ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

精読『ダブリナーズ』―02「出会い」

<<前置き>>

ジェイムズ・ジョイス『ダブリナーズ』の読書会である"Deep Dubliners"用のメモ。今回はその2回目で、"An Encounter"こと「出会い」である。なお、訳語は指定図書であるところの柳瀬訳に拠っている。

この記事の目的や本作読解の方針、参考文献などは初回記事をお読みいただきたい。

基本情報

登場人物:6名+α

僕、ジョウ・ディロン、リーオ・ディロン、マホニー、バトラー神父、男、

他(マホニーの姉、ライアン先生、ディロンの両親、ぼろ着の女の子の一団、ぼろ着の男の子二人)

舞台:北海岸通り~波止場通り~リングズエンド等、ダブリン東側リフィー川近郊

日時設定:1890年代前半~中ごろの6月第1週の二日間

語り手:僕(小学生くらいと推定)、なお本文は回想と思われる

時系列:3場面、便宜的に第一幕~第三幕と呼称する

・無時間的なディロン兄弟の思い出~「出会い」の前日

・その翌日、学校をサボってリングズエンド周辺に到着するまで

・「出会い」の場面

概要

「僕」はカトリック系の厳しい学校に通っているが、「アメリカ大西部の物語」などを隠れて読むようになるお年頃。ある日、リーオとマホニーと示し合わせて、学校をサボってピジョン・ハウス(発電所)を見に行く計画を立てる。翌日、リーオが来なかったため、マホニーと旅に出る。ピジョン・ハウスまでたどり着けず、野原に居たとき、小児性愛者や嗜虐趣味者を思わせる男に絡まれる。

『嵌る方法』概略

本作の研究の伝統と定跡に反し、『不思議の国のアリス』の男の子版であるという読み。ジョイス自身が『不思議の国のアリス』をこの当時読んでなかった、とする書簡が残っているため、否定されがちなテーマであった。しかし、テクストを丹念に読むことにより、ジョイス自身の自認に反し、本作が『不思議の国のアリス』を下敷きにしていたことを裏付けていく。

私としては非常に好みの読み方。ジョイスってどうにも正典主義的な上に、やたらと作品の当時の文化地誌にフォーカスしていく傾向にあるという印象を受けている。換言すれば、時代性を重視するあまり、普遍性や意図されていない外部のテクストとの共鳴など、文学作品を読む上で通常用いられる視座が欠けがちなように思われる。

ジョイスが実際に読んでいようがいまいが、意図していようがいまいが、この論文で指摘されている程度の共鳴があれば、それは十分に豊かな読み方のように思う。

「謎」メモ

この謎メモは、問題提起をして答えを考える式のものではなく、シンプルにわからなかった部分の記録。

  • アメリカの探偵小説で、烈しい美女が登場するって、書名は何?
  • マホニーは姉に頼み、リーオは兄に頼みサボる。では「僕」はどうした?
  • 「男」は、いったん中座したとき、何をしていた?
検討

米本訳解説などで、「緑」のモチーフについて論及されているが、これには触れないことにする。その上で考えたのは次のとおり。

まず、第一幕では次々と対比的なイメージが導入される。

  • 僕が通う学校  ← → 公立校(国民学校
  • カトリック   ← → アメリカ大西部
  • ローマ史    ← → アパッチの酋長
  • 学校生活の退屈 ← → 本物の冒険

この間にあるのは「逃避の扉」であり、閉塞的なアイルランド社会から逃避の冒険を行うイメージが抽出できるように思う。

こうして読むと、「僕」が「深い草むらに教科書を隠す」(p.32)描写は、どことなく逃避しきれず、安全地帯への帰還の余地を残しているという印象を受ける。

この他にも、「僕」の二重性あるいはズルさを示す表現は頻出する。

  • 及び腰のインディアンなのに、ひ弱いやつだと思われるのが厭(p.30)
  • 二人からは六ペンスを集め、自分のは見せるだけ(p.32)
  • 男の挙げる本を読んだフリをする(p.37)
  • マホニーみたいなぼんくらと思われるのがいや(p.38)
  • 公立学校の生徒でないから、むち打ちなんてされないと言いそうになる(p.40)
  • 無理矢理虚勢を張る(p.42)
  • 内心でマホニーを軽蔑する(p.42)

どうもこの僕というのは、理想の自画像と本当の自画像が一致しておらず、自分を理想の自画像に基づいて提示しようとする傾向にありそうだ。

次は、マホニー像を確認しよう。マホニーの特徴は、スラングと嗜虐性である。スラングは省略して、嗜虐性の表現を確認する。

  • パチンコを改造する(p.33)
  • インディアンの真似をし始める(p.33)
  • ぼろ着の女の子の一団を追い回す(p.33)
  • ライアン先生によるリーオへの打擲を夢想する(p.34)
  • パチンコを持って猫を追いかけ始める(p.40)

ところで、このマホニー像は果たして客観的なのだろうか?先に提示した「僕」の性向を考慮に入れると、「僕」は自分とマホニーとを殊更に区別するために、敢えてマホニーの攻撃的な側面を強調して描写しているように考えられないだろうか。

実は、嗜虐傾向にあるのは「男」やマホニーだけではない。「僕」とマホニーが、リーオへの鞭打ちを想起している時点で、ライアン先生はクロだ。また、表題にもなっている"encount"という単語を媒介(p.32)にすれば、「男」とバトラー神父が共通のイメージで結ばれているのも明らかだろう。あるいは、下級生である「僕」らをいつも打ち負かすディロン兄弟の描写からも、嗜虐性を汲み取ることが出来る。

また、「男」の描写からは、こうした嗜虐傾向と性衝動とか結びついているのも明らかであろう。マホニーがポケットに忍ばせたcatapultの描写の部分も、性的な隠喩があるものと読むべきだろうし、マホニー自身も、ガールフレンドが三人もいるなどと嘯く。

「僕」の描き出す理想の自画像は、難しい本を読み、教養があり、ガールフレンドは居らず、攻撃性の無い少年だ。そうした自画像であれば、"happiest time"*1(p.37)であり、"very happy"*2(p.32)だっただろう。

しかし、物語の最後の文章で、「僕」は「改悛」をし、マホニーを見直すことになる。思えば、「僕」にもまた、本の中に「烈しい美女」を求めたり、マホニーとともにライアン先生の暴行を夢想したり、性衝動や攻撃性の萌芽が見られていた。そうしてみると「悔悛」とは、とりもなおさず、皮肉にも「僕」が自身の嗜虐傾向と性衝動とを認め、理想の自画像と本当の自画像が接近したことを示しているのではなかろうか。

ピジョン・ハウス

「僕」らが逃避の目的地に選ぶのは「ピジョン・ハウス」である。ピジョン即ちハトは、西洋絵画の伝統では神=キリスト=聖霊のうち、聖霊の象徴である。

そうした意味を読み込むと、バトラー神父がピジョン・ハウスに用など無い(p.32)というのは、さもありなんという気がする。あるいは、「僕」らが結局そこにたどり着けないのも当然と言ったところだろうか。

かねてより、教会がそうした問題の温床になっていたことは知られている。物語の冒頭で、ジョウが神父の道に進むことが描かれていることも考えれば、この短篇にも、そうした嗜虐的性嗜好者の再生産を仄めかす意図があったのだろうか。また、この短篇を併せて読むと、「姉妹」のフリン神父にそのような含みがあるという指摘は頷ける。そりゃ逃避もしたくなるわ。

まったく、ジャ〇ーさんもびっくりである。

その他の細部

ナボコフの短篇をたらふく読んだ後にジョイスを読むと、あまりの方向性の違いにびっくりする。ナボコフは読めば読むほど収斂していくイメージ。ジョイスは読めば読むほど拡散していくイメージ。どうも私は、ナボコフを読むようにしてジョイスを読んでしまっているのかもしれない。

さておき、ナボコフジョイスが一つだけ似ているとすれば、重要なことを書かないというところだ。敢えての欠落、と言っても良いかもしれない。

そこでまず、本作の欠落箇所を少し挙げたい。

Now, Dillon, I advise you strongly, get at your work or...

or...何?落第するぞ、といった含みのように読むのが自然にも思える。しかし、この「含み」というのが怖い。「男」のように、嗜虐的な妄想を膨らませている余白と読む余地はないだろうか。

We revenged ourselves on Leo Dillon by saying what a funk he was and guessing how many he would get at three o'clock from Mr. Ryan. (強調は引用者)

he would get...何を?訳文では撲たれる、とあるし、米本訳でははっきりと「鞭」を補っているが、まぁそういうことなのだろう。

ところで、最初の引用部分にも引いたバトラー神父だが、原文では訳文よりかなり怖い。

"This page or this page? This page Now, Dillon, up! 'Hardly had the day'... Go on! What day? 'Hardly had the day dawned' ... Have you studied it? What have you there in your pocket?(強調は引用者)

そもそも、リーオが本を隠し持っていることに気づいてから立たせている時点で悪質だ。その上、この"this page"の三連打である。なんならむしろ「男」よりもこのおっさんのがヤバい。

いやー、ヤバい時代に生まれなくて良かったね。

*1:訳語は「一番幸せな時期」

*2:訳語は「とてもいい気分」