<<前置き>>
ジェイムズ・ジョイス『ダブリナーズ』の読書会である"Deep Dubliners"用のメモ。今回は第三回目、"Araby"こと「アラビー」である。なお、いつもどおり訳語は柳瀬訳に拠ることにする。
この記事の目的や本作読解の方針、参考文献などは初回記事をお読みいただきたい。
基本情報
登場人物:7名+α
ぼく、叔父、叔母、マンガン、マンガンの姉、亡司祭、マーサー婆さん(質屋の未亡人)他(先生、イギリス人のアクセントの三人組等)
日時設定:テクストからは確定できない*2
語り手:僕(12歳~くらい?)、なお本文は回想である
時系列:3場面に分けたい
・無時間的なノースリッチモンド通りの描写
・冬の短い日々(マンガンの姉編)
・アラビーの土曜日(アラビー編)
概要
叔父叔母とくらしている「僕」は、近所の子どもであるマンガンの姉に恋心のようなものを抱く。ある日、初めてマンガンの姉と会話する。曰く、アラビー(バザーの名前)へ行くのか?と。その日から、僕は土曜日にアラビーへ出かけて、マンガンの姉にお土産を買ってくることに執着するようになる。
『嵌る方法』概略
"blindness"に関するテーマの深堀り。マーゴ・ノリスらの先行研究の紹介。ポストコロニアル的読解の可能性の指摘。"blindness"が閉塞状況を示しているだけではなく、虚構を生成する領域としてのポジティブな機能を有していることをも示しているのではないかとの指摘。
(この節は追記をするかもしれない。)
検討
「精読」を謳いながら、今回はあまり精読をしている余裕がないまま読書会当日を迎えてしまった。いや、実をいうと精読自体はそれなりにしたつもりではあるのだが、この記事のこの箇所を書いているのが既に当日の午前3時であり、記事を書いている余裕がないというのが正確なところだ。
このため、既に公式のトピックリストが発表されている。しかし本稿では、やはり当ブログに関心に即した部分について書いていきたい。それでもその関心の一定の部分は、そのトピックリストの関心とも関連するはずである。
まず、私の興味としては、テクスト、あるいは物語の内的世界から離れて、歴史的コンテクストに依拠する読解にはあまり関心がない。また、象徴性を重視するあまり、まるでMMR*3のようにあれもこれも隠喩として捉えるような読み方も好みでもない。
重視したいのはテクストそれ自体、テクストの内的世界、そして他のテクストとの共鳴である。
さて、この「アラビー」は、遥か昔にこの『ダブリナーズ』を読んだときに、「エヴリン」と並んで印象に残った短篇の一つであった。それというのも、「アラビー」から「エヴリン」に移行する際の、文体的な落差が激しいためである。
特に今回の「アラビー」は、文学的修辞が強めに効いた文章であり、今回原文を確認したことで、さらにその感覚を強くした。
以下、追記予定の項目と概略だけ列挙して、後日更新します・・・。
1.光と音の描写
ガス灯の揺らめき。"blind"と"darakness"。
逆光のシルエットに過ぎないマンガンの姉。顔のないマンガンの姉。鉄柵の中のマンガンの姉。光と雨と性的仄めかし。
2.文章の工夫
アリタレーションやsとhで表される衣擦れの音など。
Her dress swung as she moved her body and the soft rope of her hair tossed from side to side.
2.他篇との共鳴
自転車と"Wheel"、聖杯、妹のいる司祭。―「姉妹」との共鳴。
ごっこ遊び、ルーティンからの冒険。―「出会い」との共鳴。
同一人物か否かをテクスト内から確定する術はないが、物語の精神として同一のものを持っている。あるいは、これらの篇と共鳴させて読ませるような明確な意図が垣間見える。
3.他のテクストとの共鳴
プルーストにおける「窃視」「聴覚」「視覚」「フェティッシュとしてのアラビーあるいはラ・ペルーズ通り」
4.その他
テクストの余白―「空き家」について