ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

031『愛と障害』アレクサンダル・ヘモン/岩本正恵訳

手錠かけられるのは只あたしだけ

そもそも、そういう話が語られることがあるとすれば、僕が唯一の語り手のはずだった――物語を語ることにおいては、僕は一族でただひとりのプロなのだから。(p.162)

<<感想>>

本作は一応、連作短篇ということになっているが、これがなかなかの食わせ物だ。読み味としては一つの長編に近い。そして本作にはもう一つ、食わせ物要素がある。

著者のアレクサンドル・ヘモンの出生国はユーゴスラヴィア。現在のボスニア・ヘルツェゴビナ地域の出身である。ちょっとでも世界史を勉強した方ならご存知の通り、この地域の出身者を〇〇人、と一口で呼称するのは容易ではない。この著者の場合も、ウクライナイ人の父、セルビア人の母のもとに生まれているようだ。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の三つ巴の当事者は、クロアチア人(カトリック)、ボシュニャク人(=ムスリム人、イスラム教)、セルビア人(=正教)であったから、作家はこの三番目のグループに近かったのだろうか?

しかし、この問いが意味をなすことはない。なぜなら、偶然の巡りあわせにより、サラエヴォ包囲が始まったその日、若き作家はアメリカに滞在していたからだ。結果的にヘモンは亡命を余儀なくされ、亡命ユーゴスラヴィア人(?)作家として、アメリカで活動をしていくことになる。

こうした来歴と、彼が外国語である英語を操るために学んだ作家にちなんで、彼はこう呼ばれる。ナボコフの再来、と。

もちろん、「〇〇の再来」や「現代の〇〇」(ナボコフボルヘス、レム、マルケスなどが代入される)が本当にそうであったためはなく、この手の惹句は出版社と読者との「うるわしき共同」で作られた幻想に過ぎない。

しかし、そこに代入されるのがナボコフの名前である以上、注意深く読む必要があるだろう。

1.文体

さて、まずは文章からチェックをしていきたい。

作風としては、東欧風でもなければナボコフ風でもなく、現代アメリカ文学そのものである。難解に過ぎず、ちょっと小気味のいいインテリ風のユーモアが挟まる感じ、とでもいえば良いだろうか?

例えば、こういうところはいかにもインテリ臭い。

その間に彼らが求めるのは、生きて、少しずつ手に入れたわずかな愛を賢く使い、テレビと雑誌の麻酔のような助けを借りて人生に耐えることだけだった。(p.96)

アメリカ人は昔からアメリカを書くのが大好きだが、最近はちょっと自虐的なのがウケるのだろうか?

どこ出身かきかれるのにももううんざりだし、ブッシュとあの狂信的なキリスト教の連中は大嫌いだ。「炭水化物」なんて言葉は僕の存在を構成するすべての微粒子が憎んでいるし、アメリカの生活からよろこびが計画的に絶滅させられているのも憎んでいる、エトセトラ。(p.88)

スピネッリは、高校では煙草を売りさばき、地理の教師とやりまくった。ヒッチハイクアメリカじゅうを旅して、オクラホマではインディアンと酒を飲み、彼にもらったキノコを食べると、霊の棲むところに飛んだ――霊は尻がでかくて穴がふたつあり、どっちも同じようにクソのにおいがした。(p.15)

以下の引用部分などは、映像メディアからの着想が見られる。私としては、映像化できないような表現こそ文章には求めたいが・・・。

・・・〈プレイボーイ・カジノ〉という豪華なネオンがあり、CASINOのSとOの字が自信なさげについたり消えたりしていた。(p.17)

ただ、小気味の良い、素敵な表現や比喩も含まれる。

数日後、春がシカゴにパラシュート降下した。(p.123)*1

・・・家具はなく、窓からは、積み上げられた雪と、ハミルトン製鉄所の煙突と、がらんとした駐車場が見えた。なにもかもが白黒で荒涼として灰色で、ヨーロッパの実存主義映画のようだった。(p.142)

全体として、ナボコフほど凝った表現ではなく、文章的には比較的リーダブルである。

2.各短篇について

さて、いい加減あらすじ的なところに話を移すと、本作は著者の自伝的連作短篇であるといえそうだ。

前半の3つの短篇はボスニアで過ごした少年時代~青年時代を回想する物語である。あとの5つは、語り手がアメリカに移り住んだ後のエピソードである。

一読する限り、前半の3篇は少年期~青年期の若気の至り的なありがちなエピソードであり、ややパンチが弱いように感じる。

後半3篇とのブリッジ的な役割を果たすのが、名刺代わりにアメリカ移住を示す「すてきな暮らし」と、作品全体の中で異彩を放つ「シムーラの部屋」だ。

そして、後半3篇へと読み進めていくと、作者の企てが徐々に明らかになってくる。

まず、「蜂 第一部」は、父との思い出を語る物語である。

この父という人物が変り者で、フィクションを嫌い、真実のみを愛すると吹聴する。父との子ども時代の思い出として、父がビデオ映画を撮る一幕が語られる。撮られるのは、父を演じる語り手である。また、後年この父は、フィクションを排したとへたくそな自伝を書き、語り手に送ることになる。

続いての「アメリカン・コマンドー」は、語り手の初恋の少女アルマと、アメリカで再開する物語である。アルマは映画学校の生徒となっており、作家となった語り手をやはり映画に撮ろうとする。題材は、作家の少年時代=ボスニア時代である。作家は、遊び場を奪った建設作業員たちに「戦争ごっこ」を仕掛ける話をする。このエピソードは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を強く仄めかしており、読んでいると背筋が寒くなる。

そのころ、僕らはふと、菜園の奪回をずいぶん前にあきらめてしまっていることに気づいた。・・・これまで話し合ったことといえば、作業員軍を人格化した存在である警備員をどうやって痛めつけるかばかりだった。それが戦争の最終目的になってしまい、それに至るまでのことにも、そのあとのことにも、その先のことにも思いが及ばなかった。(p.181)

最後を飾る「苦しみの高貴な果実」は、語り手がディック・マカリスターというピュリッツァー賞作家と親交を持つ、という物語だ。語り手は半ば押し掛け的に作家と親交を持ち、強引に両親の居る自宅へと招待する。両親はベジタリアンの作家に肉を振る舞ったり、息子の評価を問い詰めたりするなどの醜態を晒す。ところが後日、語り手は作家の新作に、形を変えたこの両親とのエピソードが登場することに気がつくのである。

3.作家の企て

全ての物語を一度読み終えると、この作品が意外にもメタフィクショナルな構造を有していることに気がつく。映画の題材となる語り手、文章の題材となる語り手。ファインダー越しの語り手は、読者によって語り手の位置を奪われていく。

即ち、語り手の語る内容についてのみならず、語る語り手の語り様についても注目するように仕向けられているのだ。

本作は、表面的には喪失と離散の物語である。戦争を遠景に据え、アメリカやカナダで故国を失い、アイデンティティを掴めぬまま、散り散りに暮らす家族たちのエピソードが中心となる。

しかし、一人称の語り手を客体化して読むと、もう一つの違った姿が立ち現われて来る。

例えば、食卓のモチーフ。

父さんはステーキをナイフで切り、母さんにしつこくいわれてもまだあの探検帽をかぶっている。母さんは妹の皿のマッシュポテトとニンジンを小さく分けている。(p.43)

母はマカリスターのまだ空っぽの皿を取ると、大きなポテトを四個のせ、続いてパイを数切れと、サラダとパンをのせ、やがて皿は山盛りになって、なにもかもポテトについてきた脂にどっぷり浸かった。・・・

父は肉を切り、肉汁たっぷりの分厚いひと切れを脂に浸してから、僕らめいめいの皿にのせた。(p.210-211)

あるいは、家族への帰還のイメージ

攻撃をやめたとき、彼の息は上がっていた。

・・・僕は暗闇に横たわり、動けず、やがて眠りに落ちた。・・・目が覚めると、家が恋しかった。(p.66)

戦争を終えて、僕は家族のもとに戻った。(p.185)

作家が意図的に少年時代~青年時代の物語と、成人後の物語とを接続して描いている様子が浮かび上がってくる。恐らく、作家は語ることによって、家族と故国とを取り戻しているのである。すなわち、これは語ることによって達成されるアイデンティティの回復の物語なのではないだろうか。

 

このようにして読むと、作中でもひときわ浮いている「シムーラの部屋」という物語の位置づけも見えてくる。どことなく『闇金ウシジマくん』やソローキンの文章を思わせる異色の短篇だ。

この挿話は、シムーラというやくざ者*2アメリカ人が、ボグダンというやはりボスニア人亡命者を自宅の間借り人にするお話である。ボグダンが紛争を実際に体験している、家族を失っている点が、語り手との差異である。シムーラはボグダンの庇護者を気取る。あるいはボグダンはウクライナ出身の老婦人という知己を得ることもできる。しかし、ここに示される疑似家族関係は、この短篇の最後で暴力的に破壊されてしまうのである。

幸いにも紛争を経験することなく、語る言葉を持つ語り手と、不幸にも紛争を経験し、語る言葉さえ失ってしまっているボグダンとの対比が見事である。連作短篇集としてみたとき、私はこの「シムーラの部屋」がお気に入りだ。

4.終わりに

最後に、恒例の「ずらずら」を引用しておきたい。本作に登場するずらずらも、良いずらずらである。

アズラは、『ライ麦畑でつかまえて』にはまったく関心がなくて、僕は『クオ・ヴァディス』を読んでいなくて、『農民蜂起』は関心があるふりをした。・・・ふたりの好きな本はすぐに見つかった。『タイム・マシン』、『大いなる遺産』、『そして誰もいなくなった』。・・・

フラニーとゾーイー』や『長いお別れ』の一節を彼女の髪にささやいていると、僕はほかになにもいらないほどしあわせだった。(p.10)

 

本作は、ユーモアや哀愁、過去への追憶をテーマとする軽い作品のようでいて、その実は再読にも耐える重厚なメタフィクション作品でもある。しかし、「ナボコフの再来」と呼ぶにはややパワー不足の感は否めない。長編好きの私としては、改めてこの作家の代表作と言われる長編を読んでみたい。

 

お気に入り度:☆☆☆

人に勧める度:☆☆

 

・連作短篇ならこの人

・古い時代のユーゴの物語

<<背景>>

2009年発表。作家は1964年生まれ、当ブログでこれまで取り上げてきた作家の中でもかなり若い部類に属する。

ユーゴ崩壊のカウントダウンのスタートとなったチトーの死が1980年。ユーゴスラヴィア紛争の開始及びソ連崩壊が1991年である。

サラエヴォ包囲が始まったのが1992年、この年から作家はアメリカで暮らすことになる。

著者の代表作である『ノーホエア・マン』は2002年に発表され、2004年に翻訳が出ている。この他、『私の人生の本』という作品について翻訳がある。

<<概要>>

全8篇からなる連作短篇であり、前3篇がボスニア、後5篇がアメリカを舞台としている。

一人称回想体の小説である。語り手は1980年に16歳であった旨の描写があるため、著者と同じ1964年生まれであると特定できる。サラエヴォ包囲の時点で27歳だった計算だ。

なお、作中語り手に本作と同名の『愛と障害』というニューヨーカー詩に掲載された作品がある旨の指摘がある。この点からも、本作が単純な自伝ではなく、自伝"的"作品であることが仄めかされている。

<<本のつくり>>

訳者は研究者ではなく、翻訳者の方のようだ。

単語のセレクトの点、漢語よりも和語を好む点、漢字をひらがなに開いている箇所などの点から、非常に現代的な訳文である。ただ、心なしか巻末のあとがきの解説が物足りない印象がある。

同じ著者の『ノーホエア・マン』も同じ訳者が翻訳されており、続刊が期待されたところだが、原著者と同じ生年にも関わらず、早逝をされてしまったようである。

*1:「春がローラースケートに乗ってやってきている。」という、ナボコフ=ウィルソン往復書簡集に載っている比喩を思い出したのは私だけか?

*2:金貸し、特定の部分にだけ異常に几帳面、まるでウシジマくん