早すぎたケータイ小説
この川はカンボジアの森のなかのトンレサップ湖から始まり、出会うものすべてを拾い集めてここまで来た。それは訪れてくるものすべてを連れてゆく、藁小屋、森、消えた火災の残り、死んだ鳥、死んだ犬、溺れた虎、水牛、溺れた人間、罠、水生ヒヤシンスの集落、すべてが太平洋へと向かう、どれひとつとしてふつうの調子で流れてはいない、どれもこれも、内部の水流の深く、めるくめくような嵐に運ばれてゆく、どれもこれも、大河の力の表面に宙吊りになっている。 (p.359)
≪感想≫
wikipediaに書かれた「ケータイ小説」の特徴を幾つか抜き出してみる。
文体
1.改行が多い、2.一文一文が短い、3.主人公の主観視点、4.意識の流れ的記述
内容
1.少女を主人公とした恋愛ものが多く占める、2.悲劇的な出来事が題材にされやすい、3.性的描写が多い
その他
1.普段本を読まない層に爆発的に消費され、ベストセラーとなった、2.人気作は映画化された、3.JPOPの歌詞と親和的である。
これだけの特徴が合致していれば、本作品はもはやケータイ小説である。
何ページか読み進めた時点では、ヴィジュアル系バンドの歌詞か、ライトノベルみたいな文章だと感じたが、よくよく考えてみればケータイ小説そのものである。
・・・そこにおいてだ、わたしが狂気というものをはっきりと目のあたりにするのは。わたしは目のあたりにする、母が明瞭に狂っているということを。わたしは理解する、ドーと上の兄がたえずこの狂気に接していたということを。わたしはと言うと、ちがう、あのときまではまだ狂気を目のあたりにしたことは一度もなかった。母が狂気の状態にあるのを目のあたりにしたのは一度もなかった。もともと母は狂っていた。生まれつき。血の中で。(p.367)
LUNASEAか?
ふたりは顔を見合わせる。わたしの言葉の意味を彼は理解する。突然、変質した眼差、苦しみの現場で取り押さえられた、偽りの眼差、死。(P.378)
突然の死である。
皮肉はさておき、本作品と『太平洋の防波堤』とは、同一の主題による変奏曲といった関係にある。同作と比較して本作品は、1.文体は技巧的で、2.構成は破壊的、3.主題は限定的である。
構成と主題は≪概要≫で軽く触れるにとどめ、文体に言及したい。本作では、主題は限定的になったものの、複数のモチーフが扱われる。たとえば、黒塗りのリムジン、男物の帽子、金ラメの靴、メコン川の流れ、甕の冷たい水など。こうしたモチーフが至る所で繰り返される。時系列が破壊的である本作にあって、こうしたモチーフの連続が一種の統一感を与えている。また、やたらピリオドが多様される文章の中で、時折思い出したように冒頭の引用のような長文をかましてくる。この点についてはケータイ作家にはなしえない、老境に達した著者のテクニックが発揮されている。
しかし、どうにも堪らないのが著者の強烈な自意識、読まれている意識、他作品も読んでいますよね?意識だ。『太平洋の防波堤』では、これを私小説的だと指摘したが、フィクションであるのに著者の体験談性を強調するこの気持ち悪さは、やはりケータイ小説的だと言いたい。フローベールによれば、小説家とはみずからの作品の陰に身を隠す者のことをいうそうだが(『小説の技法』(p.219))、デュラスはこの逆をいくのである。
・・・著述というものは、もう隠れようがないんじゃないか、どこかうまい場所に身を置いて書いてゆく、読まれてゆくなどということは、もう著述には許されないのだろう、著述というものの根源的な慎みのなさをかばう手だてはもはやあるまい、・・・。(p.346)
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太平洋の防波堤/愛人 ラマン/悲しみよ こんにちは (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-4)
- 作者: フランソワーズ・サガン,マルグリット・デュラス,田中倫郎・清水徹,朝吹登水子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2008/03/11
- メディア: 単行本
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≪背景≫
1984年発表。『太平洋の防波堤』から34年後のことである。
クンデラの『存在の耐えられない軽さ』が同じ1984年にフランスで発表され、1986年には、これまた非フランス人のフランス語小説『悪童日記』(アゴタ・クリストフ)が発表されている。
日本進駐に触れられていることや、作者自身の年表から、物語の舞台は1940年代であろうか。
≪概要≫
物語は全編著者のモノローグのみで終わり、カギかっこで括られる登場人物の発話も一切ない。いい大人の年齢になったと読み取れる著者の視点で、著者の過去が語られる体裁である。しかし、語られる内容自体はまったく時系列にも、テーマごとにも沿っていない。時系列順に綴られた物語が書かれたトランプをシャッフルしたかのような文章である。
部や章の区切りはなく、時折空行が挟まるのみである。
『太平洋の防波堤』で触れられた、母や兄との相克、植民地の様相などの主題にも触れられるが、中心主題は白人少女とアジア人男性との性愛にあるといってよい。
≪本のつくり≫
文章はまったく気に食わなかったが、これは訳文ではなくそもそもの文体の所為だろう。このほか、特に気になる点はなく自然に読めた。
注釈もおおむね行き届いており、特段不満はない。
解説は短いながらもデュラスの文体が的確に説明されていると思う。ただ、「ラマン」が男性を指すことについてはどこかで触れる方がよかったのではなかろうか。