ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤全集を完走後、ゆっくり白水社エクス・リブリスの全巻読書をやってます。

095『傷ついた世界の歩き方――イラン縦断記』フランソワ=アンリ・デゼラブル/森晶羽訳

誰のものでもない 髪をなびかせ道の先には蜃気楼

イランを縦断してまだ一か月しか経っていないのに、僕は以前の自分ではなかった。旅の意義は、よその土地の景色に驚嘆するというよりも、新たな視点を持ち帰ることだろう。そして旅は時の流れを濃密にする。自宅での時間はあっという間に過ぎていくが、旅先の一日は一週間、一週間は一か月、一か月は一年、一年は一生に相当する。・・・バム、ルート砂漠、ケルマーン、ヤズド・・・。一か月前、単なる地名だったものが、今日では思い出になっていた。(p.151)

<<感想>>

いつもノリと勢いとフィーリングでささっとつけている「お気に入り度」の☆印だが、これを書いている現在、まだ悩んでいる。

なぜなら、この『傷ついた世界の歩き方――イラン縦断記』という作品は、タイトル通りイランを舞台にした、紀行文学だからだ。

紀行文学というと、かつて当ブログでもイチオシしたカプシチンスキの『黒檀』【過去記事】がまず思い浮かぶ。『黒檀』は、ジャーナリトである著者の手による、アフリカ各国を舞台にした傑作紀行文学作品である。実は、本作の作中にも、『黒檀』こそ登場しないものの、カプシチンスキの各著作からの引用がたびたび登場するのだ。

もう一つ、イラン関連で当ブログで取り上げたことがあるのが、同じエクス・リブリスの『スモモの木の啓示』【過去記事】である。英語圏の国に亡命したイラン人の手による、体制批判の書である。こちらについては、物語が面白い反面、政治色が強すぎて私にはあまり向かなかった。

つまり、本作は『スモモの木の啓示』(☆☆☆)より遥かに好みだった一方で、カプシチンスキと同格(☆☆☆☆)では褒めすぎなのではないかという迷いが生じているのだ。

 

個人的にイランというのは好きな国の一つだ。ただ、うっかりお外で「イランが好き」なんて言おうものなら、もしかすると変な目で見られてしまうかもしれない。

それほどイランという国号には、良くないイメージと結びついている。例えば、イラン・イラク戦争。あるいは、イラン・イスラム革命。私と同じかそれ以上の年齢で、かつて都市部に住んでいた人には、偽造テレホンカードと薬物取引のイメージさえあるかもしれない*1

ところが旧国号のペルシアだとどうだろう。ペルシア猫、ペルシア柄、ペルシア絨毯。あるいはペルシア神話など。ペルシアという名前からしてヨーロッパサイドの勝手な呼称であるが、どことなくエキゾチックな、そして神秘的なイメージが漂う。

もちろん、これは同じ国あるいは地域の二つの顔に過ぎない。

他民族(アラブ人)の宗教を輸入し、それを自らのものとした国。親米世俗主義だったのに、保守反動へと急旋回した国。宗教的少数派(シーア派)が国内的多数の国。

この奇妙な二面性が、どことなく私を惹きつけるのだ。

 

本書の著者であるフランス人のデザラブルもやはり、イランの魅力に惹きつけられた一人だ。彼をイランの虜にしたのは、ニコラ・ブーヴィエという作家の『世界の使い方』という紀行文学だったそうだ。

彼は、ブーヴィエの著作に憧れ、『世界の使い方』が辿った旅路と同じ旅路を辿るべく、単身イランへと渡った。それは折しも、「マフサアミニの死」【wikipedia】により、イラン国内で大規模な抗議デモが起こっている最中だった。このため本作は、イランの風景と人々の暮らしを伝える紀行文学であると同時に、歴史的事件に揺れるイラン国内の反応を伝える稀有なルポルタージュでもある。

 

さて、そんな本作の特徴として真っ先に挙げるべきなのは、カプシチンスキばりの軽妙な文章だろう。

テヘランからゴムまでは、円形のくぼみと小山からなる黒っぽい砂漠を横断する道路を走る。景色は月面のようだった。(ただし、星条旗は見当たらなかった。)(p.50)

深夜に寝室の窓の下で身なりの悪い老人が意味不明なことを大声で話している場合、自宅なら安眠妨害だが、旅行中なら異国情緒だ。(p.79)

 

彼は、この文体を武器に、まるで読者自身がイランを旅しているかのように、見たままのイランを描写していく。これにより、我々外国人が抱きがちなイランに対する偏見も、少しずつ覆されていくことになる。

例えば、イランは「反米国家」だという考え。彼に言わせれば、反米的なのは政府であり、多くの国民は、ムッラー*2が憎い余りに、ムッラーが憎むアメリカを愛しているという。

もう一つは、デモによりイランが「火の海」になっているという誤解について。

・・・僕はメディアの「針小棒大」に注意するようになった。イランから送られてくる映像を見ると、イランは炎上して血の海にと化したような印象を受けただろう。実際は、デモは短時間で鎮圧されたので、人々は何事もなかったかのように元の生活に戻った。・・・ケルマーンでは、警官隊がバザール付近でデモ隊を棍棒でぶん殴っているとき、そこから二本は鳴れた通りにあるレストランでは、婚約パーティが開かれていた。(p.115)

 

また、イランの人々の日常生活の描写も面白い。彼が「この国以外で見られない習慣」と呼ぶタアーロフという礼儀作法がある。簡単にいうと、最初に(過大に)親切な申出をしなければならないが、申出をされた側は、それを丁重に断らなくてはならない、という礼儀作法のようだ。これなどは日本的、あるいはアジア的な感じがして、「この国以外で見られない」どころか、妙なシンパシーを抱いてしまった。

 

割かれている紙面の割合としては、「マフサアミニの死」に関するイラン市民の反応に関する言及が多い。総じて、一般市民の多くがデモを支持していたし、熱心に運動に参加する若者も多かったようだ。

ただ、印象に残ったのはそうした記述よりも、むしろ次の二つのポイントだ。

まず一点目。実は、本作は文章だけで構成されているのではなく、ところどころに現地で撮影された写真が挿入されている。そのうちの1枚の写真が実に良い。

タイトルは「未来のイランから数歩遅れた過去のイラン」。髪を露わにしている若い女性(違法)の後ろを、チャドル姿の女性(チャドルとは、ヘジャブよりも更に覆う面積の多い衣類。保守性の象徴でもある。)が歩いている写真だ。

もう一つが、「体制派」の真面目な教師ヤースィーンと邂逅した一幕だ。彼は、三人の娘がいる父でもあるという。

娘たちには、「チャドルには男性の絶え間ない欲望から女性を守り、父親、夫、兄弟、息子のために女性の美しい姿を保つ効果がある」と口を酸っぱくして説いたそうだが、娘たちは聞く耳を持たず、ヘジャブを着用するだけだという。

・・・ヤースィーンの態度は、フランス人の父親が学生のパーティから酔っぱらって帰ってきた息子の姿を見て「近頃の若者は・・・」とぼやく姿と似ていた。(p.66)

 

保革対立や圧政が世界中のそこかしこで見られように、子を思う気持ちとパターナリズムの二面性も、人類共通なのだろうか。

 

お気に入り度:☆☆☆(3.9ということで)

人に勧める度:☆☆☆☆(小品かつ平易なので、ぜひ若い方に)

 

・見逃してはいけない傑作ルポルタージュ

・イラン人が書いた作品

<<背景>>

2023年発表。作中年代=作者が実際に旅した年=マフサアミニ事件に対する抗議デモの年は2022年だ。邦訳版の発売が2024年9月であるから、話題がホットなうちに刊行されたと言ってよいだろう。

作者の先達であるニコラ・ブーヴィエが中東を旅したのが1950年代、『世界の使い方』の出版は1963年だそうだ。

なお、イラン・イスラム革命は1979年。現職にして二代目のハメネイ師が「最高指導者」の座についた1989年から、いま既に35年が経過している。

<<概要>>

20章構成。各章に章番号は振られないが、旅程に沿って各地域や旅路の名称が付される。200頁に満たないボリュームで、かつ章替えの改ページや写真も含まれるから、このシリーズの中ではかなりの小品の部類に入るといって良いだろう。

ノンフィクションという体裁を取っているため、文体は一人称である。

<<本のつくり>>

まずは、本シリーズの伝統に反し、訳者略歴がないことに触れざるを得ないだろう。

原文はフランス語であるが、訳者解題を見ると現地の事情にも相当に詳しいことが窺える。恐らくは、『スモモの木の啓示』と同じ理由から、訳者名秘匿での出版なのだろう。ただでさえ業績評価に繋がりにくいといわれる翻訳を、さらに匿名で行うという訳書の気概に、まずは敬意を表したい。

その上で敢えて書くが、このシリーズでは珍しいほど誤字が多かった。

例えば、人名について、"ルトフ"と"ロトフ"での表記揺れ(p.109)。あるいは、「国境が再会したら」(p.122)という変換ミス、止血体帯(p.145)という削除ミスが見られた。

なお、訳文は明快であり、これらの誤字が本作の価値を毀損するものではないと思う。

*1:当時なぜあれほど日本にイラン人が居たのかについては、検索すると結構面白い分析が出てくる。

*2:イスラム法学者、つまりは権力者階級である