ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

精読『ダブリナーズ』―01「姉妹」

<<前置き>>

2023年-2025年の計画で行われているジェイムズ・ジョイス『ダブリナーズ』の読書会である"Deep Dubliners"に参加しています。その準備として『ダブリナーズ』の全15短編について、各短編ごとの記事を書いていく予定です。

目的はもっぱら読書会の準備なので、いつもの感想よりもレジュメに近い記述で書いていく方針です。

<<全体として>>

実はかつて一度、ちくま文庫版米本訳で読んでいる。怪物『フィネガン』*1、鈍器『ユリシーズ』、まだしも常識的な『肖像』があるところ(全て積んではいる)、とりあえず読みやすかろうと思って手を付けたのがこの『ダブリンの人びと』だった。しかし、正直あまり良くわからず、暗い、話の起伏に乏しい、100年前のダブリンにことさら興味が湧かない、一人称視点の記述の仕方が特徴的で面白い、といった程度の印象しか残らなかった。

まぁ一言でいうと「つまらん・・・」と思ったため、その後どうにもこうにもジョイスは食わず嫌いのまま現在に至っている。

そこで、今回の読書会参加のまずもっての目標は次の2点である。

1.『ダブリナーズ』を理解する。

2.ジョイスに対する忌避感を克服する。

ただ、もちろんジョイス研究者を目指しているわけでもないし、アイルランド固有の歴史・文化に強い興味があるわけではない。そこで、読解の方向感として、次の2つを心に留めておきたい。

1.作者の意図や歴史的コンテクストよりも、テクストの解釈・抽象的意義に重きを置くこと(テクストは奪い取れ!)。

2.素敵な文章を見つけること(細部!細部!細部!)。

なお、読書会の指定書籍に加え、数冊の文献を参考に読んでいくことにする。凡例は次のとおり。

柳瀬訳:『ダブリナーズ』(柳瀬尚紀訳、新潮社、2009)―指定書籍

原書:Dubliners (Norton Critical Editions), Edited by Margot Norris. Norton, 2006

米本訳:『ダブリンの人びと』(米本義孝訳、筑摩書房、2008)

『嵌る方法』:『ジョイスの罠『ダブリナーズ』に嵌る方法』(金井嘉彦・吉川信編、言叢社、2016)

基本情報

登場人物:6名

僕、コッター爺さん、叔父(ジャック)、叔母、ジェイムズ・フリン神父、イライザ・フリン*2(姉)、ナニー・フリン*3(妹)

舞台:僕の家、フリン神父宅(@グレイトブリテン通り)

語り手:僕(少年と推定)

時系列:3場面

夕食時@僕の家=僕、コッター、叔父、叔母

翌朝@グレイトブリテン通り=僕

その日の夕方@フリン宅=僕、叔母、亡フリン、イライザ、ナニー

概要

僕と仲良しのフリン神父が中風*4により亡くなった。その報はコッターによってもたらされる。翌朝、通りを歩く僕は内省をし、微妙な内面の揺れが描写される。その日の夕方、叔母とフリン宅へお悔やみに行く。姉妹の様子、姉妹や叔母の亡骸への反応、フリンの生前の噂話などが語られる。

『嵌る方法』概略

本書全体のテーマとして、「パラリシス」と「エピファニー」の説明。

パラリシスとは、麻痺のことであり、当時のアイルランドのモラルが陥っている状況を指す。エピファニーとは、事物の本質がふとしたことで顕現する様子を指す。

両概念及び本作の「姉妹」には、成立に影響を与えた先行作品ジョージ・ムア『未耕地』が存在したとの指摘。

執筆当時、モダニズムによってカトリックが危機に瀕していたことの指摘。ここにモダニズムとは、芸術運動としてではなく、伝統的なカトリックの教えを現代的に見直そうという動きをいう。

そうした宗教界の状況に関して、神父を主人公に据えた先行作品が存在してたことの指摘。当然、本作のフリン神父もそうした状況に陥ったカトリックの寓意として読める。

先行作品は危機を踏まえつつカトリックを擁護する色調だが、本作においてはカトリックの冷淡な現状分析、あるいはカトリックへの批判として読むことが出来そうだ。

その他予備知識

『嵌る方法』、米本訳のいずれもが指摘するのが、作品冒頭に登場する3つの単語、"paralysis"(麻痺),"gnomon"(磬折形),"simony"(聖職売買)が作品全体を象徴する言葉であること。それぞれ、肉体、精神、宗教の衰弱を象徴するという。

「磬折形」は柳瀬語だろうか?米本訳ではカタカナ語のノーモンとしている。「平行四辺形の一角から、その相似形を取り去った形」らしいが、言葉では極めて分かりにくい。ウィキペディアの画像リンクを参照されたい。

いくつかの問い

まず最初に気になったところを書き出してみる。

Q1.なぜタイトルが「姉妹」なのか?

Q2.言いかけて途切れる場面が頻出するのはなぜか?

Q3.僕のフリンに対する見方が揺れるのはなぜか?

Q4.フリンの死に顔は険しかったのか、穏やかだったのか?

最初の点、米本訳では、姉妹は脇役か証人の役割に過ぎない、などと論じられる。

しかし、この点はむしろ「姉妹」こそ主人公なのだと解釈したい。

『嵌る方法』の指摘を待つまでもなく、フリンがカトリシズムの象徴であることは明らかであろう。その上で本作は、フリン=カトリシズムという中心に対して、若い世代=僕との関係と対比させた上で、古い世代=姉妹との関係を描いた作品だと解したい。あるいは、僕側にモダニズムを、姉妹側に近代以前を読み込むことも許されるのではないか。

基本情報に書かれている3つの場面を、3幕モノだと捉えてみよう。

「僕」は第1幕ではフリンを悪くいうコッターに怒りを覚える。ただ、ここでは言い切られなかった言葉を受けて「頭がこんぐらがる」のである。

続く第2幕では、「僕」はフリンの死によって解放された気分になっている自身に気づく。

最終的に第3幕では、叔母や姉妹が信じる「穏やかな死に顔」に反して、「険しい顔」で死んでいるという事実を見つめることになる。

対する姉妹はどうだろうか。姉妹は、フリン=カトリシズムの奇矯に気づきつつも、フリンに尽くす生活を送る。フリンは「しょっちゅう」姉妹を馬車旅行*5に連れて行くことを請合うが、その約束はついぞ果たされない。姉妹たちは、フリンが死してなお、(事実に反して)フリンの死に顔が安らかであったと妄信している。

このように対比的に捉えると、「麻痺」をしているのはフリンではなく姉妹の方である。

これで概ねQ1~Q3までの一つの答えになっていると思う。

最後はQ2だが、ここはメタ文学的な視点から解釈していきたい。「僕」は、(コッターの)語られなかった言葉の意味を理解しようとして煩悶する。これは、全ての言葉を語ろうとしない『ダブリナーズ』それ自体を暗示しているのではないか。ちょうどいま、私が、語られなかったジョイスの言葉の意味を探ろうとしているかのように。

今回の細部

 I walked away slowly along the sunny side of the street, reading all the theatrical advertisements in the shop-windows as I went.(強調は引用者)

sの頭韻をしながら、不思議と明るい「僕」の内面を象徴する。

So then, of course, when they saw that, that made them think that there was something gone wrong with him....(強調は引用者)

軽く音読しながら読んでたんだけど、thの過剰な頭韻で舌嚙みそうになったわ!

His face was very truculent, grey and massive, with black cavernous nostrils and circled by a scanty white fur. There was a heavy odour in the room—the flowers.

意識の流れ!意識の流れ!(言いたいだけ)

こういう一人称視点での描出順序の統御は、プルーストも上手い。

Nannie received us in the hall; and, as it would have been unseemly to have shouted at her, my aunt shook hands with her for all. The old woman pointed upwards interrogatively and, on my aunt’s nodding, proceeded to toil up the narrow staircase before us, her bowed head being scarcely above the level of the banister-rail.(強調は引用者)

最初の強調部分みたいに遠回しな表現で人物に属性を付けたり、後の強調部分みたいな視点位置(語りではなくカメラの)から来る表現の妙だったりは、ナボコフも上手い。というか好き。

今回の共鳴

すぐに思いついたのはドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老のエピソード。その死体が周囲の人間の宗教観を問う。

初出1880年だから、いちおう先行しているが、ジョイスが読んでいたか否かは全く知らない。明示的な影響関係はなくとも、比較して論じるのは面白そう。

終わり

色々検討しては見たものの、まーやっぱこれが面白いかと言われると・・・。真面目すぎるというか。フィネガンまで行かずとも、もうちょっとネタを入れてくれないとユーモア欠乏症で死んでしまいます。私の趣味として唯一見るべきはやはり細部か。

参考サイト

ジョイスの蔵書リストが公開されているということを教わった。

以下のサイトを参照

*1:別件読書会参加中

*2:苗字は推定

*3:苗字は推定

*4:ちゅうふう、ちゅうぶ、よいよい等。脳血管障害の後遺症である麻痺、言語障害等を指す。

*5:生まれ故郷に連れて行く、という点で、楽園≒天国の含意もあるか?