ウラジーミルの微笑

池澤夏樹=個人編集 世界文学全集の全巻読破を目指します

『マーシェンカ』ウラジーミル・ナボコフ/奈倉有里訳

けりをつける

アルフョーロフは座ったままもぞもぞと体を動かし、二回ほどため息をつくと、小さく甘い音色で口笛を吹き始めた。やめたかと思うと、また吹く。そうして十分ほどが経ったとき、ふいに頭上でカシャリと音がした。(p.14)

<<感想>>

ナボコフはやっぱりナボコフだった。デビュー作品の中にあっても。

彼の作品に一般的な意味での「ネタバレ注意」の注意喚起は必要ない。その本質が「ネタ」にあるわけではないからだ。この特徴は本作品『マーシェンカ』にもあてはまる。

だから今回は(も)、結末部まで含んだプロットの要約から入ろう。

 

ベルリンのとある宿舎に、亡命ロシア人が集まって暮らしている。ある日、その一人ガーニンの隣に、アルフョーロフが引っ越してくる。実は、アルフョーロフはガーニンがかつて故国ロシアで別れた初恋の女性、マーシェンカの夫だったのだ。ガーニンは、マーシェンカの思い出に浸り、マーシェンカが宿舎に到着する土曜日に、彼女を奪い去ろうとまで計画する。ところが、いざ到着の時刻が近づくとガーニンはこれを取りやめ、列車に乗って去っていくのだった。

 

このように、物語は極めて単純だ。しかし、ナボコフの小説は全巻これ宝探しであって、宝物はイメージや小説的技巧であり、隠し場所はテクストである。

今回は(も)、私が見つけた宝物のいくつかをご紹介したい。

 

ナボコフ・コレクション マーシェンカ/キング、クイーン、ジャック

ナボコフ・コレクション マーシェンカ/キング、クイーン、ジャック

 

 

文学史を背負う

本書のエピグラフでは、プーシキンの『オネーギン』が引用されている。

これだけならまぁまぁ、小説で身を立てようとするロシア人の作家志望であれば、誰でもやりそうなことである。

ところが、訳者によると、本書の第三章はドストエフスキーの『白夜』を意識して書かれているとのことである*1

そして、主人公であるガーニンの名は、「レフ」である。作家が敬愛してやまないトルストイと同じ名前とは、実に寄寓である。

さらに、10人に満たない本作の登場人物のうち、詩人という役割を拝命しているポドチャーギンの一度しか紹介されないフルネームは、アントン・セルゲーヴィチ・ポドチャーギンである。「アントン」であり、「セルゲーヴィチ」である。作家が敬愛してやまないアントン・チェーホフと同じ名前で、同じく敬愛してやまないプーシキンと同じ父称を持つとは、実に寄寓である。

レフやアントンの名が、どのくらい一般的な名前なのかは知らない*2。しかし、私には亡命してなお、ロシアの文学の伝統を背負って創作をしようという作家の気概が見えるような気がする。

 

色彩の魔術師

我らがウラジーミルは、音楽はからっきしだったようだ。そのため、クンデラのように、作品中に五線譜を描いたりするようなマネはできない。

他方で、色彩感覚については、アルファベットの文字それぞれに色を感じるセンスの持ち主のようだ。

そのため、『マーシェンカ』でも、色彩表現が多用される。そうはいっても、ただ闇雲にあちこちを塗っているのではない。

思い出に浸る現在時では、色彩表現は控えめだ。パレットにあるのも、黒、白、青灰色、が多く、せいぜい黄色が目を引く程度だ。

ところが、思い出される側の過去時は、色の洪水だ。ガーニン少年の「恋が実る」までの僅か3頁半の間に、40回に迫る色彩表現が繰り返される。キャンバスには、青や赤、オレンジ色のほかに、「赤みがかった金」、「薄紫」、「緑がかった灰色」、「黄土色」、「若草色」などが足される。

こうした色彩表現で、場面に対する読み手の印象を形成するのだ。

やがてテーブル全体が可笑しいほど薄紫に染まり、マーシェンカの指先がまるで今しがたブルーベリー摘みに行ってきたような色になったとき、ガーニンはそっぽを向いて目を細め、普段なら菩提樹の葉があるはずのところに若草色に揺らぐ熱っぽいもの*3をじっとみつめながら、もうずいぶん前から君が好きだ、と告白した。(p.82)

 

プルースト礼賛

『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』と同様、本作でもプルーストの影が見え隠れする。まずは有名なマドレーヌの場面を反対にした次の文章から。

だがよく知られているように匂いを思い出すというのはかなり難しい。過去と関連する匂いはなによりも、思い出を鮮明によみがえらせるというのに。(p.83)

そしてこのあと満を持してマドレーヌする。

・・・そこからかすかにカーバイドの匂いが漂ってくる。期せずして嗅いだその匂いは雨降りの八月のロシアをいっそう鮮やかに思い出させ、朝からしつこくベルリン生活の影たちに邪魔されてきた幸福の波がどっと押し寄せた。(p.92)

プルーストの感想で指摘した、「名」の持つイメージの主題も現れる。

ガーニンははじめ、彼女の名前はきっとなにか珍しい、響きのいい名前に違いないと考えていたが、例の看護学生からマーシェンカだと聞いたときには少しも驚かず、まるであらかじめ知っていたような気がして、そのありふれた名前が急に新しく、魅惑的な意味を持ったように思えた。

「マーシェンカ、マーシェンカ」ガーニンはつぶやいた。(p.68)

 

タイムマシン

プロットの要約で示したとおり、本作ではガーニンが思い出に浸り、過去の甘い場面が描かれたかと思うと、また現在に戻り、また過去の甘い場面を描く、という構成になっている。

そして、過去には現在の欠片が、現在には過去の欠片が落ちている。

橋の下の日陰に入ると急にひんやりとし、頭上からは馬の蹄や車輪の音が重く響いた。(p.81)(過去の場面)

鉄橋の上で黒い列車が轟きをあげて長い光の柵のなかを走っていくと、橋の下で生まれた影がガタゴトとこだまする。(p.125)(現在の場面)

マーシェンカのトレードマーク、蝶に擬せられるリボンも、実は物語の最初の方に、その欠片が隠されている。

・・・彼女はカサカサと音をたてて暗い小径を走り、黒いリボンが大きなキベリタテハのように揺れていたかと思うと、・・・(p.83)(過去の場面)

この犬はぽっちゃりとした雌の黒いダックスフント*4で、灰色の顔のわきに垂れた耳は先端がビロードのようにふわふわとして、蝶の羽の縁を思わせる。(p.18)(現在の場面)

恋敵であるアルフョーロフののヒゲは、「下肥色」と表現される。ようは「糞色」といっているのと同様で、酷い表現だが、そのアルフョーロフのイメージも、過去に忍び込んでいる。

水で薄めたような青色の目は小刻みに瞬き、下肥色のあごひげが斜めに差し込んだ陽の光にきらめく。(p.91)(現在の場面)

そして今、カーバイドの匂いを吸い込んだその瞬間に、彼はすべてを一度に思い出した―・・・家畜の糞にまみれた橋も、柔らかい濡れたアカシアの葉を肩でかきわけながら通り抜けた両開きの柵も。(p.93)(過去の場面)

 

創造と完成と

本作では、作品自体あるいは、物語ることと世界の創造とが同一であることが仄めかされる。 

ガーニンはいま、いちどは滅んだ世界をよみがえらせる神になっていた。(p.49)

この部分を踏まえると、物語の第一章が日曜日であること、故障のため途中停止した真っ暗闇のエレベーターからはじまること、ふいに「明かりがつき、」「光で満たされ」(p15.)ることの意味が理解できる。すなわち、『創世記』のパロディだ。

この他にも第一章は作品全体を象徴する。冒頭に掲げた引用部分は、本作の構成そのものを物語っている。

 

では作品の完成は何を意味するのだろうか。

日本語には、「けりをつける」という素晴らしい表現がある。周知のとおり、この「けり」は助動詞の「けり」だ。すなわち、「語りを終え、末尾の助動詞を付すこと」で、「物事を終わらせることを」を喩えるという、まことに文学的な表現だ。

ナボコフは『マーシェンカ』によって、けりをつけようとしたように思える。

その対象は、初恋と、詩*5と、恐らくは遥かな故国ロシア*6とだ。

マーシェンカのイメージは老いて死にゆく詩人とともにあの影たちの宿舎に残され、その宿舎もまた、すでに思い出に変わっていた。(p.148)

 

お気に入り度:☆☆☆☆

人に勧める度:☆☆☆☆

 

 

<<背景>>

1926年刊行。ウラジーミル27歳のことである。

作家は1919年にロシア(クリミア)から脱出して、この頃はベルリンで暮らしている。ベルリン生活の前にはケンブリッジ時代があるため、この時点で国際色豊かだ。ちなみに、このクリミアでの内線の様子を描いた『白衛軍』(1925)を執筆したのがブルガーコフである。

こうも文学史を背負われると、すべての紹介が大変なので、代表的なところだけ。

プーシキンの『オネーギン』は1825-1832年執筆。

ドストエフスキーの『白夜』は1848年の執筆。

プルーストの『失われた時を求めて』は、1913-1927年刊行であるから、完成は本作より後である。しかし、第一篇が刊行された当時既にに大変な評判であったようであるから、この頃既に読書家ナボコフの目に触れていてもまったく不思議はない。

 

<<概要>>

全17章構成。章に題はなく、章のほかに区切りはない。

各章の長さにはバラツキがあり、短いものは3ページたらずだ。

物語は日曜日にはじまり、土曜日に終わる。

登場人物たちが住む部屋には、部屋番号がわりにカレンダーが張られ、それぞれ月曜日の部屋から土曜日の部屋が宛がわれている。なお、日曜日が張られているのはトイレだ。

 

<<本の作り>>

申し分のない出来だ。

カバーはあまり好みではないが、カバーの下には洋書風のシックな装いが隠されている。表紙側にはロシア語でマーシェンカの題が、背表紙側には上下反転したロシア語でキング、クイーン、ジャックの題が描かれる。背表紙もロシア語だ。一ページめくったあとに挟まるパラフィン紙のような薄紙も素敵だ。

ロシア語の読めない私の評価だが、訳文も日本語としてとても美しく、翻訳者の魔法が冴え渡っている。足りないロシア知識、あるいはロシア語の言語遊戯は、割注、ルビ、巻末解説を総動員して配慮がなされている。

巻末解説でも、たくさんの宝物が紹介されているので、ぜひご覧いただきたい。 

 

 

*1:ナボコフ先生のドストエフスキーに対する態度はツンデレもいいところだ。『文学講義』では、頑張って貶している。代表作は『分身』(※邦題『二重人格』として知られる)であると主張して譲らず、『記憶よ、語れ』の中でも、『分身』などで知られる作家ドストエフスキー、などといったギャグをしれっと忍ばせてくるから侮れない。ちなみに、『白夜』はマイナー作品だが、『分身』もマイナー度では似たり寄ったりな上、『分身』と『白夜』が執筆年が近い。ナボコフはまず間違いなく『白夜』を読んでいたといって良いだろう。

*2:もうひとり、"ニコライ"なんかも探したけれども本作中には見つからなかった。

*3:"花が咲いた"を詩的にかつ通時的に捉えた実に美しい表現。しかも、この次の行は、「恋が実った」ではじまる。

*4:実は作家の幼少期、自宅で飼われていたのがこのダックスフントだ。初恋の相手と同様、故国ロシアを思わせる象徴的な存在である。

*5:ナボコフは、本作執筆以前はもっぱら詩を書いていた。

*6:マーシェンカはロシアに擬せられる。「明日、彼の青春が、彼のロシアが来るのだ。」(p.134)