所在地もなかなかおもしろいところであったらしいが、この町もそれにおとらずおもしろい。(p.191)

△『金達寿小説全集6』所収、HSJM

「夜の海の旅」ジョン・バース/志村正雄訳(アメリカ、英語)

そういうことかな?って感じで読み始めて、そういうことだね。って終わる。ネタバレ的なのでこれ以上は書かないけど、申し訳ないけど支持層が謎。これをチョイスしたセンスも謎。

ごめんね。引用もしません。

△『アメリ幻想小説傑作集』所収、HSJM

「ジョーカー最大の勝利」ドナルド・バーセルミ/志村正雄訳(アメリカ、英語)

バットマン再話という変わった作品。どうもバットマン的物語の陳腐さを浮き彫りにしたいようだが、いかんせんバットマンを知らないからただのつまらない物語だった。

△『帰れ、カリガリ博士』所収、HSJM

★「レシタティフ―叙唱」トニ・モリスン/篠森ゆり子訳(アメリカ、英語)

このまま「南部高速道路」だけで終わっちゃうのかと思ったら、池澤さん、ちゃんと持ってんじゃないの!この作品の唯一の邦訳書というだけで、この短編集を買う価値がある傑作。

話の中身は毒親×シスターフッド×階層対立」。この全集が出た2010年より、現在(2023)の方がウケるんじゃなかろうか?お互い親がいるのに孤児院で暮らす羽目になった二人の少女(8歳)。一人は白人で、一人は黒人。孤児院を出てからも時折交錯する二人の人生を追う。ちょっと踏み込んで書くと、一番の大ネタをばらすことになるので詳しくは書かない。ただ、密度の濃い、精読の価値ある作品。

たとえ子供を一人ぼっちにして踊りに行ってしまっても、地上にいるきれいなお母さんのほうが、お空にいる死んだ立派なお母さんよりもいい。(p.321)

×全集で新訳、他版はなし。

+「サン・フランシスコYMCA賛歌」リチャード・ブローティガン/藤本和子訳(アメリカ、英語)

日本でだけ妙に人気といわれるブローティガン。確かにファンが多い印象があるけれど、これってやっぱりM上H樹と関係有り?そんなに読んでもいないけど、好きでも嫌いでもない。だって、どれを読んでもなんとなくワンパt・・・なんでもないです。

解説で池澤氏が、ブローティガンは本質的には詩人だと書いていたけれど、そうだとすると私と波長が合わないのも合点が行く。

本作は、「水回り設備を詩に取り換えよう!」というブローティガン的なお話。別に好きでも嫌いでもないけれど、引用のセリフが良すぎた。

焚書主義者め!」詩たちは怒鳴った。(p.350)

◎同一訳で読める(文庫)

「ラムレの証言」ガッサーン・カナファーニー/岡真理訳(パレスチナアラビア語

イスラエルユダヤ人入植者がパレスチナのアラブ人を虐殺し、娘を殺された父がいわゆる自爆テロを敢行し、憎しみが連鎖していく話。描写は主に虐殺のカットが中心となる。

私が嫌いなタイプの物語の典型。オチで犬が死ぬタイプの映画を「涙の強盗」といったのはみうらじゅん氏だったか。「100回泣きました!」「それで?」っていう。私はこの作品を読んで、ユダヤ人に対して憎しみを感じるのが正解なんですかね。

×初出は少部数の雑誌のようで、それを除くと本全集のみ。

★「冬の犬」アリステア・マクラウド/中野恵津子訳(カナダ、英語)

直前でオチで犬が死ぬ話を批判したら、まさかの犬が死ぬ話。だけどとても良い。それは「死んで悲しいね」だけではない感情の複雑さを、この短い作品で見事に描き出しているからだ。

物語は現在と過去の二地点を描く。

初雪に喜ぶ子どもたちが早朝から起き出して、犬とはしゃぎ駆け回る現在の地点。まるでブリューゲルの「子どもの遊戯」と「雪中の狩人」を足し合わせたかのような雰囲気。過去は、その光景を見る語り手の回想。昔飼っていた犬と一緒に、流氷の上を冒険する物語。

平穏な情景と、スリリングな物語が二重奏になっており、一方が他方を引き立てる。さらに、現在の情景には、病気を抱える親戚を心配する語り手の心情も差し挟まれる。情景や心理の描写もとても丁寧で、人間の感情が単純な形容詞に転写しきれないことを描いているかのようだ。面白さというよりも上手さが際立つ作品。

静かな雪のなかで、興奮した子供たちと遊んでいる金色の犬を見て、思い出したことをここに書いてきた。・・・私が仕事に出かける頃には、早朝のお祭り騒ぎの形跡も、金網フェンスまで続いていた犬の足跡も、みな消え去った。(p.382)

〇同一訳で読める(単行本)

「ささやかだけれど、役にたつこと」レイモンド・カーヴァー/村上春樹訳(アメリカ、英語)

パン屋にて、息子の誕生日ケーキを予約する。誕生日を迎えたまさにその月曜日、子は自動車に撥ねられる。孤独なパン屋と、子を失った両親の心の邂逅の物語。

なんだけれど、細かい心性というか、アメリカ人的な感覚・距離感が鼻について物語に入り込めない。子を亡くした両親は、その事実を知らない相手を感情的になじってもいいの?とか。専門家(医師)に対して、非専門的な見地から詰めよってもいいの?とか、他数カ所。

感情だけで読書をしているつもりもないけれど、細かい情動が一つ一つ共感できないと読みづらいねというサンプル。やれやれ。

夫妻の描写が常時紋切り型なのもどうか。

唯一口から出てくる言葉が、こんなテレビ・ドラマみたいな言葉だなんて。ドラマの中では、人々はみんな殺されたり急死した誰かの前で、茫然としてこういう陳腐な台詞を口ばしるのだ。(p.412)

やれやれ、自分で言っちゃったよ。

〇同一訳で読める(単行本)

「ダンシング・ガールズ」マーガレット・アトウッド/岸本佐知子訳(カナダ、英語)

永遠の積読こと『侍女の物語』ひとやね。これは女性差別のティストピアの話ではなく、人種(国籍)差別のユートピアのお話。

アメリカで都市デザインを学ぶカナダ人の大学生アン。下宿先には様々な出自の学生が集まっている。そこで起こるちょっとした事件と、アンの成長が描かれる。

流石ビッグネームだけあって、短編ながら見事にまとまった物語。下宿屋の大家ミセス・ノーランはアメリカ的鈍感さを体現している。アンが構想する理想的な都市デザインの変遷でアンの変化や成長を示していくのも上手い。

ただちょっと理想主義的だし、記号的すぎるのよねぇ・・・

・・・ミセス・ノーランと、彼女のノアの方舟に詰めこまれたみすぼらしい外国の秀才たちもご免だ。ならば、その人たちをどこにやる?世界じゅうのミセス・ノーランとその下宿屋には消えてもらうしかないではないか?これが都市デザインというものの論理だった。(p.438)

「母」高之健/飯塚容訳(中国、中国語)

この人の名前を見るたび、高倉健を想起した人と開高健を想起した人が何人ずつかでアンケート取りたくなるね。うん、知ってるよ。ノーベル賞の人でしょう?

母親の死に目にも会えなかった親不孝者のインテリ息子のモノローグ。この感情の吐露を過剰だと思うのは、彼我の文化の差か?あるいは、親不孝をまるで原罪のように語るのは、やはり儒教的な価値観が作家の根底にあるためか?

ほーん、そういう文化なんだねぇ、とだけ。

+「猫の首を刎ねる」ガーダ・アル=サンマーン/岡真理訳(レバノンアラビア語

「ラムレの証言」を採録しようと思った池澤氏に、岡氏が採録を勧めたのか?本全集のオリジナル訳。

物語は、レバノンからフランスに亡命した男が、彼女にプロポーズしようかどうしようか悩む物語。フランスの価値観と見事に同化した自由な彼女に対して、男性側には超男性優位の古いレバノン的価値観に後ろ髪を引かれる思いもある。

伯母の亡霊まで見るようになり、その亡霊が男性にふるーい価値観に従う女性が如何に男性にとって魅力的かを語る語る語る。タイトルの「猫の首を刎ねる」のは、レバノンの古い婚姻の儀式のようだ。

この亡霊が語る理想の女性像があまりに極端かつ下世話で、もはや喜劇的なんだけど、それを未婚のまま亡くなった女性に語らせるというのが上手い。

また、喜劇的なようでいて、例えばイラン・イスラム革命のような反動的革命が支持される背景ってこういうことだよな、とも感じる。作者はレバノンについて語ったんだろうけど、語られている当の物語は、イスラム圏や日本はおろか世界中で通用するのではなかろうか。

「おまえの気に入らぬことがあったなら叩いて懲らしめてやるがいい、猫が夕餉にありつくにはどう振舞ったらよいかを。彼女は黙って聴くだろう。恥ずかしがりやの花嫁だよ、人前でバナナを食べるのもはばかるような・・・」(p.478)

彼女はいつものように彼をからかって言う。「ようこそ、レバノンハムレットさん」(p.491)

×全集で新訳、他版はなし。

「面影と連れて」目取真俊(日本、日本語)

沖縄の女性のモノローグ。いじめられ続けて育った不幸な一生と、素敵な男性と過ごした3か月間の幸せな思い出が語られる。

どうもこの男性はひめゆりの塔事件の犯人のようで、沖縄の本土に対する複雑な感情が背景として流れている。

思い出したのはソーネチカ【過去記事】なんだけど、ソーネチカの方がずっとずっと好きですね。

 

お気に入り度:☆☆☆

人に勧める度:☆☆☆(トニ・モリスンが他書で読めません!)

 

・ホームランとヒットしかない傑作短編集

・編み方に強い意志を感じる傑作短編集

*1:今回、短編と短篇の表記揺れについてはご愛敬でお願いします。

*2:なんか在庫があるように見えるんだけど、切れてるよねこれ?

*3:ゴーゴリの未完の長編、傑作