ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

海外文学を読むための海外文学10選+α

詩人がたったひとひらの言の葉にこめた

でもその前に、一日には引用が欠かせない。(『黄金虫変奏曲』p.228)

とても長い前置き

昔、「ジンプリチシムスの部屋」というサイトがあった。スマホどころかブログもなく、おうちのパソコンでネットサーフィンして個人サイトを見ていた時代。サイト名の由来はグリンメルスハウゼンの『阿呆物語』の主人公だそうだが、このサイト名に見覚えがある人は私と同じくらいのおじさんおばさんだろう。

今でいう書評サイトの一つで、教養主義時代からの古典的な「正典」に属する文学作品と、哲学書の書評が中心だったように思う。紹介された作品は五段階で評価をされており、恐らくお手製と思われる画像データ(五つ星が星印5個に「最高傑作」四つ星が星印4個に「傑作」)がHTMLで呼び出されて表示されていた。何を隠そうこのブログ自体も、そのジンプリシチムス氏に対するオマージュだ。

私は当時18くらいだったろうか、貪るようにそのサイトを読んでいた。海外文学に目覚めたての私は、入門コースのテキストを修了させようとするかの如く正典を求め、チョコエッグかガチャガチャの玩具かの如くそれをコンプリートしようとしていたのだ。「ジンプリシチムスの部屋」以外にも、ブックリストが載っている本を好んで買っていた。カビのはえ桑原武夫『文学入門』から、ベストセラーになった齋藤孝『読書力』まで、私だけではなく、多くの読書家たちがそうしたリストを求めてもいた

しかし、教養主義も「正典」ももはや明らかに時代遅れだ。読書はもはや何かの「ためにする」ものではないし、拡大し続けた「正典」はもはや膨張に耐え切れず破裂している*1

だがそれでも、いつも文学アイツは衒学的な嘲りの眼差しをたたえてこちらを見てくる。エピグラフ、引用、比喩、モチーフ、オマージュ。あの手この手で、ぼくらの読書経験を問うてくる。そこで今回は、海外文学に頻繁に登場する海外文学作品を抽出してリスト化してみたい。ようはこの企画のミソは、知らない作品を引用されるイラつきを、知っている作品が引用される喜びに変えることにある。

抽出は拙い私の経験と勘に基づいて、対象はまったくの海外文学初心者というよりも、海外文学の沼に沈みたいと思っている高校生・大学生などを念頭に書いている。従って、可読性や難易度にも相当程度配慮し、作品に複数の版が存在する場合には、そのチョイスも明記することにした*2。選出した作品はヨーロッパの作品に限られたが、これは「新世界」の文学作品の価値を否定する意図ではない。いま、村上春樹オーウェルチェーホフを引用するのが自然なように、「新世界」のどこの作家もヨーロッパのすべての文学作品を受容している*3

それでは、「ためにする」読書からの解放を願って。18の頃の自分のために。

一.エドガー・アラン・ポー諸作品

1.選書の理由

この記事の題が10選ではなく1選だったら、ポーを選んでおしまいだ。そのくらいポーの影響力は広範かつ甚大だ。

江戸川乱歩(と、同じ苗字の少年が活躍する漫画)のせいで、どうしてもポーをいうと探偵小説のイメージが強いかもしれない。しかし、ポーはミステリ作家であるだけでなく、優れた詩人であり、ゴシック・ホラーの継承者でもあり、幅広く読まれた(海洋)冒険譚を残してもいる。ゴシック・ホラーというとイメージがわかないかもしれないが、幻想的・怪奇的な要素を含む作品、例えば「ドラキュラ」や「フランケンシュタイン」が出てくるような作品だと思ってもらえればそれで十分だ。

これまで当ブログで取り上げた中でも、『パタゴニア』【過去記事】には『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』が、『アレクサンドル・ヴォルフの亡霊 』【過去記事】には『鋸山奇譚』が、『ロリータ』【過去記事】には『アナベル・リー』が登場するし、この記事を書いている現在読んでいる『黄金虫変奏曲』【過去記事】にはそのものずばり『黄金虫』*4が登場する。

従って、ポーの場合オススメをどれか一つの作品に絞ることはできない。でも安心してほしい、『ピム』を除くほとんどの作品が短編であり、一作を読み通すのにさほど苦労はいらないからだ。

ただ、漫画、アニメ、映画を含む物語作品によほど禁欲的に生きてきたのでない限り、メチャクチャ面白い!とはならないかもしれない。物語のコアとなるエッセンスだけがむき出しで置いてあるイメージだ。ここでも例外は『ピム』で、『モンテ・クリスト伯』【過去記事】や『三銃士』同様、エンターテインメントとして現代でも成立しうる作品となっている。

2.どれを読むか

その影響力の大きさからか、邦訳書籍も多い。岩波、光文社などのものも手に入りやすいが、今買うなら集英社のポケットマスターピースシリーズのものが断然オススメだ。上に挙げた全ての作品が入っており、値段もかなりお買い得。訳文自体は新旧混交であるが、新訳の『ピム』が読めるのはこの版をおいて無い。

ただ、頭からすべての作品を読もうと意気込まない方がよい。冒頭に配置されているのは詩であり、その訳文自体が一種の別の作品となっている日夏耿之介訳で、現代の普通の読者に読みこなすのはかなり困難だからだ。いっそ英語原文で読んだほうがわかりやすいくらいだ。なお、Wikipediaで各詩をひくと、ご丁寧に原文と翻訳例が載っており、これがとてもよい。

3.そのほか

今回、アメリカ文学部門からはこの一冊でおしまいだ。一応、「正典」的な価値観から見ると、かつてはメルヴィル『白鯨』*5ヘミングウェイ武器よさらば』、スタインベック怒りの葡萄』あたりが選書されていたが、今日ではヘミングウェイの他はフィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』、フォークナー『響きと怒り』が挙げられることが多いように思う。ただ、いずれも世界文学という樹木の果実の部類であり、この記事の趣旨からは外れる。

アメリカ文学部門からもう一冊選ぶとすれば、トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』を挙げたい。「まるでハックのように」と、説明不要でたとえて許されるキャラクターの一人を生んだ作品だからだ。

二.ウィリアム・シェイクスピアリア王

1.選書の理由

実は書いている当人がそんなにシェイクスピア贔屓でもなく、うっかり引用されて困惑することも多いのだが、特に英語圏でその影響力はすさまじく、素通りするのは難しい。問題はどの作品を選ぶかだが、これもまた難しい。日本人にとっては意外かもしれないが、海外文学では詩もまた非常に重要視されている。このため、引用の多さから言えば、ソネットと呼ばれる形式で書かれた詩集が一番かもしれない。しかし、詩の魅力は翻訳で失われやすいこともあり、オススメしにくい。そうすると、いわゆる四大悲劇『リア王』『ハムレット』『マクベス』『オセロー』から選ぶのが筋というものだろう。

異論はあるだろうが、このうち特に評価が高いのが『リア王』と『ハムレット』の二作である。確かに引用の中でも、「コーディリア」*6「オフィーリア」*7「ポローニアス」*8あたりは頻出で、どのような役回りかはおさえておきたいところでもある。

個人的な好みからは『ハムレット』を推したいところでもあるが、今回は最高傑作の呼び声の高い『リア王』をセレクトしたい。

2.どれを読むか

四大悲劇は定番中の定番であるためか、本当にもう各出版社からそろい踏みである。伝統的には新潮社版の福田訳が定番とされてきたように思うが、ちくま文庫光文社古典新訳文庫白水uブックス、角川文庫の各版も書店で容易に手に入る。

この中での私のイチオシは角川文庫版である。なんと2020年と極めて新しい訳であるし、訳者はシェイクスピア研究の当代きっての第一人者、河合祥一郎先生である。訳文は平易かつ注は詳細である上、舞台での朗読に向く翻訳であると言われている。原文の言葉遊びの転写も見事である。

河合先生は近年次々と児童書の翻訳を手掛けており、私も子どもの本を盗み読んでいるが、どれも非常に素晴らしい。ただ、注を煩雑だと思う方、読みやすさを特に重視したいという方には、光文社古典新訳文庫をオススメする。

3.そのほか

シェイクスピアはその知名度ゆえに、漫画版や舞台のDVD版、解説書なども無数に出版されている。戯曲という形式に抵抗感を感じるのであれば、こうした作品を利用するのもアリである。

三.ダニエル・デフォーロビンソン・クルーソー

1.選書の理由

ポーと並ぶ1選でも採用されるべき候補。当ブログでも繰り返し取り上げてきたが、ロビンソン・クルーソー』から着想を得たり、これを読み替えたりした後発の作品群を「ロビンソナード」と呼ぶことがある。そうした呼称が存在するというだけで、影響の大きさがわかる。有名なところだと、ヴェルヌ『十五少年漂流記』や、ゴールディング蝿の王』が挙げられるだろうか。比較的新しいものでは、クッツェー『敵あるいはフォー』や、当ブログでも取り上げたトゥルニエ『フライデー、あるいは太平洋の冥界』【過去記事】などがある。

いわゆるロビンソナード以外でも、ロビンソン・クルーソーの置かれた状況が比喩的に用いられることは極めて多い。いま思い当たる範囲では、『チェヴェングール』【過去記事】、つまり、時代も地域も遠い20世紀ロシアの作品でそのような用いられ方をしていた。

ロビンソン・クルーソー』は、その平易な物語から、児童向けの翻案作品なども数多く出ている。しかし、特にロビンソナードと呼ばれる作品群においては、ロビンソンが日付を数えること、宗教的な動機が背景にあること、日記をつけだすことなどなど、ディティールの対比が重要になってくることも多い。従って、翻案作品に触れたことがある方にも、ぜひご一読いただきたい。

2.どれを読むか

長らく岩波文庫版(1967)が定番だったように思うが、中公文庫(2010)、河出文庫(2011)、光文社古典新訳文庫(2018)、新潮文庫(2019)と相次いで新訳が出版されている。何かあった?

私はこの中で一番古い岩波文庫版【過去記事】しか読んだことがない。しかし、その岩波文庫版でも、読解に苦しむことはまったくなく、するすると読み通すことができた。ただ、光文社版には地図と船の説明図が、新潮文庫版にはこれまた地図と、度量衡の換算表などの資料が付いている。いま買うならこのどちらかだろうか。

気を付けたいのは、実は『ロビンソン・クルーソー』は三部作であり、有名な漂流譚はその第一部にあたる作品だということだ。岩波文庫版は上下巻でそれぞれ第一部・第二部が訳出されているが、殆どの版では第一部のみが採録されている。第三部は物語ではなく訓話集で、殆ど翻訳されたことがないそうだ。この記事の目的からすれば、第一部さえ読めれば十分である。

3.そのほか

イギリス文学部門はこれでおしまい。伝統的にはディケンズ*9を外してはいけないのだろうし、シャーロット・ブロンテジェイン・エア』【過去記事】やオースティン*10ら女性陣の活躍も見逃せない。フォークナー【過去記事】に見られるように、ディケンズが引用されることもあるが、この記事のテーマとしては、取り上げた二作が優勢だろう。

むしろ、引用という側面からあと一冊選ぶとすれば、これも児童文学とされることの多い『ガリバー旅行記*11。文明の進歩による明るい未来を確信するかのようなロビンソン・クルーソーとは正反対に、皮肉と風刺に満ちた作風である。こちらはつい最近柴田元幸先生の手による新訳が発売されている。

四.プロスペル・メリメカルメン

1.選書の理由

カルメン、あるいはカルメンシータ。この名前もハックやロビンソン同様、説明不要で使われる名前の代表格だ。そしてこの10選の中でも、マノン・レスコー*12、マルグリット・ゴーティエ*13サロメ*14から誰か一人を取り上げないわけにはいくまい。

フランス人がスペインに取材したバスク語を話すロマの女。彼女を有名にしたのはひとえにメリメの功績ではなく、ビゼーのオペラの影響も大きい。ビゼーはスペインの曲と誤信してキューバの旋律をメジャーにし、それをギリシャアメリカ人であるマリア・カラスが演じた。

このように、本作は生成史や受容史からして越境的である反面、フランス文学やオペラといったハイカルチャーによって流布されてきたという二重性を持っている。このため、古典であると同時に悪しきステレオタイプもあるという二重性も持っている。あるいは、伝統的なファム・ファタール形象そのものであり、ファム・ファタール言説の捉えなおしという現代的な視点を考える意味でも重要だ。

2.どれを読むか

このおじさんもついこの間まで学生だったつもりなんだけど、もうすっかり学生当時に読んでいた版は「旧訳」となり、他に「新訳」がある時代になってしまった。私が読んでいたのは新潮文庫版・堀口大學訳(1972)であるが、今は光文社古典新訳文庫版・工藤庸子訳(2019)が手に入る。平易かつ短い作品であり、堀口訳も決して読みにくくはない。しかし、訳文、訳注、解説のどれをとってもやはり新訳に軍配が上がると思う。

ただ、残念なことに新訳版には『マテオ・フォルコネ』が採録されていない。この作品も良作であるため、私としては新潮文庫を推したい。

3.そのほか

カルメン』は、むしろビゼーのオペラ版のほうが有名なくらいである。ここで注意したいのは、オペラ版と小説版では大幅にストーリーが違うということだ。カルメン自身の性格描写もだいぶ異なる。小説版の方がより苛烈なキャラクターで、対してオペラ版は「恋の女」という側面が強い。引用者によっては小説版ではなくオペラ版が念頭に置かれているだろうと思われることもある。

小説版は、作者が取材してきた実体験に基づく物語です、という18世紀式の体裁になっている点も興味深い。また、箱物語風にカルメンの物語が物語内の人物から語られるという語りの位相にも注意したい。

最後に、この作品が1847年という小説史でもだいぶ古い作品であるにもかかわらず、既に『失楽園』や『パンタグリュエル物語』【過去記事】等、先行作品からの引用を行っていることも指摘しておく。

五.ギュスターヴ・フローベールボヴァリー夫人

1.選書の理由

ボヴァリー夫人』とこれまでの挙げた作品とでは、選書の理由は決定的に異なる。これまで挙げた作品は、主に稀有な登場人物が引用される例と、作品のテーマが形を変えて再演される例とで用いられる。しかし、『ボヴァリー夫人』の影響は、この一冊がその後の小説の在り方を、小説史を換えてしまった点にこそ求められる*15

フロベールなしに、フランスにマルセル・プルーストはなく、アイルランドジェイムズ・ジョイスはなかっただろう。ロシアのチェーホフも別のチェーホフになっていたことだろう。フロベールの文学的影響については、これだけいっておけば十分だ。(『ナボコフの文学講義 上』p.347)

現代においてこのリストを補完しようと思うと、それだけでこの記事と同じ長さが必要になりそうだ。しかし、過去に当ブログに登場した少ない作家の中でも、マリオ・バルガス=リョサ過去記事】、ジャン・ルオー【過去記事】、ナタリア・ギンズブルグ【過去記事】の3名は、フローベールを翻訳・研究した経験を持っている。

ではそのフローベールの何が新しかったのか。ストーリーは大筋として、人妻が不倫に溺れて破滅する、というもので、ひと昔前なら昼ドラで、現代だったらWebコミックあたりでお手軽に消費されるものとそう大差はない*16フローベールが決定的に新しかったのは文体の点であり、だからこそ玄人受けがして、後世の作家たちに絶大な影響を与え続けてきたのだ。

その文体の特質を一言で示す能力は私には無い。映画では表現できない言葉自体の魅力を詩とは異なる方法で引き出した、とでも言ってみたい。より詳しくは【過去記事】を読んで欲しい。

2.どれを読むか

手に入りやすいのは岩波文庫河出文庫新潮文庫の各版だろうか。恐らく全部読んだが、この中では圧倒的に新潮文庫版がオススメである。訳文は新しく、註は豊富で、訳者はフローベールの専門家ときて、言うことなしだ。

なお、短中篇中心のセレクトの中『ボヴァリー夫人』は長編小説である。従って、他と比較するとやや難易度が高いことにご留意いただきたい。ただ、ストーリー自体はシンプルかつ推進力の高いものである。

3.そのほか

もし、フローベールを読んでもしっくり来なかったら、大丈夫。文学通の攻略本もある。「フローベールを論じること」自体が伝統的な画題になっている側面もあり、面白い本に事欠かないが、敢えて勧めるとすれば小説家が書いたものを勧めたい。

先に挙げたリョサや、クンデラが書いたものでも良いが、手に入りやすさ、長さ、面白さを総合して、『ナボコフの文学講義』を挙げておく。

六.マルセル・プルースト失われた時を求めて

1.選書の理由

ブラウザバックするのはこの節を読み終わってからにして欲しい。多くの読書家にとって、プルーストという存在がスタートではなくゴールであることくらいは百も承知だ。あの全14巻にも及ぶ鈍器を超える鈍器を人に勧めることが暴挙であることも理解している。

これを書いている2022年は、プルーストの没後100年にあたる。もちろん、それを記念することをこのチョイスの言い訳にしたいわけではない。既に「プルースト後」の作品が100年分も溜まっていることを強調したいのだ。この100年に限れば、その影響力はフローベール以上かもしれない。

「意識の流れ」や「内的独白」と評するかはともかく、延々と続く一人称の回想と脱線という文体は、当ブログで取り上げたダニロ・キシュ『庭、灰』【過去記事】や、『クレールとの夕べ』【過去記事】をはじめ、数限りない作品で用いられている。あるいは、超有名なマドレーヌのモチーフや、ヴァントゥイユの小楽節のモチーフなど、本作からの引用・転用・借用も枚挙にいとまがない

2.どれを読むか

最大の問題はこれである。そして今回は必殺技の用意がある。それは、祥伝社からでている「フランスコミック版」だ。ようは漫画で、もとはフランス本国で描かれたものである。それも小説版の第1篇(=1巻・2巻)にあたる「スワン家のほうへ」だけでよい*17。訳注や解説も詳しく、理想的な入門書となっている。

ただ、原作に無茶苦茶忠実である反面、日本の漫画の常識からは大きく逸脱して文字が多い。従って、読み通すには中編小説1冊を読み通すくらいの覚悟は必要だ。それともう一つ、これも日本の漫画と比較すると、キャラ絵が驚くほど可愛くない。国内だったらまず編集者のOKが出ないレベルだ。

3.そのほか

いやいやせっかく読むのに漫画では・・・、と思われるのであれば、小説版の第1篇(=1巻・2巻)だけ読むというのもアリだ。第1篇に固執する理由は、プルーストの文体を感じるのにこれで十分であり、かつ引用・転用・借用もこの部分に集中しているからである。非常におおざっぱに言えば、作品の生成史としても、現在の1篇及び7篇にあたる部分が先に構想されており、残る2~6篇は壮大な脱線だという評価もしうる。従って、私としては1篇→7篇という読み方もアリだと思っている。

なお、1巻がつまらない場合には2巻から読むのもアリで、そのあたり詳しくは【過去記事】を読んで欲しい。

ちなみに、小説版を選ぶのであれば、完結している点、手に入りやすい点、訳文や注・図表の詳細さの点から、岩波文庫版を強く強く推す。

七.フランツ・カフカ諸作品

1.選書の理由

すまぬドイツよ。10進法に囚われてしまっているがゆえに、貴国には1枠しか割り当てがないのだ。恨むなら3枠も取っている麗しき隣国を恨んでくれ。

ドイツ部門はゲーテファウスト』とカフカの一騎打ち。引用だけで考えればきっとファウストメフィストフェレス、グレートヒェン、ワルプルギスの夜。ほら、どこかでみたカナ配列がひしめいている。それでもカフカを選んだのは、プルーストと同じく、この100年間*18の世界文学への影響を考慮したためである。その影響は広範で、ガルシア=マルケスサリンジャークンデラ過去記事】、残雪【過去記事】等を経て、とうとう遥か彼方の海辺にまでたどり着いてしまった。

それともう一つ、ファウストが難読である*19反面、カフカ作品が広く読まれているということもこの選択を後押しする。カフカを知らないと文学好き同士での楽しいトークに混じれない恐れもある。

2.どれを読むか

まずは作品をどう考えるか。これまた引用で考えると、ヨーゼフ・K(『審判』)にはザムザ(『変身』)を凌ぐ勢いがある。ただ、普及度からして『変身』を読んでいないのに『審判』を読んでいるというのも妙なので、『変身』はまぁ外せないとしよう。しかし、『変身』を読んでおしまいというのもどうだろう。私のカフカに対する印象【過去記事】では、『変身』はむしろ異端で、カフカを読むなら「掟の門」「流刑地にて」「判決」あたりを外したくはない

翻訳についても悩ましい。カフカの邦訳の種類はこれもまた海外文学界ではトップクラスに多い。特に最近、『変身』の斬新な訳として、多和田訳・川島訳が注目を浴びている。この二つの訳から選ぶとすると、川島訳(角川文庫版)では『変身』1作のみしか読めない。従って、今回は多和田訳(集英社文庫)を推薦したい。集英社版では、「掟の門」「判決」は採録されていないが、「流刑地にて」を読むことができる。また、『審判』*20採録されているため、余力があればこちらにも挑戦してみるのもいい。ただ、多和田訳のある種くせのある文体を苦手とされる方もいるだろうから、そういった場合は川島訳を試してみて欲しい。

3.そのほか

カフカを読むと直面するのが、「どう読むか」の問題だ。解釈の楽しみと言い換えても良い。もしカフカが気に入れば、その先にはいくつかの楽しみがある。読書仲間でもいれば、感想を語り合うのも楽しいだろう。しかし、一人でもできる楽しみ方がある。

一つ目は、気に入った作品について、違う訳者の手によるものを読んでみる方法だ。翻訳は解釈を大きく反映する。特にカフカは訳者ごとの味付けの差を大きく感じる作家だ。各短編のタイトルからしてもう訳語が違うから厄介でもあるのだけれど、作品を立体的に感じるのには良い手段だ。

もう一つは、フローベールの項目でも挙げたように、カフカ論」を読んでみる方法だ。こちらも沢山の研究者・作家が論じているが、作家のものから一冊、ミラン・クンデラ『小説の技法』【過去記事】をオススメしたい。

八.レフ・トルストイ諸作品

1.選書の理由

前にもどこかで書いたが、ロシアの文豪というと、日本国内ではドストエフスキー、世界的にはトルストイ、という印象がある*21

その際に挙げられる作品は、もちろん『アンナ・カレーニナ』【過去記事】か『戦争と平和』なのだが、引用や比喩という側面から見ると、意外なことにトルストイという作家自身に言及されることも多いように思う。

トルストイは、これらの大作を書き上げたあとに思想的・宗教的な回心を遂げ、以降道徳色の強い作品群を残す。世界*22の作家には、そうした「説教者トルストイ」という側面が強い印象を与えているようだ。

このため、『アンナ』や『戦争と平和』からの引用もさることながら、後期トルストイ作品のモチーフを引用する作品も非常に多い。

2.どれを読むか

「イワンのばか」「人はなんで生きるか」などの民話も作品のモチーフに使われることが多く、捨てがたい。しかし、作品単体として読んだときの面白さや、現代的な意義を考えると、「イワン・イリイチの死」と「クロイツェル・ソナタ」を勧めたい。「イワン・イリイチの死」は、緩和ケアという医学的な課題からも注目をされたことがあるし、「クロイツェル・ソナタ」はトルストイに賛同するにせよ反対するにせよ、強烈な作品であることは間違いない。

そこで今回は、これらがセットになっている光文社古典新訳文庫をセレクトした。

3.そのほか

ちなみに、もし仮にロシア文学の港にしばらく錨を降ろそうと考えているのなら、悪いことはいわない。トルストイの前に、プーシキン*23プーシキン*24プーシキン*25を読むべきだ。ロシア文学の世界では、まるでそれが法律上の義務ででもあるかの如く作品内でプーシキンの引用が行われる。

ただ、ロシアの作家の200年にも及ぶたゆまぬ努力の甲斐もなく、世界的にはいまだにロシア国内ほどの名声は獲得できていない。

九.フョードル・ドストエフスキー罪と罰』ほか

1.選書の理由

トルストイと反対に、日本国内の作家への影響を考えるのであれば、ドストエフスキーも外せない。埴谷雄高加賀乙彦など、モロにドストエフスキーから影響を受けている作家もいる。

海外文学におけるドストエフスキーの登場の仕方というと、これもトルストイと反対だ。よく見る例は、作品や人物名を名指しせずに、「ドストエフスキーの登場人物みたいに」とか、「ドストエフスキーを読んでいた」とかいって使われるパターン。つまり、それだけドストエフスキーの創り出した小説世界が異常だということ。

あの興奮。あの熱気。こればかりは、一度読んで味わってみないとわからない。

2.どれを読むか

ここで『罪と罰』をセレクトすると、納豆リコメンダー*26と言われかねないことは知っている。しかしそれでも、イチオシは『罪と罰』としたい

それというのも、自分がまだ文学オジサンならぬ文学セイネンだった頃、さほどの読書経験もないのに「『罪と罰』だけは好き。」という専門学校生や、「勧められた『地下室の手記』よりも『罪と罰』の方が圧倒的に面白かった。」という大学生や、「『変身』は挫折したけど『罪と罰』は読めた。」という大学生を沢山見てきたからだ。

なぜ、日本では異様にドストエフスキーが人気なのか、という問題を考察した論考も沢山出ている。私は、彼ら彼女らを見ていると、ドストエフスキーにどこか日本人の精神性と通じるものがあるという神話を信じてみたくなる。

さて、翻訳であるが、訳文の正確さ及び日本語の読みやすさという点では、原訳・江川訳がツートップというのが業界の評判である*27。私もかねてからドストエフスキーの翻訳を探すときは、江川訳→原訳→その他の優先順位で探すことにしている。

3.そのほか

罪と罰』は長い。登場人物も多い。従って、この二要素に抵抗があるのであれば、『地下室の手記をオススメする。逆にいえば、例えば京極夏彦の小説が読み通せるなど、この二要素に抵抗がなければ、特に読み通すのが難しい小説ではないと思われる。意味のわからなさという点では、カフカの小説や『百年の孤独』【過去記事】のが方がよっぽど難読である。

また、『罪と罰』の最大の挫折ポイントは冒頭にある。マルメラードフというヒロインの父が喋りまくるあたり。ここが鬱陶しいと感じたら、斜めに読んで、さっさとラスコーリニコフ君に老婆の頭をかち割って貰うのがいい。

殺人事件の発生後は、ストーリーラインもはっきりしているため、ドストエフスキーの長編の中では最も読みやすいはずだ。

十.カオスの系譜から・・・

1.選書の理由

ヨーロッパ文学には、その最初期の頃から裏街道が走っている。その裏街道に立ち並ぶのは、エラスムス『痴愚神礼賛』、ラブレー『ガルガンチュア・パンタグリュエル』【過去記事】、セルバンテスドン・キホーテ』、スターン『トリストラム・シャンディ』、ディドロ『運命論者ジャックとその主人』といった作品群だ。裏街道の連中は、権威を攻撃し、知性を嗤い、常識を覆し、時には神をも疑う。近代以前からのポストモダン、生まれながらのメタフィクション作家たちだ。

こうした伝統は近代以降、俄然熱いまなざしを注がれており、現代小説の面白さの核心にある要素と言ってもよい。中でも、『ドン・キホーテ』は屈指の人気作品であり、モチーフとして使われることも多いし、ラブレーついては「パンタグリュエル的」という形容詞が許されるほどだ。

2.どれを読むか

ここで困ったことに、上に挙げた作品にはいずれも短所がある。『痴愚神礼賛』は難しい、『ドン・キホーテ』は前後篇併せて6冊と長い、『ガルガンチュア・パンタグリュエル』は5冊もある。読みどころの2巻に絞るという手もあるが、やや難読である。スターンは手に入りにくく、ディドロは最近新装版が出たものの、ハードカバーである。

そこでオススメしたいのが、『不思議の国のアリスである。そもそも女の子向けのイメージがあるため、スルーしてきた男性も多いのではないだろうか。あるいは、某社製の悪しきアニメ映画版のイメージで見ておられる方もいるかもしれない。

『アリス』は、まさしくこのカオスの系譜に連なる作品だ。翻訳も山のように出ているが、イチオシは集英社版の芦田川訳である。この訳はすごい。英語の言葉遊びを訳注無しで見事に日本語に移し替えている。また、同じ本で『鏡の国のアリス』や『子ども部屋のアリス』【過去記事】まで読めるのも良い。

3.そのほか

気合とガッツがある方には本当は『ドン・キホーテ』をオススメしたいし、その方がこの記事の趣旨にはよくマッチしている。『ドン・キホーテ』は岩波版ほぼ一択だが、集英社版の抄訳で試してみるというのも手だ。ラテンアメリカ作品の訳書も多い野谷訳である。

今回10冊のうち3冊までが集英社文庫ヘリテージシリーズからのチョイスとなった。このシリーズ、抄訳が多いため侮っていたが、実はすごいシリーズである。新訳・詳注・詳解・廉価といいことづくめで、気合とガッツと経済力のある方は、全巻揃えるのもいいかもしれない。

おまけの一冊

1.選外の理由・・・?

ここまで読んでくださった方の中には、違和感を覚えた方もあるかもしれない。なぜ、「聖書」が入っていないのかと。それだけではない。ヨーロッパの思想の源流は、一般に、ヘブライの信仰とギリシアの思想(に、ケルトの夢想を加えることも)と言われる。従って、ホメロス作品(と、ウェルギリウス)やギリシャ悲劇、ギリシャ神話も入っていなければおかしい。

選外にした理由はただひとつ、読みにくいんじゃー!!!

2.本当に読むのか・・・?

ここまで話を振ったからには責任を持とう。

上記のなかから強いて一冊選ぶのであれば、『オデュッセイアがイチオシだ*28。『イリアス』【過去記事】よりもはるかに引用される頻度が高い。ジョイスユリシーズ』はこの作品を下敷きにしているし、アトウッド『ペネロピアド』のような翻案作品もある。当ブログで取り上げた中でも、モラヴィア『軽蔑』【過去記事】のように、『オデュッセイア』を重要なモチーフとした作品もある。

ギリシャ悲劇からは、やはりウィーンの代表団*29の影響力が強いため、ソポクレス『オイディプス王』で決まりだ。

神話については私もそう明るくはないため、これといった一冊を指定するのが難しい。そこで、子ども向けではあるが『ギリシア神話 オリンポスの神々』をオススメする。「パンドラの箱」や「アリアドネの糸」など、良く引用されるエピソードがふんだんに盛り込まれており、かつとても読みやすい。

3.そのほか

ちょっと文学からはそれてしまうのだけれど、オススメしたい本がもう一冊ある。それは、岩波ジュニア新書の『ヨーロッパ思想入門』である。先にあげたヘブライの信仰とギリシアの思想」と、哲学史の概観について平易な言葉で解説している名著である。哲学の先生の中にも本書を勧める先生も多く、ヨーロッパ的考え方のサマリーとして、文学好きにも読む価値がある。

まとめ

そういえば各作品のあらすじを書いていなかった。あらすじ書くのは苦手なので、惹句風・ラノベタイトル風・Webコミック風で手短に。5段階の難易度表記も併せてどうぞ。「面白さ」はプロットの推進力をあらわし、「可読性」は高いほど読みやすいことを意味する。

1.エドガー・アラン・ポー諸作品

世界で最初の密室殺人!犯人はまさかの・・・!?他数篇

面白さ:☆☆☆

可読性:☆☆☆☆

2.ウィリアム・シェイクスピアリア王

世界一有名な相続争い。老いと欲望と愛情の狭間に君は何を見るか。

面白さ:☆☆☆☆

可読性:☆☆☆☆(古典新訳文庫版なら+☆)

3.ダニエル・デフォーロビンソン・クルーソー

無人島に漂着した俺がチートスキル「文明」で無双する話

面白さ:☆☆☆☆☆

可読性:☆☆☆☆☆

4.プロスペル・メリメカルメン

何よりも自由を愛する女カルメンが力強い生き様を魅せるピカレスク小説

面白さ:☆☆☆

可読性:☆☆☆

5.ギュスターヴ・フローベールボヴァリー夫人

退屈な田舎、退屈な夫・・・不倫しても仕方ないですよね?~エンマの場合~

面白さ:☆☆☆☆

可読性:☆☆

6.マルセル・プルースト失われた時を求めて

スワン(略)*30

面白さ:☆

可読性:☆☆☆(漫画でも☆3)

7.フランツ・カフカ諸作品

落伍者の家族に生じるパラダイムシフトについての一考察他数篇

面白さ:☆☆☆

可読性:☆☆☆

8.レフ・トルストイ諸作品

<愛しあいダメ?>壊れる絆【性欲の強い夫と強い妻】他一篇

面白さ:☆☆☆☆

可読性:☆☆☆☆

9.フョードル・ドストエフスキー罪と罰』ほか

罪と罰』:倒叙ミステリーを書こうと思ったら登場人物がありえないテンションで喋り倒しだした件

面白さ:☆☆☆☆☆

可読性:☆

地下室の手記』:ヒキコミュ障がデリヘル嬢にガチ説教する話

面白さ:☆☆☆

可読性:☆☆☆

10.カオスの系譜から・・・

不思議の国のアリス』:ハイソ令嬢が夢の世界に転生する話~幼女とお近づきになるためには手段を選んでいられません~

面白さ:☆☆

可読性:☆☆☆☆

ドン・キホーテ』:読書好きのおじさんが世界を好きなように再解釈していくお話

面白さ:☆☆☆

可読性:☆

なお、この記事はふくろうさん(blog:ボヘミアの海岸線)主催の海外文学アドベントカレンダーに参加しています。

また、当ブログでは普段、海外文学の感想を好き勝手に書いています。たとえば、池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンなどやっています。

 

*1:「正典」の興亡に関しては秋草先生の『「世界文学」はつくられる: 1827-2020』がとても詳しく、そして面白い。

*2:この記事、書く時間よりも訳文を読み比べる時間の方が長くかかった。

*3:「新世界」の文学については、『『その他の外国文学』の翻訳者』【過去記事】がオススメ。

*4:こがねむし、ではなく、おうごんちゅう、です。

*5:アメリカ文学に限ればメルヴィルも相当引用が多い。

*6:リア王』から。

*7:ハムレット』から。ジャン・エヴァレット・ミレーの背泳ぎの絵でも有名!

*8:これも『ハムレット』から

*9:代表作とされうる作品が既に沢山あって選びにくい。

*10:ディケンズ同様、全てが代表作

*11:同じようにマザーグースも見過ごせない。これはどちらかというと、敢えて本稿から外した詩の部類か。谷川訳が素晴らしく、これは独立した谷川作品と言っても過言ではない。

*12:アベ・プレヴォマノン・レスコー

*13:デュマ・フィス『椿姫』

*14:オスカー・ワイルドサロメ』あるいは新約聖書

*15:一応、ボヴァリー夫人ことエンマや、癖の強い薬剤師であるオメーなどが引用されることもなくはない。第1部の最後の文章を換骨奪胎して、自作の第1部の最後の文章に用いたりするのは、ごく一部のクレイジーな作家に限られる。

*16:なお、前出のリョサはこの点も美点に数え上げている

*17:つい最近続編にあたる「花咲く乙女たちのかげに」が出たようである。

*18:没後100年と書くにはまだ2年足らない。

*19:新訳が出たばかりのようだが未読

*20:同文庫版の翻訳では「訴訟」

*21:ロシア国内ではプーシキンである。

*22:といいつつ、英語圏での評価の高さという方が正確なのかもしれない

*23:『オネーギン』

*24:『ベールキン物語』

*25:『大尉の娘』

*26:なぜ世界文学は売れないのか? もうすぐ絶滅するという海外文学について - ボヘミアの海岸線

*27:出典は敢えて書かないし、行間が何を意味するかにも触れない

*28:つい最近新訳が出たが高い。

*29:フロイト派を指す。

*30:失われた時を求めて』の要約は、困難でありかつ滑稽であることの代名詞と化していて、モンティパイソンのコントにもなっている。「全英プルースト要約選手権」で検索すれば動画が見られるかもしれません。