Send her victorious happy and glorious
<<感想>>
なんか流行ってるし、たまには軽いものでも、と思ったら予想以上に軽かった。行きの電車で読み始めて、家に帰るころには読み終わっていそうな分量。もちろん、軽いことは悪いことではなく、作品の品質とは関連性がない。よし、今日は感想も軽やかにいくでぃ!
本作は英国の小説、つまり当然、やんごとないのはエリザベス女王を指している。そのエリザベス女王がふとしたきっかけで読書に目覚め、ズブズブとハマっていく。敵役の侍従や首相に妨害されながらも、女王の読書熱は深まるばかり。もうこの設定の段階で勝負アリ、面白そうな予感しかしない。
著者のアラン・ベネットは劇作家・脚本家出身のようで、なるほどスピーディーな物語展開からもそれらしさが窺える。
さっそく本作らしい魅力をさらっと3つ紹介してみよう。
1.読書好きあるある
読書をするならそれ専用の場所でないほうがいい。(p.24)
宮殿には図書館があるんですって。女王だから。でもやっぱり寝っ転がって読みたいのは女王も同じ!
2.コメディ
よし、聖書の朗読をしよう!と思った女王様が、さっそくカンタベリー大主教に直電したときの一幕から。
大主教が電話に出るまで少し間があったのは、テレビのボリュームを下げていたためだった。(p.73)
3.読書論
一冊の本は別の本へとつながり、次々に扉が開かれてゆくのに、読みたいだけ本を読むには時間が足りない・・・。(p.26)
これはダムロッシュ【過去記事】も指摘していたとおり。もう既に世界文学を読むには人間の寿命は短すぎる。
私に個人的に刺さったのは次の箇所。
それまで彼女にとって音楽は大きな慰めを与えてくれるものではなく、つねに義務の色あいを帯び、出席する必要のあるこの種のコンサートでおなじみのレパートリーと結びついていた。だが、この夜は音楽がいつもより語りかけてくるように思えた。(p.125)
私は今では音楽も絵画も大好きだが、最初に好きになったのは文学だし、文学だけしか好きではなかった。ところが、文学に親しめば親しむほど、音楽や絵画の良さが「読める」ようになってくるのだ。そうした楽しみ方は音楽や絵画の本当の楽しみ方ではないのかもしれないが、それでも私に音楽や絵画を教えてくれたのは文学だ。
本書は全般として読書賛歌であり、「なぜ本を読むのか?」に対する標準的な回答はおおむね作中で出揃っていそうだ。まぁただ正直なところどこかで聞いたことのある観点だなぁという思いは否めない。オチに言及することは避けるが、オチとそのブリッジになる小説も、(非常に納得感は強いものの)予測の範囲内にとどまる。
従って、本書はマジメに読むよりも、軽妙なコメディを楽しむのが良いように思う。
最後に指摘せずにはいられないのが、そもそもこんな小説が書けたことについてである。やんごとないことのやんごとなさの点ではひけを取らない我が国で、果たして、こんな小説が書けるのだろうか?当のエリザベス2世の崩御の際にも、「共和制」の冒頭の子音さえ発音されなかった我が国で*1。別に私は天皇制に反対をしたいのではなくて、タブーの無さ*2が羨ましいのだ。今上陛下が宮中晩餐会で露国大統領に、「作家のソローキンについて、ずっと伺いたいと思っていました。」なんて小説、考えられます?実は一番面白いのは、本書を読んで生まれる脳内「やんごとなき読者・日本版」かもしれない。
お気に入り度:☆☆(もっと重たいのが良いです)
人に勧める度:☆☆☆☆(読書好きみんなに勧められる)
・当ブログでは池澤全集をもりもり読んでます
<<背景・概要・本の作り>>
今日は軽めに。
2007年刊行、邦訳は早くも2009年に出ていたそうだ。2021年にuブックス入り。
エリザベス女王2世の崩御のニュースに伴って、本書が話題にのぼることが増えたように思う。
語りは三人称視点。訳者は『テヘロリ』と同じ方。訳文は平易で、日本語訳のコメディでちゃんと笑えるということは、翻訳が素晴らしい証拠のように思う。
・おまけ、今日のナボコフ
かつてノーマンは・・・、何を読めばいいか女王に助言し、まだその本を読むのは早いと思ったときは躊躇なくそういった。たとえばベケットとナボコフは長いあいだ彼女から遠ざけていたし、フィリップ・ロスにはだんだんと触れさせた・・・。(p.90)
ナボコフに限らず、この作家ってやっぱこういう扱いなのね!ってところがマニア的には本書の一番の面白さかも。